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生きること:過去と未来とエスペラントと

ユネスコとエスペラント

2015-01-26 08:21:24 | エスペラント
 1960年、エスペラントを始めたころエスペラントが言語としてユネスコに認められていると聞きました。
 世界エスペラント協会の機関誌Esperantoの表紙には世界エスペラント協会は国連とユネスコと公的関係があると書かれています。この言葉が重要な事とは知らず、1980年代の終わりだったか、90年代初めだったか編集者が削ってしまったのです。するとイスラム圏に雑誌が入らなくなり、雑誌の検閲通過に必要だとイランのエスぺランティストから抗議があり、印刷が復活した聞いたことがあります。

 エスペラントがユネスコで公的に認められたのは1954年ウルガイのモンテビデオだそうですが私はそこまでは知りませんでした。昨日、私たちの会の総会がありそのことが話題になりましたので調べました。

eb.cla.kobe-u.ac.jp/group/IReC/pdf/201003seminar_2.pdfw 
 
 見つけたのが三浦 伸夫氏の『エスペラント運動と多言語共存思想』です。

 ざっと読んだのですがとても面白いです。私が昨日興味を持ったところだけ抜粋させていただきました。でも興味ある方は是非全文を読んでください。これを基軸として世界エスペラント協会がどんな運動を展開をするつもりなのか知りたかったのですが、『またの機会に試してください』と表示され、ページには入れませんでした。



 ところでユネスコとエスペラントとはどのような関係があるでしょうか。ここでは 2 つ
の公的見解を紹介しておきましょう。
・ 「国際的な知的交流および世界の諸国民の友好の分野でのエスペラントの実績に注
目し、この実績がユネスコの目的と理念にこたえていることを認める」(第 8 回総会
1954 年)エスペラント運動と多言語共存思想(三浦)
117
・ 「エスペラントが異なる民族のあいだでの国際的な理解と交流のために大きな可能
性を持っていることを認める」(1985 年の第 23 回総会)
すなわちユネスコはエスペラントを理念的には支持しているといえるでしょう。しかし、
他方で多言語主義思想の普及として、「覇権言語使用者は、他に、地域語1つと、1,2
の国際的言語を習得すべき」として、かなり無理な要求をしているようです。
以下では、多言語主義思想の背景として、言語権の重要性を指摘し、エスペラントがそ
れにどのように関わっていったらよいかを見ていきましょう。
5. 言語権とエスペラント
1996 年バルセロナで、NGO、国際ペンクラブ、言語法制専門家などの呼びかけに応え
て世界言語権宣言が採択されました。まずその世界言語権宣言の一部を紹介しましょう。
第3条
1 この宣言は、以下の権利を、どんな状況でも行使できる不可分の個人的権利と考える。
i. ある言語共同体の成員として認められる権利
ii. 私的、公的に自己の言語を使う権利
iii. 自己の名前を使う権利
iv. 出身の言語共同体の他の成員と関係をもち、交流する権利
v. 自己の文化を維持し発展させる権利
[以下略]
第 10 条
1 すべての言語共同体は、平等の権利を有する。
2 この宣言は、政治的な主権の程度、社会的・経済的・または他の見地から定義される
状況、言語が文字化、現代化、または近代化されている程度、または他のどんな基準を
基にしても、言語共同体に対する差別は認められないと考える。
(『エスペラント』第 67 巻(1999)1 月号、pp.6‐7)
ここでは、言語権が基本的人権、普遍的人権に並び称されるものとして存在すべきことが
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