絶滅したと伝えられていた日本種の鱒が生存していたというニュースにフラッシュバックしたかのように昔の事を思い出しています。小学生の頃の視覚教育は厳冬でした。田沢湖のある生保内地区玉川温泉から流れる毒で稲が育たずとても貧しい地域でした。私のよみがえった記憶が正しければ○○サンノスケという人物が玉川温泉からの流れを田沢湖に入れ水を中和したので生保内でも稲作ができるようになったという物語も見せられたことがあります。遠足で田沢湖に行った時佐竹公が座ったと伝えられている『御座の石』で30~40程の魚を見つけ父に形状を話したらそれはヤマメだろうと言われました。
ヤマメが生息できるならクニマスも生息可能かと素人は期待します。
あの遠足は楽しかったです。刺し巻きで下車し、昔山伏が通ったという山伏峠を越え、湖の砂浜に出て歩き、ポンポン蒸気で御座の石まで往復し、暑いとみんなで下着で泳ぎ、濡れた下着の上に洋服を着て帰りました。汽車が混んでいて愚図愚図していたら、機関士が友人と二人機関車に乗せてくれました。石炭を熱い釜に投げ込む手伝いを必死でしたのも良い思い出です。今なら服務違反でしょうね!
30年後、小学生の息子と二人で山伏峠を探しに行きました。道は広くなりけわしい上りも無くなり、あっという間に湖の砂地に到着しました。鱒がいた頃豊かな漁村だったというあたりには今辰子像がたっています。鱒がもし繁殖したらこの辺にどんな変化をもたらすのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/クニマス
を検索していろいろ知りました。そのページからさかなクンと言う人物の存在も。吹奏楽を水槽学と勘違いして云々の下りには笑ってしまいました。
ありがとう。