右手が義手というハンディをものともせず、健常者の競技大会で活躍しているアマチュアゴルファーがいる。大田原市の県職員、小山田雅人さん(43)だ。五年前からは病魔とも闘いながら「自分の頑張る姿で、障害者や闘病中の人を勇気付けたい」と熱い思いを胸に挑戦を続けている。
二歳の時に事故で右手を切断したが、小学三年から始めた野球で頭角を現し、中学時代には投手として県大会で準優勝。「スポーツと出会えたおかげで劣等感がなかった」と笑顔で振り返る。
ゴルフにのめり込んだのは三十歳を過ぎてから。「努力次第で、健常者と同じ舞台に立てるスポーツ」だと気付いたからだった。義手を巧みに使う独自のスイングを考案し、平均飛距離二六〇ヤード、ベストスコア六八というプロ顔負けの腕前になった。県内の競技大会では毎回、決勝まで進出。二〇〇五年には米国で開かれた国際障害者ゴルフ大会で、部門別優勝、総合三位の好成績を残した。
脳腫瘍の発病という厳しい試練に直面したのは、その年の十二月だった。「後遺症が残れば、もうクラブは握れない」と覚悟し、ゴルフセット一式を捨てて手術に臨んだ。
腫瘍は全て除去できなかったものの、何とか成功。手術後の体力低下や、病気が再発する不安に苦しみながらも、妻朗子さん(39)から「前を向いて生きよう」と励まされ、徐々に意欲を取り戻す。
〇九年の県アマ選手権では二位になり、頂点まであと一歩に迫る復活を遂げた。今では、全国の障害者ゴルファーから目標にされるまでになった。県職員の仕事の傍ら、障害者にゴルフを指導したり、人権教育の一環として学校で講演をしたりと、活動の幅も広げている。
「もし右手があったら」。そう聞かれると、決まって「手がなかったからこそ、人一倍努力して、ここまで来られたんです」と答える小山田さん。「ないものを嘆くより、あるものに感謝して生きてきた。障害者ゴルファーの第一人者として走り続け、生きることの素晴らしさを伝えていきたい」。持ち前の明るさと素朴な語り口の中に、不屈の精神をのぞかせた。
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