この公園は民間人が1999年に作った公園でソヴィエト時代の遺物が飾られています。場所はヴェイシェイヤィに近く、ポーランドとの国境により近いところとガイドは説明しました。
ここは森と沼しかない広大な湿地地帯でした。ナポレオンもここでロシアと死闘を繰り広げ多数のフランス人とロシア人が死にました。ロシアとポーランド、ドイツとソヴィエトもここで戦い多くの人達がなくなった土地だというのです。もちろん兵士だけでなくその都度多くのリトアニア人も死んだのです。リトアニアの人々はここに慰霊の像を建てたいと願いましたが、ソヴィエト政権は許可を与えませんでした。そこでかれらは頭をひねり、ロシア兵も含むすべての兵士の慰霊のために母の像を作りたいと申し出て許可を受けました。ウソも方便と言うのでしょうか実際の目的と計画申請の違いをガイドは私たちの知恵と称しました。母の像の高さは8メートル湿地帯で地盤が弱く傾きました。
1991年社会主義政権が崩壊した時、民間人がこの不毛の地を安い値段で買ったのです。彼は濠を掘り、その土で土地を高くし、足りない土は他所から運び込み水路と陸を分けました。それでも母の像は傾き危険になったので、水路に囲まれた小高い所に移しました。何しろ沼地ですから像は自からの重さで傾きます。毎年、土を持ち込み補強しているそうです。
現在この森からは質の高いきのこと野生のベリー類が取れます。持主は数百人雇い、それらを収穫し、ヨーロッパの他の国々に輸出し、富を得ているということでした。
リトアニアの特徴の一つは公園や博物館で写真を撮る時は別に料金を請求されます。料金を支払わず、写真を撮っている日本人とスェーデンを見つけたので声を掛けました。日本人は単純に説明を理解していなかっただけでしたが、スェーデン人は《そんなの大した事じゃない》と写真を取りまくっていました。私の感覚は少し杓子定規かもしれませんが、郷に入ったら郷に従へであり、自分の国とシステムが違っていてもお金を払うべきであると感じました。ましてやこの国に貧しいです。
公園にはレーニン、スターリン、マルクス、エンゲルスその他リトアニアの過去の政治家の銅像や壁から剥ぎ取られたレリーフなどが在ります。板を敷いた道は森の中を曲りくねりなりながら続いています。それは、シベリアやその他の強制収容所に送られた人々が歩いた道を思い起こして歩く道なのだそうです。
リトアニア人はソヴィエト支配当時の苦しみを忘れず、子孫に伝えたいと言う願いからこの公園は作ったのでした。大音響ではありませんでしたが、ソヴィエト時代の戦いを鼓舞するような音楽も森の中に流れていました。
哀しかったのは帰りのバスでの日本人の会話でした。
あの公園はなんだろうね。やはりソ連時代が良かったんだろうね!そうだよ、きっと。
後の男性が言いました。あれは中国が、歴史的認識はきちんと持つといっている事と同じことで、歴史を後世に伝えようとしていると言う事でしょう!
でも、二人は自説を曲げるつもりは無い様でした。やっぱり、ソ連時代を懐かしがっているんだよ!
私がエスペラントで反論すると他の国の人達の注目を集めることは明白でした。日本語で話しかけても、何を話しているかと質問されそうなので黙っていました。
彼等がエスペラントを使わなかった事がこの時はとても嬉しかったです!
最後に、ガイドが話してくれた現在のリトアニア人の生活の1部を紹介します。
社会主義政権が崩壊した後、政府は、以前の土地所有者に2ヘクタールの土地を返還しました。現在リトアニアの人口の4分の一が農業で暮らしています。自分達で作った野菜を売ったりして得る収入約200リタスに過ぎません。
国の最低賃金が505リタス(25000円弱)です。ですから農村の人々の生活はとても苦しいです。
また仕事が少ないので能力のある人はヨーロッパ各地に出稼ぎに出ています。その数は205000人に達しています。
私の友人アンゲレの息子も現在ロンドンで働いているということでした。妻はリトアニアとロンドンを行き来し、その娘は二人の祖母が協力して育てていると彼女は言ってていました。サービス業で働くいている人の多くは10代の若者です。これは20代・30代の人達が海外で仕事についているからでしょう。働きながらも、多くの若者はインターネットで大学の学習をするなど、勉強家であるということでした。かれらはこの国をどう築いてゆくのでしょう。
これで、私のリトアニア報告は終ります。これからもこの国に魔法使いや妖精が生き続けて欲しいと願っています。
ここは森と沼しかない広大な湿地地帯でした。ナポレオンもここでロシアと死闘を繰り広げ多数のフランス人とロシア人が死にました。ロシアとポーランド、ドイツとソヴィエトもここで戦い多くの人達がなくなった土地だというのです。もちろん兵士だけでなくその都度多くのリトアニア人も死んだのです。リトアニアの人々はここに慰霊の像を建てたいと願いましたが、ソヴィエト政権は許可を与えませんでした。そこでかれらは頭をひねり、ロシア兵も含むすべての兵士の慰霊のために母の像を作りたいと申し出て許可を受けました。ウソも方便と言うのでしょうか実際の目的と計画申請の違いをガイドは私たちの知恵と称しました。母の像の高さは8メートル湿地帯で地盤が弱く傾きました。
1991年社会主義政権が崩壊した時、民間人がこの不毛の地を安い値段で買ったのです。彼は濠を掘り、その土で土地を高くし、足りない土は他所から運び込み水路と陸を分けました。それでも母の像は傾き危険になったので、水路に囲まれた小高い所に移しました。何しろ沼地ですから像は自からの重さで傾きます。毎年、土を持ち込み補強しているそうです。
現在この森からは質の高いきのこと野生のベリー類が取れます。持主は数百人雇い、それらを収穫し、ヨーロッパの他の国々に輸出し、富を得ているということでした。
リトアニアの特徴の一つは公園や博物館で写真を撮る時は別に料金を請求されます。料金を支払わず、写真を撮っている日本人とスェーデンを見つけたので声を掛けました。日本人は単純に説明を理解していなかっただけでしたが、スェーデン人は《そんなの大した事じゃない》と写真を取りまくっていました。私の感覚は少し杓子定規かもしれませんが、郷に入ったら郷に従へであり、自分の国とシステムが違っていてもお金を払うべきであると感じました。ましてやこの国に貧しいです。
公園にはレーニン、スターリン、マルクス、エンゲルスその他リトアニアの過去の政治家の銅像や壁から剥ぎ取られたレリーフなどが在ります。板を敷いた道は森の中を曲りくねりなりながら続いています。それは、シベリアやその他の強制収容所に送られた人々が歩いた道を思い起こして歩く道なのだそうです。
リトアニア人はソヴィエト支配当時の苦しみを忘れず、子孫に伝えたいと言う願いからこの公園は作ったのでした。大音響ではありませんでしたが、ソヴィエト時代の戦いを鼓舞するような音楽も森の中に流れていました。
哀しかったのは帰りのバスでの日本人の会話でした。
あの公園はなんだろうね。やはりソ連時代が良かったんだろうね!そうだよ、きっと。
後の男性が言いました。あれは中国が、歴史的認識はきちんと持つといっている事と同じことで、歴史を後世に伝えようとしていると言う事でしょう!
でも、二人は自説を曲げるつもりは無い様でした。やっぱり、ソ連時代を懐かしがっているんだよ!
私がエスペラントで反論すると他の国の人達の注目を集めることは明白でした。日本語で話しかけても、何を話しているかと質問されそうなので黙っていました。
彼等がエスペラントを使わなかった事がこの時はとても嬉しかったです!
最後に、ガイドが話してくれた現在のリトアニア人の生活の1部を紹介します。
社会主義政権が崩壊した後、政府は、以前の土地所有者に2ヘクタールの土地を返還しました。現在リトアニアの人口の4分の一が農業で暮らしています。自分達で作った野菜を売ったりして得る収入約200リタスに過ぎません。
国の最低賃金が505リタス(25000円弱)です。ですから農村の人々の生活はとても苦しいです。
また仕事が少ないので能力のある人はヨーロッパ各地に出稼ぎに出ています。その数は205000人に達しています。
私の友人アンゲレの息子も現在ロンドンで働いているということでした。妻はリトアニアとロンドンを行き来し、その娘は二人の祖母が協力して育てていると彼女は言ってていました。サービス業で働くいている人の多くは10代の若者です。これは20代・30代の人達が海外で仕事についているからでしょう。働きながらも、多くの若者はインターネットで大学の学習をするなど、勉強家であるということでした。かれらはこの国をどう築いてゆくのでしょう。
これで、私のリトアニア報告は終ります。これからもこの国に魔法使いや妖精が生き続けて欲しいと願っています。
そして、あなたを恥ずかしいと思わせた日本人男性たちが、もっと勉強してくれることを望んでいます。
エスペラントのみならず言語を学ぶことは、その言語の背景やまつわる文化歴史なども学ぶことになるわけですが、エスペラントは一つの国に縛られていませんから、あらゆる可能性があるわけで、それをどう消化するかは本人次第。上手に利用して欲しいですね。
その結果、福祉福祉といいながら、基本的に子どもを養育できないような大人を多く育ててしまいました。リトアニアが日本を他山の石として経済的にも、精神的にも豊な国に成長して欲しいと思いました。
独りよがりではなく、よく観ること、人の話しをよく聴くことが大切ですよね。エスペラントが下手でも、理解を助けたくて声をかけてている日本人がいたのですから。
さあブログ巡りでコメントをの気勢そがれて今日は駄目です。せっかくの良い話について行くのがしんどいです。半端な子育て実践中の身ではもっと心の教育をと言われてみたいで耳が痛い~。
この豊かな心がいつかきっとリトアニアを豊かな国にしてくれると願うばかりです。
リトアニア人の心を理解できないその日本人は、ザメンホフの精神を上辺だけ学んだのでしょうか。残念ですね。
大丈夫ですよ。心豊な人の子は心豊になるのです。子どもを虐待する行為が多く目立ちます。目立つと言うことはしていない人がはるかに多いと言うことです。
児童虐待・弱者虐待が普通の事とならないうちにくいとめたいのです。
多分、話すことを学んだだけで、理解し合うことを学ばなかっただけなのでしょう。
その独りよがりが他人ごとではないという感じが、自分もして入る可能性があるという感じが、私を嫌な気分にしたのかも知れません。