乳がん発病をきっかけに「いのちの授業」に取り組み、昨秋亡くなった大分県豊後高田市の元養護教諭山田泉さん(享年49)をしのぶ会が22日、同市内で催された。かつての教え子や同僚、交友のあったボランティアや闘病仲間ら約150人が、東京や鳥取など各地から集まり、映像や音楽を交えながら、パワフルだけど涙もろい「保健室のおばさん先生」のエピソードを、涙と笑いで分かち合った。
冒頭、スクリーンに大写しされた山田さんが語った。「いのちの授業はな、それでも人間っていいなあ、と『感じる』授業や。何かを理解させたり、教えたりするんじゃない」。07年3月、教壇から去る時に撮ったインタビューで、ドキュメンタリー取材で半年間密着したテレビ局員が個人的に製作したものだ。
若いころから性教育に情熱を注ぎ、平和、人権、障害者支援でも動いた。学校の外に広がる人脈が00年のがん告知以降に生きた。自らの死を意識し、追いつめられる日々のなかで「人生で一番大切なことを伝えたい」と考えた山田さんは、末期がん患者や脳性まひの書家らを教室に呼び、子どもたちと出会わせた。
いのちの授業に影響された教え子は多く、この日も約30人が足を運んだ。「山ちゃんのように生徒に寄り添いたい」と教員への夢を語ったり、手足の不自由な元ハンセン病患者とかかわって医療器具の開発者を目指していると明かしたり。
高校を卒業したばかりの女性2人は手作り絵本を朗読。昨春、当時のクラスメートが自殺したのを機に、「あなたを忘れない」との思いを込めて山田さんと一緒に作り、死の直前に完成した。
摂食障害に苦しんだ大学時代を山田さんに支えられた29歳の女性パティシエが焼いたというケーキが壇上へ。自作の追悼歌をアカペラや生ギターで演奏する人もいて、思い出話が3時間以上続いた。
冒頭、スクリーンに大写しされた山田さんが語った。「いのちの授業はな、それでも人間っていいなあ、と『感じる』授業や。何かを理解させたり、教えたりするんじゃない」。07年3月、教壇から去る時に撮ったインタビューで、ドキュメンタリー取材で半年間密着したテレビ局員が個人的に製作したものだ。
若いころから性教育に情熱を注ぎ、平和、人権、障害者支援でも動いた。学校の外に広がる人脈が00年のがん告知以降に生きた。自らの死を意識し、追いつめられる日々のなかで「人生で一番大切なことを伝えたい」と考えた山田さんは、末期がん患者や脳性まひの書家らを教室に呼び、子どもたちと出会わせた。
いのちの授業に影響された教え子は多く、この日も約30人が足を運んだ。「山ちゃんのように生徒に寄り添いたい」と教員への夢を語ったり、手足の不自由な元ハンセン病患者とかかわって医療器具の開発者を目指していると明かしたり。
高校を卒業したばかりの女性2人は手作り絵本を朗読。昨春、当時のクラスメートが自殺したのを機に、「あなたを忘れない」との思いを込めて山田さんと一緒に作り、死の直前に完成した。
摂食障害に苦しんだ大学時代を山田さんに支えられた29歳の女性パティシエが焼いたというケーキが壇上へ。自作の追悼歌をアカペラや生ギターで演奏する人もいて、思い出話が3時間以上続いた。