「心の中の被害は消えない」「(らい予防法は)家族を苦しめるだけの法律だった」―。21日、名護市で開かれたハンセン病市民学会。療養所退所者や遺族らが、根強い偏見や差別に苦しめられた体験を率直に語った。学会には県内外から大勢の人が参加。ハンセン病問題への理解を深めた。
第1部は「ハンセン病回復者のいま」をテーマに討論。全国ハンセン病療養所入所者協議会会長の神美知宏(こうみちひろ)さんが、全国の入所者の平均年齢が81・6歳と高齢化していることから「人生の終末期を迎える中で、まともな人間として全うできるかの瀬戸際」と切迫した現状を説明。今後の療養所の在り方として「国が犯した過ちの歴史を残し、二度と過ちを起こさないためにも医療提供の場として残したい」と支持を求めた。
沖縄愛楽園ボランティアガイドを務める退所者の平良仁雄さんは、らい予防法廃止から15年たった今でも「心の中の被害は生きている」と吐露。身体に残る後遺症を隠したり、病気だったことが怖くて言い出せなかったりするなど「顔を隠して社会で生活しているのが実態」と述べた。
実名公表のきっかけは、自身の体験談に涙を流し聞く人たちが周囲にいると気付いたこと。「一人一人にいたわる心があれば問題は解決する。回復者と接してほしい」と理解を求めた。
ハンセン病回復者家族・れんげ草の会の宮里良子さんは、親の病気を隠しながら生きたつらい経験を報告。「父の死ぬ間際にも、職場に姉が病気だとうそをついて療養所に行った。そして親の病気を隠すことを覚えていった」と振り返った。
「なんとか一歩を踏み出したい」との思いから、手記「生まれてはならない子として」を発刊。「同じ思いなんだと思ってくれれば」と遺族への思いを語った。
第2部では、療養所退所者とHIV薬害被害者、障がい者らが共生社会について意見を交換した。退所者の金城幸子さんは、差別と偏見の連鎖を断つには「(社会的弱者の)当事者同士で手を取り合い、声を上げることが大切だ」と指摘。障害者の権利条例制定を目指して活動しているチーム沖縄代表の上里一之さんは、教育現場で人権教育としてハンセン病問題を積極的に取り上げるよう強調した。
北海道HIV訴訟元原告の井上昌和さんは、ハンセン病問題に取り組む中で勇気をもらい、実名公表に踏み切った。療養所を「人権の砦(とりで)になってほしい」と人権教育の拠点とするよう提案した。
精神障がいのある新里よし子さんは、自分に打ち勝つことの難しさを病気になり実感したと語った。
沖縄タイムス
第1部は「ハンセン病回復者のいま」をテーマに討論。全国ハンセン病療養所入所者協議会会長の神美知宏(こうみちひろ)さんが、全国の入所者の平均年齢が81・6歳と高齢化していることから「人生の終末期を迎える中で、まともな人間として全うできるかの瀬戸際」と切迫した現状を説明。今後の療養所の在り方として「国が犯した過ちの歴史を残し、二度と過ちを起こさないためにも医療提供の場として残したい」と支持を求めた。
沖縄愛楽園ボランティアガイドを務める退所者の平良仁雄さんは、らい予防法廃止から15年たった今でも「心の中の被害は生きている」と吐露。身体に残る後遺症を隠したり、病気だったことが怖くて言い出せなかったりするなど「顔を隠して社会で生活しているのが実態」と述べた。
実名公表のきっかけは、自身の体験談に涙を流し聞く人たちが周囲にいると気付いたこと。「一人一人にいたわる心があれば問題は解決する。回復者と接してほしい」と理解を求めた。
ハンセン病回復者家族・れんげ草の会の宮里良子さんは、親の病気を隠しながら生きたつらい経験を報告。「父の死ぬ間際にも、職場に姉が病気だとうそをついて療養所に行った。そして親の病気を隠すことを覚えていった」と振り返った。
「なんとか一歩を踏み出したい」との思いから、手記「生まれてはならない子として」を発刊。「同じ思いなんだと思ってくれれば」と遺族への思いを語った。
第2部では、療養所退所者とHIV薬害被害者、障がい者らが共生社会について意見を交換した。退所者の金城幸子さんは、差別と偏見の連鎖を断つには「(社会的弱者の)当事者同士で手を取り合い、声を上げることが大切だ」と指摘。障害者の権利条例制定を目指して活動しているチーム沖縄代表の上里一之さんは、教育現場で人権教育としてハンセン病問題を積極的に取り上げるよう強調した。
北海道HIV訴訟元原告の井上昌和さんは、ハンセン病問題に取り組む中で勇気をもらい、実名公表に踏み切った。療養所を「人権の砦(とりで)になってほしい」と人権教育の拠点とするよう提案した。
精神障がいのある新里よし子さんは、自分に打ち勝つことの難しさを病気になり実感したと語った。
沖縄タイムス