ゴエモンのつぶやき

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障害者の 本格木工  深谷で展示販売数千点

2009年09月13日 00時46分18秒 | 障害者の自立
学習机や時計 製材から仕上げまで
 知的障害者が働く授産施設を運営する深谷市の社会福祉法人「幸仁会」は18~20日、通所者らが作った木工品を展示販売する「彩の国の森のめぐみ・しごと展」を同市本田の県農林公園木材文化館で開く。施設では、仕入れた丸太の製材から加工、作品の仕上げまで、全工程を障害者らがこなしている。野村吉茂理事長(72)は「障害者でもこんなにできる、ということを知ってほしい。ほかの施設に通う人たちにとっても励みになれば」と来場を呼びかけている。



作品を仕上げる川本園の通所者ら 同会は、障害者に働く場を提供しようと、1979年の会設立と同時に、授産施設「川本園」(深谷市本田)を開いた。川本園では現在、18~75歳の約40人が、木製の時計や写真立て、ベンチなどの製作に励んでいる。機械を使った作業が多いが、仕上げでは、植物性塗料を一つひとつの作品に丁寧に塗っていく。市の行事の記念品作りが、受注全体の約8割を占めるという。

 県内の小学校から依頼され、高さが調整できる学習机も作っている。老朽化が進んだ机の上面だけを削ってきれいにすれば、長年にわたり使用できる仕組みだ。野村理事長は「10年くらい前に納品した机が、まだきれいに使われているとうれしい」と顔をほころばせる。これまで、県内十数校に納品した。

 同園は当初、紙袋のヒモ通しなど内職を主としていたが、約20年前から、廃材となる竹を利用して割りばしを作り始めた。売れ行きが好調だったことから、竹細工の製作にも着手。ただ、約10年前から原材料の竹が入手しにくくなった上、県から学習机の製作依頼を受けたことから、木工品を手がけるようになった。県産業技術総合センター北部研究所(熊谷市)などの指導を受け、オリジナル作品の製作に精を出している。

 幸仁会は2004年4月、川本園近くに、同様の施設「ウッドワーク川本」も開所した。製材工場から依頼され、工場で発生する端材をつないで再利用し、製品を工場へ出荷する業務を担当する。出荷量は1日約6トンにも上るといい、約30人の障害者らが働いている。

 幸仁会の設立30年を記念し、18日から開催する展示販売会では、川本園で作った約50種類、数千点の木工品を披露。小物の即売や、ベンチやテーブルなどの家具の個別注文に応じる商談会を開く。このほか、ウッドワークの仕事内容などを紹介するパネルも展示する。

 問い合わせは、幸仁会(048・583・5908)へ。


益田市の「きのこハウス」 障害者雇用、エリンギ順調 注文増で求人募集中

2009年09月13日 00時42分43秒 | 障害者の自立
 エリンギを栽培して県内外に出荷している、益田市虫追町の市立障害者就労支援施設「きのこハウス」が順調に業績を上げている。民間から市の施設へと移行した昨年6月で20~30トンだった毎月の出荷量は、今月40トン超を見込んでいる。それでも市場からの注文量に追いつかず、うれしい悲鳴が上がっている。

 注文量の増加は、エリンギ培養、管理技術の確立によって生産量が安定したためで、特に京都、大阪市場で好評。現在、両市場に1日計1・2~1・6トンを出荷しているが、キノコ類の需要の伸びる秋に入り、「ある分だけ送ってほしい」と注文が届いている。勤務する障害者を32人から37人に増やして、仕分けや袋詰め作業を丁寧に行っていることも品質向上につながっている。

 全国的には、長引く不況から、障害者雇用の場は縮小傾向。そんななかで業績を伸ばしているきのこハウスの意義は大きい。現在、ハローワークを通して求人募集中。さらに来春、県立益田養護学校から3人の新卒者を仲間に迎える予定。

 渋谷秀幸事業課長は「一時は市の『お荷物施設』だったが、今は出荷で市外から収入を得ており、給与支給や資材購入で地域経済にも貢献できるようになった」と胸を張る。


視覚障害者福祉に貢献、愼英弘さんに 鳥居伊都賞には近藤さん /京都

2009年09月13日 00時41分16秒 | 障害者の自立
 視覚障害者のための福祉活動に貢献している人を表彰する第27回「鳥居賞」の伝達式が11日、北区の京都ライトハウスであり、四天王寺大大学院人文社会学研究科教授の愼英弘(シンヨンホン)さん(62)に賞状などが手渡された。また、視覚障害者とともに人生を歩み、サポートしてきた人を表彰する第13回「鳥居伊都賞」が神戸市兵庫区の主婦、近藤系子さん(75)に贈られた。

 鳥居賞は京都ライトハウスの設立者で「盲人の父」と言われた故・鳥居篤治郎の業績をたたえて83年に、鳥居伊都賞は妻の故・伊都さんをしのんで97年にそれぞれ設けられた。

 在日コリアン2世として東京で生まれた愼さんは8歳の時に原因不明の病気で失明。いったんはしんきゅう院を開いたものの勉学意欲が再燃し、龍谷大卒業後に神戸大非常勤講師や花園大社会福祉学部教授を歴任した。法制度から取り残された人たちの救済を最優先し、現場に生かす「実践の学問」を確立。後進の育成に尽くしている点も評価された。05年には点字毎日文化賞を受賞している。

 一方の近藤さんは、歌謡教室を主宰していた全盲の敏郎さんと1963年に結婚。以来半世紀近くにわたって、神戸市視力障害者福祉協会の会長も務めた夫の活動と生活をサポートしてきたことが評価された