ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

報道されなくなったとき、避難所はどうなるのか――陸前高田市

2011年05月24日 02時26分45秒 | 障害者の自立
 4月1日、私は陸前高田市の第一中学校へ向かった。第一中学校は高台にあり、津波の被害はなかった。現在、中学校の体育館は避難生活の中心になっている。高台を降りて行くと、近くのコンビニエンスストア「ローソン」の仮店舗がある。ここは市内で唯一、営業を再開しているコンビニだ。

 ちなみに、近くにある高田小学校は冠水。高田保育園は津波に飲まれてしまった。高田高校では生徒18人が死亡、4人が行方不明になっている。

●高齢者が多い避難所、要介護者も

 避難所生活は刻々と変化している。避難所の代表、避難生活者などはその後、変わっているので、以下はあくまでも「4月1日現在」ということを前提に読んでほしい。

 この日、避難所の代表(当時)で、商工会の事務局長も務めている中井力さん(61歳)に話を聞いた。中井さんによると、第一中学校で避難生活をしている人は、震災から5日目が最大で1400人ほどが集まった。

 年齢層は高齢の方が多いという。「陸前高田の高齢化率は33%ですが、体育館に避難している人たち(の高齢化率)は、それをはるかに超えています」(中井さん)

 乳幼児は約10人。「保育士が必要ではありますが、親子で避難しているのでそのあたりは、おまかせになってしまっている」

 このほか、視覚障害者や要介護者もいる。有資格者のボランティア派遣をしているNPOなどもあるが、積極的に連絡を取ることはない。ただ、そうしたNPOが出向いてきた場合は、歓迎する姿勢を見せていた。

 こうした状況での避難所運営は楽ではないが、「誰かが避難所運営をしないといけない。去年の3月まで、市の職員でした。こういう時には率先してやっていかないといけない」と中井さんは話す。公のために自らが働く精神は、公務員を辞めた後でも続いている。同時に、商工会が仮事務所を作り、仕事が始まっているという。「商工会での仕事をしながら、避難所でのお世話をしています」

 避難所の運営は、各行政区からの推薦者10人ほど集めた。ボランティアは20人ほどがいる。料理担当者も決めた。

 避難所では、何が足りないのか。「これ(避難生活)は長期戦になります。今、足りていても、将来どのようになるのか分からない。いつか足りなくなるかもしれない」

 長期にわたる避難生活で何が不足するのかは、その時その時の状況によって変わってくるという。どのような支援物資が届くのかでも変わってくる。ちなみに、この日のインタビューで困っていたのは「調味料」だった。

●屋上で一夜を過ごした。雪が降っていた

 体育館で生活をしている、金野剛さん(74歳)は震災の当時は市役所の屋上で一晩を過ごした。雪が降っていた、という。屋上には東側に70〜80人、西側に40人ぐらい逃げのびた人たちがいた。

 「暗闇から『助けて!』という声があちこち聞こえた。誰がどこにいるのか見えない。どうしようもなかった」

 そこから見えるのは、市民会館、ふれあいセンター、スーパーだが、その屋根まで津波が来ていた。第1波が最も大きく、4回目あたりも大きな波だった。5回目くらいからはおさまってきていたという。

 屋上には翌日の午後6時ぐらいまでいた。その後、第一中学の体育館で家族4人で過ごしている。家は市役所のそば。そのおかげで助かったという。

 「最初、大きな地震があって、大津波警報があったので市庁舎へ逃げた。入れてくれたので、4階の屋上へ行ったんです。津波は3階のフェンスまで来た。避難する前、用事があって出かけており、車の中でラジオを聞いていたんです。そしたら、釜石ではもう津波が来ているとのことだった。そのため『ここにも来る』と思った」

 急いで家に帰り、避難所になっているふれあいセンターに向かおうとしたときには、すでに黒い波が見えていたという。高さは17〜18メートルを超えていたのではないかと見ている。「線路の手前に2階建ての建物があったんだが、それを超えていた」(金野さん)

 大切なものを取りに戻って亡くなった人がいる、という話を、今回の取材では何回か耳にすることがあったが、金野さんは、「あれも、これも置いてきてしまったとは思ったが、取りに戻ることは考えなかった」と話す。

 「還暦野球をしているが、野球仲間とまだ連絡がついていない人もいる。住んでいた地域の区長さんも亡くなった」

●お菓子が食べたい

 地震の時は「15日に行われる卒業式の予行練習をしていた」というのは、第一中学の千葉拓也くん(13歳)。

 「地震がおさまったら校庭に行きました。すると、大津波警報が鳴った。津波は見なかったが、友達が言うには『海が広がっているみたいだ』と。でも、ここは高台にあるので、ここまでは来ないだろうなと思った」

 その後、体育館へ来た。家族は無事だった。「兄ちゃんは東京にいて、お父さん山形にいるので、岩手県にいない。お母さんは、働いているところのスタッフの車で逃げたので無事だった。助かってよかった」

 避難生活での大変さについては「トイレが和式なのと、飲み物が足りない。お菓子があるとうれしい。昼間はテニスができるのでストレス解消にはなる」と話していた。

●報道されなくなったら、避難所はどうなるのか

 代表の中井さんが心配していることがある。家族を亡くした人が多い中で、心のケアをどうするのか。

 「心のケアについては、今は、ボランティアスタッフが来てくれている。しかし家族全員亡くし、ひとりぼっちになってしまったという人もいる。相当数が家族を亡くしている。ここにいて、みんなでわいわいしている時はいい。でも、ひとりぼっち、家族単位になった時に、どのような精神状態になるのか……すごく心配です」

 阪神淡路大震災でも指摘されていたことだが、避難所生活の時よりも仮設住宅に移ったときに、そうした人は孤立してしまうのではないか。中井さんはそれを心配している。心配事はそれだけではない。

 「全国からの支援がなければ生活ができない。本当にありがたい。いまは報道(取材)も来ている。しかし長くなれば、報道も冷えてくる。そのときはどうするのか」

 テレビや新聞で報道が数多くされる初期段階は、全国からの注目を浴び、支援物資やボランティアもそれなりに集まってくる。ただ次第に街が片付き、公共施設もそれなりに整備され、徐々にプライベート空間ができ、仮設住宅が整備されていくと、「復興」のイメージができていく。そうした段階にも、必要な支援はあるはずだが、支援の必要性は目には見えにくくなる。

 支援は長期的に考えてほしい。それは中井さんだけでなく、多くの被災者が望んでいることだろう。(続く)

●渋井哲也(しぶい・てつや)氏のプロフィール

 1969年、栃木県生まれ。フリーライター、ノンフィクション作家。主な取材領域は、生きづらさ、自傷、自殺、援助交際、家出、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪など。メール( hampen1017@gmail.com )を通じての相談も受け付けている。

 著書に『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎)、『解決!学校クレーム』(河出書房新社)、『学校裏サイト 進化するネットいじめ』(晋遊舎)、『明日、自殺しませんか?』(幻冬舎)、『若者たちはなぜ自殺するのか?』(長崎出版)など。メールマガジン 「悩み、もがき。それでも...」を刊行中。


NCN(ニコニコニュース)

障がい者スポーツを紹介する冊子が誕生

2011年05月24日 02時18分12秒 | 障害者の自立
スポーツ参加のきっかけとなれば
兵庫県内にある障がい者スポーツ団体や、スポーツ施設からなる「障がい者スポーツネットひょうご」が障がい者スポーツを詳細に紹介する冊子を作成した。

障がい種別に競技を紹介

冊子はスポーツネットひょうごが、障がい者にスポーツ競技を知り、始めるきっかけをつかんでもらうために2009年から製作を企画していたもの。増田和茂・県立障害者スポーツ交流館所長らを中心に編集作業を進行し、今年の3月に完成させた。

冊子では肢体不自由・視覚障がい・聴覚障がい・知的障がい・精神障がいと、障がい別に参加可能な競技を紹介。その競技の歴史やルールのほか、県内障がい者スポーツの拠点施設や、大会なども紹介している。

4000部のうち1000部は県内の施設や特別支援学校などに配布された。現在冊子は神戸市西区の県立障害者スポーツ交流館で配布しており、また同館へ返信用切手を送ることでも入手可能となっている。



神戸新聞

要約筆記の輪を広げよう、筆記者の必要性をPR/逗子

2011年05月24日 02時12分46秒 | 障害者の自立
 「三浦半島地区・要約筆記の輪を広げようの集い」が22日、逗子文化プラザで開かれた。難聴者や要約筆記者ら52人が参加し、要約筆記の拡大策などについて話し合った。

 「三浦半島地区・要約筆記の輪を広げようの会」の主催。逗子中途失聴・難聴者の会「みみ」(大塚和之代表、会員数15人)と、逗子筆記通訳サークル「なみ」(轡田京子代表、会員数14人)が主管した。

 要約筆記は、聴覚障害者に音声情報を伝達する筆記通訳のことで、主に手書きとパソコンで行う。中途失聴者や難聴者の多くは手話を習得していないことから、社会参加には要約筆記が欠かせないという。

 当日は「行政の主催する催し物に要約筆記をつけるように働き掛けた」「小学校で要約筆記を紹介した」といった各地区の活動実績を報告。今後の取り組みでは「機会を通じて要約筆記者の存在をアピールする」「障害者手帳を持っていない高齢者にも活動を広げる」「福祉教育の場で要約筆記を体験してもらう」などのアイデアが出された。

 中途失聴者や耳の聞こえが不自由な人は講演会などの催しに出掛けても話の内容が分からないため、社会参加をあきらめる例が少なくないという。現状は要約筆記者の数が著しく不足しているため、「筆記者の養成を含め、その必要性をPRしていきたい」と同会は話している。

カナロコ(神奈川新聞)

LS福岡全国初V逃す、ブラインドサッカー

2011年05月24日 01時55分09秒 | 障害者の自立
 ボールの鈴の音や指示役の声をたよりに視覚障害者がプレーする「ブラインドサッカー」の全国大会決勝トーナメントが22日、福岡市東区であった。九州初開催の大会で初優勝をめざした九州唯一のチーム「ラッキーストライカーズ(LS)福岡」は、決勝で茨城県の強豪に1―2で惜敗し準優勝だった。


 8チームが参加。ゴールキーパー以外の選手は目隠しなどを着け、スペイン語で「行くぞ」の意味の「ボイ!」と声をかけながら、激しくボールを奪い合った。


 LS福岡は予選をグループ2位で通過し、準決勝は1―0で勝利した。決勝は前半に先制ゴールを決めたが追いつかれ、後半終了間際に勝ち越された。三原健朗主将は「中盤以降の体力が課題」と悔しがった。


 LS福岡は、アビスパ福岡のホームタウン推進部のコーチらに指導を受けてきた。彌冨(いや・とみ)圭一郎監督は試合後、涙を流す選手たちに「チーム力は上がっている。もう一度このメンバーで上をめざそう」と雪辱を誓った。


 大会の最優秀選手には、計6得点を挙げたLS福岡の森良太選手が選ばれた。


決勝戦で、相手からボールを奪うLS福岡の三原選手=福岡市東区香椎浜ふ頭1丁目

朝日新聞

視覚障害ランナー 声援受け駆けた

2011年05月24日 01時51分52秒 | 障害者の自立
 視覚障害者と健常者が一緒に走る県内のランニングクラブ「てんとう虫パートナーズ」の14人も大会に出場した。

 男子5キロに出場した佐藤陸夫さん(71)は、クラブ代表の砂金(いさご)則男さん(69)の伴走で、目標の40分を切る37分でゴールした。

 高校時代、陸上部に所属していた佐藤さんは40歳代半ばの時に患った網膜色素変性症で視力を失い、走ることを諦めていたが、3年前からクラブに参加し、練習を重ねてきた。

 今回初めてマラソン大会に出場した佐藤さんはゴール後、「大会に出場し、完走できるなんて思ってもみなかった。走る喜びを取り戻せた」と笑顔で話した。

 谷本邦恵さん(59)も女子5キロで、初めての本格的なマラソン大会を走りきった。不安もあったが、伴走者が「右側に海が広がってるよ」などと声をかけてくれたといい、「島の景色を想像しながら走ることができたし、声援も力になった。来年は10キロに出場したい」と晴れやかな表情だった。

 同クラブからは、10月30日に開かれる大阪マラソン(読売新聞社共催)に2人が出場する。その一人、高松市錦町の派遣社員高井規子さん(49)はハーフで伴走。「いい準備になった。大阪では、出場できない仲間のためにもいい記録を出したい」と話した。

(2011年5月23日 読売新聞)