ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

東日本大震災:岩手・宮城の32施設が使用不能

2011年04月17日 01時15分28秒 | 障害者の自立
 岩手、宮城両県にある障害者の「グループホーム」「ケアホーム」のうち、少なくとも32施設が震災で使用できないことが両県への取材でわかった。いずれも障害者が「施設」でなく地域の中で暮らすための場で、関係者は「一日も早く再開できるよう支援してほしい」と訴えている。

 グループホームでは家事などの支援を受けながら、障害者が自分たちで共同生活を送っている。ケアホームはこれに生活支援員というスタッフが付き、食事や入浴介助などの支援も受けられる。

 岩手県によると、震災で県内の計13施設が被災し、うち陸前高田市では市内にある6カ所すべてのケアホームが全滅した。暮らしていた知的障害者28人は全員無事だったが、別の障害者向け施設に避難したり、実家に帰省したりして過ごしている。

 被災したケアホームで暮らしながらクリーニングの仕事をしていた40代女性は別の障害者施設で避難生活を送るが「早く自分の部屋に戻って、仕事をしたい」と漏らす。

 支援スタッフの菅野志保さん(27)も「日中何もできることがなく、避難している施設内でも行き場がない。生活のリズムを失っており、早く居場所を作ってほしい」と訴えている。

 また、宮城県によると、同県内のグループホーム、ケアホーム335施設のうち全壊や使用不能が計26施設に上る。福島県内でも8施設が被災し、いずれも被害は軽微とみられるが、福島第1原発事故の影響で一部の利用者が避難生活をしているという。

 新潟県中越地震(04年)では仮設住宅をグループホームに活用するケースがあった。ただ「日本グループホーム学会」事務局長の室津滋樹さんは「仮設住宅には障害者や高齢者向けの優先枠が設定されているが、一角にまとめてしまうと孤立を招く。仮設住宅でもコミュニティーを形成できるよう、計画的に建設していくべきだ」と指摘している。

毎日新聞 2011年4月16日

時代を駆ける:吉松政春/9 常に危険と隣り合わせ

2011年04月17日 01時11分57秒 | 障害者の自立
 ◇MASAHARU YOSHIMATSU

 《東京都豊島区のJR目白駅で1月、全盲の男性がホームから線路に転落し、電車にはねられ死亡する事故が起きた》

 事故直後から視覚障害者のメーリングリストで話題になりました。「自分も落ちたことがある」って。誰もが「一度落ちたらホームを歩くのが怖くなる」と言います。

 視覚障害者の3人に1人は落ちた経験があると言いますが、私も盲学校に通っていた頃、西鉄福岡駅(福岡市)のホームから落ちたことがあります。雨の日だったので両手に傘と白杖(はくじょう)を持っていたんですが、ポケットかバッグから定期券を出そうとして白杖をつかないでいたら、線路に落ちた。たまたままっすぐ落ちてスッと立ったのでけがもなく、終点でもあったので大丈夫でしたが、「ホームってこんなに高かったのか」と驚いたのをよく覚えています。

 視覚障害者は常に危険と隣り合わせです。ホームからの転落事故を防ぐには、やっぱりホームドアを設置するのが一番いいと思います。それでもなかなか整備が進みません。73年にJR高田馬場駅(東京都新宿区)で、視覚障害者がホームから落ちて電車にはねられる事故があり、その後訴訟になって騒がれましたが、30年以上たっても状況は当時とあまり変わりがないなと思いますね。

 ホームドアがあれば線路に落ちる危険を考えなくてもいいし、障害者だけでなく一般の人にとっても安全なはずです。ホームドアがあって困る人はいないはず。障害者が楽に暮らせる社会というのは、一般の人も楽に暮らせる社会のはずなんですけどね。

 《より良い社会にしていくためには声を上げ続けるしかないと思う》

 自分たちが声を上げていかなければ何も変わらないと思います。若い頃は自分のことを話すのが嫌でした。でも年を重ねるに連れ、当事者が話さないと分からないことがまだまだたくさんあると気付きました。やはり視覚障害者自身が視覚障害者であると感じないで生きていけるような社会が一番の理想。視覚障害者の先輩として、一人の教諭として、次世代のためにやるべきことがたくさんあると思っています。


人物略歴

 ◇よしまつ・まさはる

 福岡県立北九州視覚特別支援学校の全盲の校長。57歳(写真は2月、北九州市で。白杖1本でどこへでも出かけていく吉松さん)


毎日新聞 2011年4月16日 東京朝刊

宮崎市最多31件 10年度の成年後見制度首長申し立て

2011年04月17日 01時09分52秒 | 障害者の自立
 認知症の高齢者や知的障害者らの財産や権利を守る「成年後見制度」で、市町村長がその親族に代わって後見人を立てる「首長申し立て」が、宮崎市で2010年度、31件と過去最多だったことが分かった。

 市は、身寄りのない認知症の高齢者の増加が主な原因としている。

 同制度は、認知症の高齢者や知的障害者の預金を管理したり、悪徳商法被害から守ったりすることが狙い。

宮崎日日新聞

精神障害の回復支援 松山でフットサル教室

2011年04月17日 01時08分23秒 | 障害者の自立
 愛媛FCは16日、松山市一番町3丁目の愛媛フットサルパークで精神障害者対象のフットサル教室を行い、県内の通院患者12人が汗を流した。
 愛媛FCは同障害の回復支援や社会復帰へのサポートの場にしようと、2008年から定期的に技術指導を実施。大阪で開催される全国大会にも毎年チームを送り出している。
 本年度初の教室では、左右からのパスや後方からの浮き球を直接合わせるシュート練習やフルコートのゲームなど実戦的なメニューを実施。参加者は「ナイスシュート」などと声を掛け合いながら真剣にボールを追っていた。

愛媛新聞

東日本大震災:浅漬けで再起誓う 工場全壊、岩手・田野畑の障害者施設

2011年04月17日 01時06分28秒 | 障害者の自立
 ◇避難中国女性がレシピ、野菜作りから挑戦

 東日本大震災では多くの障害者施設が設備や仕事を失い、苦境に立たされている。岩手県田野畑村の授産施設「ハックの家」(竹下美恵子理事長)は津波でイカ加工工場が全壊し、収入の大半を断たれた。再開のめどは立たず、職員らは経験のない農業に活路を見いだすことにした。そのきっかけは震災後、作業場に受け入れた中国人避難者が作った漬物の味だった。【関雄輔】

 施設には主に知的障害のある10~70代の25人が通い、織物製品や菓子、加工食品などを作っている。震災後、竹下理事長の発案で避難所での集団生活が難しい障害者や外国人ら25人を海から離れた作業場に受け入れた。

 その中に勤務先の寮が流された張静霞(ちょうせいか)さん(33)ら中国人女性6人がいた。言葉はほとんど通じなかったが、次第に一体感が強まり、避難者も料理を振る舞うようになった。張さんらが作ったのが刻んだキュウリをニンニクやネギ、唐辛子などと混ぜた浅漬けで、「ご飯に合う」「初めての味」と大好評だった。

 失った水産加工場から年約1000万円の収入を得ていた。施設の存続が危ぶまれたが、竹下理事長が「漬物を野菜から作って売り出そう」と職員や通所者に声を掛けた。3月末、張さんらはレシピを書き残し再び日本に来ることを約束して帰国した。

 その後、岩手県宮古市の農家から約10アールの畑を借りることが決まった。5月中に種まきなどを始め、秋にはインターネットなどを通じて発売する予定だ。張さんらのレシピを基に試作品の改良を重ねている。

 通所者で数年前から水産加工場で就労訓練していた金子忠次さん(56)は「働いていないと落ち着かない。協力して頑張りたい」と意気込む。

 竹下理事長は「地震でたくさんのものを失ったが、新たな出会いや人の助けがあって再び歩き出せた。漬物が田野畑村の名物になるよう、気合を入れて前に進みたい」と笑顔を見せた。

毎日新聞 2011年4月16日 東京夕刊