■帰れるものなら今すぐ
笛吹市に避難し、病院で介護福祉士として働き始めてから1カ月以上がたった。「お世話になっている分を返していきたい」。生活にリズムが生まれ、少しずつ気持ちに余裕を取り戻しつつある。
地震が起きた3月11日は、福島県相馬市の障害者支援施設で勤務していた。窓ガラスが割れ、入所者五十数人がホールで過ごした。いつもと違う環境に入居者は不安で暴れたり、発作に襲われたりした。救急車で運ばれたものの受け入れ先が見つからず、戻ってきた人もいた。
24時間態勢で付き添っていた職員の疲労も限界に達していた。2日経ってようやく電話が通じるようになり、「迎えに来られる人は来てほしい」と入居者の家族に連絡した。
自宅は、東京電力福島第一原発の20キロ圏内からわずかに離れた南相馬市原町区にある。震災後から20キロ圏内に住む親戚が身を寄せていた。勤務を終えた3月16日、皆で避難することを決めた。ガソリンや家族の事情で移動できない人もいるなかでの、苦渋の決断だった。
丸1日かけて山梨にたどり着き、笛吹市の市営住宅に入居した。家具や洋服、食料などの支援を受けながら、今は父と2人で暮らす。市の紹介で、7年近い介護福祉士の経験を生かせる、今の職場が見つかった。
事情を知った同僚や入居者が話を聞き、気遣ってくれる。「すべての面で支えていただき、感謝している」と言葉は尽きない。いまは契約社員だが、正社員としての雇用も打診された。初任給は、光熱費と洋服代にあてるつもりだ。
4月30日には、片道8時間かけて久々に自宅へ足を運んだ。瓦が落ちた程度で住めないことはないが、周囲の店は閉まったままだ。原発への不安もぬぐえない。複雑な気持ちを抱きつつ、「長期戦」を見越して冬タイヤを車に積み込み、日帰りで山梨に戻った。
「一時的な避難」と考えていた山梨での暮らしが落ち着いていく一方で、いっこうに見通しの立たないふるさとの姿にもどかしさが募る。
「帰れるものなら、今すぐにでもうちに帰りたい」。願いは、たった一つだけだ。
朝日新聞 -
笛吹市に避難し、病院で介護福祉士として働き始めてから1カ月以上がたった。「お世話になっている分を返していきたい」。生活にリズムが生まれ、少しずつ気持ちに余裕を取り戻しつつある。
地震が起きた3月11日は、福島県相馬市の障害者支援施設で勤務していた。窓ガラスが割れ、入所者五十数人がホールで過ごした。いつもと違う環境に入居者は不安で暴れたり、発作に襲われたりした。救急車で運ばれたものの受け入れ先が見つからず、戻ってきた人もいた。
24時間態勢で付き添っていた職員の疲労も限界に達していた。2日経ってようやく電話が通じるようになり、「迎えに来られる人は来てほしい」と入居者の家族に連絡した。
自宅は、東京電力福島第一原発の20キロ圏内からわずかに離れた南相馬市原町区にある。震災後から20キロ圏内に住む親戚が身を寄せていた。勤務を終えた3月16日、皆で避難することを決めた。ガソリンや家族の事情で移動できない人もいるなかでの、苦渋の決断だった。
丸1日かけて山梨にたどり着き、笛吹市の市営住宅に入居した。家具や洋服、食料などの支援を受けながら、今は父と2人で暮らす。市の紹介で、7年近い介護福祉士の経験を生かせる、今の職場が見つかった。
事情を知った同僚や入居者が話を聞き、気遣ってくれる。「すべての面で支えていただき、感謝している」と言葉は尽きない。いまは契約社員だが、正社員としての雇用も打診された。初任給は、光熱費と洋服代にあてるつもりだ。
4月30日には、片道8時間かけて久々に自宅へ足を運んだ。瓦が落ちた程度で住めないことはないが、周囲の店は閉まったままだ。原発への不安もぬぐえない。複雑な気持ちを抱きつつ、「長期戦」を見越して冬タイヤを車に積み込み、日帰りで山梨に戻った。
「一時的な避難」と考えていた山梨での暮らしが落ち着いていく一方で、いっこうに見通しの立たないふるさとの姿にもどかしさが募る。
「帰れるものなら、今すぐにでもうちに帰りたい」。願いは、たった一つだけだ。
朝日新聞 -