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生きること:過去と未来とエスペラントと

1960年6月15日

2020-06-15 17:49:42 | rememoro: 思い出
 6月15日午後、私は国会前にいました。60年前のことです。記憶が不確実になってゆきますが、機動隊が道路の両側にいてスクラムを組む学生をごぼう抜きにしてゆきました。 私たちはいつの間にか列の最前列にいました。薄暗くなっていました。突然、門が内側から開き私たちは押されて門の中に入りました。樺美智子さんが惨殺された日の記憶です。新聞は学生が門を破ったと書きたてましたが、私たちは門が内側から開けられ、私たち押されて、国会議議事堂の庭に入ってしまったという認識しかありません。庭には大勢の私服警官らしき人たちが立っていました。門の方に引き返えそうとすると、もどっとたら危ない!と中年の男性が声をかけました。前方は建物でした。塀を超えて逃げろと彼は言い、塀の近くの松の枝に私を押し上げてくれました。暗くて地面は見えませんでしたが飛び降りました。アスファルトで脛を打ちました。医学生が駆け寄り湿布してくれました。家に帰ると両腕には黒く、五本の指跡がくっきりと残っていました。

 60年の暮れだったと思います。30人ほどのエスペランティストの集まりで、樺さんのお母さんと会いました。若い頃エスペラントを学習していたということでした。娘(美智子さん)にまたエスペラントでもしなさいと言われていたのでまた学習しますと言っておられましたが、当時50代だったと思います。以後お会いすることはありませんでしたが・・・。
 あれから60年、6月15日なると樺美智子さんとそのお母さんを思いだします。もしかした、ブログに同じことを書いているかもしれません。 
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