glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

人形劇団プークの歴史

2022-12-10 16:32:31 | エスペラント
 12月8日:エスペラント博物館へ

 以前、人形劇をしないかと誘われたことを思い出してそのことを話していたら、’現代人形劇の創造の歴史の半世紀 人形劇団プークの55年の歩み’という本を見つけました。中学の時エスペラントの出てくる本読み、エスペラントに引かれましたが、高校3年生の時プークの劇団員との座談会に参加して、再びエスペラントへの思いに目覚め、高校を卒業したらなんとしても上京し、エスペラントを学ぼうと決意ししたのがエスペラントを捜すきっかけにだったので、この厚い本を読み始めました。

 私はプークの劇団創始者が川尻泰司だと思っていました。始めたのは泰司の兄東次を含む6人の中学生(旧制)でした。東次氏は病弱で24歳で亡くなり彼の心を引き継いだのが泰司氏だったようです。

 人形劇団も初めは児童だけのためのものではなく、大人への啓蒙運動だったようで、戦前は官憲に追われていたようです。

 p.77にはこんな文面が
 すべての人々が国境を超えて語り合える言葉、エスペラントのつすべての人々、そして子どもたちが平和に暮らすことのできる平和を守るために仕事を続けることこそプークの道であることを川尻東次はエスペラント名と共にわれわれにのこそた。

 p.39にはこんな記述が!
 農民運動の活動家エスペランティスト伊東三郎がプークの仕事の精神的支えとなった。

 伊東三郎は私のエスペラントの師である。名前を見つけて嬉しかった。

 当時、彼らの愛称かあだったという歌が記載されていた。

 Fratoj al sun' liberecon
Fratoj nun supren al lum'

この歌は私も歌ったことがあり、この後にあと2フラーゾ続くのですがどうしても思い出しません。本当に情けない!

 私が出会った頃、プークがどんな活動をしていたか知りたいので続きを読もうと思っているけれど、不満が残った。

 表題の下にかかれた補足の題名と言うものだろうか、それはエスペラントではなく英語だったのだ。もしかしたら今はプークはエスペラントからかけ離れているのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする