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生きること:過去と未来とエスペラントと

人形劇団プークの歴史(つづき)

2022-12-24 09:47:53 | エスペラント
 12月22日;エスペラント博物館へ

先日読んだ’現代人形劇の創造の歴史の半世紀 人形劇団プークの55年の歩み’の戦後のの歴史(1946~1959)を読む。私がプーク団員と出会ったのは1957年だったと思うのでその頃の歴史が知りたかった。60年安保闘争後の歴史はあまり興味がなかったし、70年代は息子達と共に親子劇場に参加してプークの人形劇を鑑賞するようになっていた。当時、鑑賞後に劇団員との懇談会なども開かれていたが、幼児を二人、後には3人の子どもを連れて懇談会に参加する余裕などはなかった。

 平和とは自由とかを切望する団体は常に権力の標的になる。エスペラントもそうだけれど ― 興味ある方は岩波新書【危険な言語】・【異端の言語エスペラント】読んでください。― プークも戦前からの理想を崩さなかった。そのため、戦前は特別高等警察(いわゆる特高)の監視下に置かれ、戦後はレッドパージの中でGHQの監視下で思うように活動できなかった。生きるためにプークではなく小グループに分かれて別名で講演したらしい。特にNHKはプークを危険視したらしい。

 そん時プークの発展に転機を与えたのがメーテルリンクの’青い鳥’の上演許可だったらしい。人形の作り方を教えますという懇談会でエスペラントを使ってこの許可を得たと誇らしげに語っていた団員の高揚した言葉で、私はエスペラントはどうしても習得しなくてはならない平和の言葉だとかんじたのでした。
 青い鳥講演はにっちゅうは学校で行われ、夜が一般公開でした。私は汽車通学でしたので、残念ながらこの時感激できませんでした。


 そこで、中学生の時にエスペラントに私を引き付けた本を捜した。著者らしき人エッセイを見つけたが、私の捜しているものは見つけられなかった。中学生の自分がなぜそれほど感動したのかを知りたかったのです。

 【緑の星に輝いて】岡一太のエッセイと彼に対する追悼の言葉が載っていました。
 自分の経験を表現するのはとても難しいですね。みんなかわかってくれるだろうと省略すると、時代背景を知らない者には理解しにくくなる。見知らぬ人に理解してほしいと細かく表現すると、くどすぎてつまらなくなる。彼の文はどちらかと言えば前者に近い。

 ただ、長谷川テルについて書いた部分は彼女の性格や行動力が見えて面白かった。テルは’世界の子ども’という本の日本編を自分が編集しようと頑張ったらしい。世界の子どもの日本編は戦後はウイーンのエスペラント図書館に一冊確認されただけと書いてあった。

 先日、’世界の子ども’日本語訳が本棚にあった様な気がする。今度は日本編があるかどうか調べてみようと思う。

 長谷川テルについて。
 栗原小巻主演の「望郷の星」はテルの半生を描いたドラマです。
 https://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=143005
コメント
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