glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

防衛費

2022-12-15 13:36:10 | 平和
 子どもの頃戦争があった。孤児の友人もいた。満州からの引揚者もいた。雪の降る日でも冷たい学校の廊下を素足で歩いていた。

 農村地帯は食料がありある程度豊かであると聞いていたが、多くの同級生は汚れた着物を着て、やはり素足だった。時には家で編んだらしい藁草履をはいている子もいたけれど。多くの同級生は親が小作人だったのです。小学高学年になると同級生の生活はいくらか豊かになったとは思う。多分、農地解放で耕作地を自分のものにできたからだと思う。

 子どもの目には貧しさの元凶すべて戦争であるとみえた。そして武装放棄・絶対的中立を願って生活してきたのだけれど!

 ロシアのウクライナ侵攻とその経過を見ているとロシアのような国があったのかと驚く。と同時に、ロシアのような力で他国を侵略するような国があるのに、自営の武器さえ持たない方が良いと考えてきた、70数年の持論が揺らぎだしている。

 ここ数日ニュースを賑わしているのは防衛費の拡大である。丸で私の個人的動揺につけ込んでくるかように防衛費の増加が叫ばれている。

 岸田首相は現在、どんな風に日本を防衛するか、そのためにどんな武器が必要で、どれほどの予算がいるかという議論なしに、唯々予算の拡大をたくらんでいるようだ。そして、予算の財源は東日本大震災で被害を受けた人々が生活を立て直すために組まれた、復興予算を使うと主張しているようである。

 本当にこれでいいの!?
 ロシアのウクライナ侵攻で、多くの人が自分たちはどう行動するか、どういう生き方が必要か迷っている時に、人々の心迷いを利用して予算もなく防衛費の増大をたくらんでいる。これでいいのだろうか。国民間の議論は必要ないのでしょうか!?
コメント
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