聴覚障害者福祉と手話通訳者の社会的地位の向上を目指して、手話通訳や聴覚障害者問題についての研究・運動を行う全国組織。長崎支部は1983年に全国で27番目の支部として発足し、現会員は約270人。
支部独自の取り組みとして、当初からろうあ被爆者の聞き書きを開始。「手よ語れ」のほか、英訳版「SILENT THUNDER」、写真集「ドンが聞こえなかった人々」を出版し、ビデオ版も制作した。
84年から平和祈念式典の遺族席に独自に手話通訳を付け、88年には長崎市の予算化が実現。現在は正面ステージ上で手話通訳が行われるようになった。
(2011年7月2日掲載)
手で語る被爆 手話通訳問題研究会長崎支部 ろうあ者証言聞き取り28年 文章、映像で伝える
66年前、原爆の閃光(せんこう)を見たが、爆音が聞こえなかった人たち-。県内では約100人のろうあ者が被爆し、約30人が死亡したとされる。生き残った人たちも、障害のため原爆の実態が伝わらず、被爆体験も埋もれがちだった。風穴を開けたのは全国手話通訳問題研究会(全通研)長崎支部。結成の1983年以来28年間、手話での聞き取りを続け、体験を文章や映像に残してきた。
「聞こえない人の心のひだを読み、一言の裏側にある時代背景や、思いを文章にしていきましょう」。先月、長崎市であった聞き取り内容の「編集会議」で、当初から活動に携わる手話通訳士の宮本マキ子さん(59)は、参加者に語り掛けた。昨年2月から始まった泉忠夫さん(73)=長崎市松が枝町=からの聞き取りに参加しているのは約15人。戦後生まれがほとんどで、半数以上は初めての参加だ。
聞き取りの対象期間は、誕生から現在まで。何度も自宅に通って手話で話し込む。被爆当時の記憶をたどって街も一緒に歩く。親兄弟や知人からも話を聞く。言葉の裏側にあるものを探るため、社会状況や歴史的背景、制度を本で調べる。一人の体験をまとめるのに、2―3年かかることもある、地道な作業だ。
■ ■
83年に聞き取りを始めようとしたときは、ろうあ者の被爆実態がまったく分からなかった。県ろうあ協会に協力を仰ぎ、アンケートをすることから取り掛かった。長期間の聞き取りで明らかになってきたのは、被爆から数十年経っても救済から取り残されていた人々の姿だった。
障害のため放射能や被爆の意味が分からずに過ごしてきた人、被爆者健康手帳の存在すら知らなかった人。戦時中、戦後の混乱期で十分な教育が受けられず、読み書きが出来ない人…。支部長の長野秀樹さん(53)は「ろうあ者特有の困難な状況が、次々と分かってきた」と説明する。
これまで23人から聞き取り、86年には証言集「手よ語れ」を出版した。8月9日の平和祈念式典に、手話通訳者を置くことを働き掛けて実現させ、2003年には山崎栄子さん(84)がろうあ者として初めて被爆者代表となり、手話で「平和への誓い」を世界へ発信した。
■ ■
感情を手だけでなく、顔や体全体を使って伝えようとする手話には、言語を超えた特別な力や意味があるという。宮本さんは、「手話を見ていると、だんだんと、傷口のうじ虫が見えたり、焦土となった街に漂うにおいが感じられるような気がしてくる」と言う。
そのため、全通研は証言を映像に残し、手話の説明や訳文を書き起こす作業も進めている。今後は、手話サークルの教材などにも活用してもらう考えだ。聞き取りに参加している内田旬一さん(55)は「文字以上に、被爆したときの不安や、戦後の苦しみが伝わってくる」と話す。
被爆体験を語れるろうあ者がいなくなる日が、いずれはやってくる。長野さんは「体験継承には、若いろうあ者も巻き込んでいくことが必要だろう。どうやれば、効果的に当時のことを伝えられるか。その方法を考えていかなければならない」と話している。
西日本新聞
支部独自の取り組みとして、当初からろうあ被爆者の聞き書きを開始。「手よ語れ」のほか、英訳版「SILENT THUNDER」、写真集「ドンが聞こえなかった人々」を出版し、ビデオ版も制作した。
84年から平和祈念式典の遺族席に独自に手話通訳を付け、88年には長崎市の予算化が実現。現在は正面ステージ上で手話通訳が行われるようになった。
(2011年7月2日掲載)
手で語る被爆 手話通訳問題研究会長崎支部 ろうあ者証言聞き取り28年 文章、映像で伝える
66年前、原爆の閃光(せんこう)を見たが、爆音が聞こえなかった人たち-。県内では約100人のろうあ者が被爆し、約30人が死亡したとされる。生き残った人たちも、障害のため原爆の実態が伝わらず、被爆体験も埋もれがちだった。風穴を開けたのは全国手話通訳問題研究会(全通研)長崎支部。結成の1983年以来28年間、手話での聞き取りを続け、体験を文章や映像に残してきた。
「聞こえない人の心のひだを読み、一言の裏側にある時代背景や、思いを文章にしていきましょう」。先月、長崎市であった聞き取り内容の「編集会議」で、当初から活動に携わる手話通訳士の宮本マキ子さん(59)は、参加者に語り掛けた。昨年2月から始まった泉忠夫さん(73)=長崎市松が枝町=からの聞き取りに参加しているのは約15人。戦後生まれがほとんどで、半数以上は初めての参加だ。
聞き取りの対象期間は、誕生から現在まで。何度も自宅に通って手話で話し込む。被爆当時の記憶をたどって街も一緒に歩く。親兄弟や知人からも話を聞く。言葉の裏側にあるものを探るため、社会状況や歴史的背景、制度を本で調べる。一人の体験をまとめるのに、2―3年かかることもある、地道な作業だ。
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83年に聞き取りを始めようとしたときは、ろうあ者の被爆実態がまったく分からなかった。県ろうあ協会に協力を仰ぎ、アンケートをすることから取り掛かった。長期間の聞き取りで明らかになってきたのは、被爆から数十年経っても救済から取り残されていた人々の姿だった。
障害のため放射能や被爆の意味が分からずに過ごしてきた人、被爆者健康手帳の存在すら知らなかった人。戦時中、戦後の混乱期で十分な教育が受けられず、読み書きが出来ない人…。支部長の長野秀樹さん(53)は「ろうあ者特有の困難な状況が、次々と分かってきた」と説明する。
これまで23人から聞き取り、86年には証言集「手よ語れ」を出版した。8月9日の平和祈念式典に、手話通訳者を置くことを働き掛けて実現させ、2003年には山崎栄子さん(84)がろうあ者として初めて被爆者代表となり、手話で「平和への誓い」を世界へ発信した。
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感情を手だけでなく、顔や体全体を使って伝えようとする手話には、言語を超えた特別な力や意味があるという。宮本さんは、「手話を見ていると、だんだんと、傷口のうじ虫が見えたり、焦土となった街に漂うにおいが感じられるような気がしてくる」と言う。
そのため、全通研は証言を映像に残し、手話の説明や訳文を書き起こす作業も進めている。今後は、手話サークルの教材などにも活用してもらう考えだ。聞き取りに参加している内田旬一さん(55)は「文字以上に、被爆したときの不安や、戦後の苦しみが伝わってくる」と話す。
被爆体験を語れるろうあ者がいなくなる日が、いずれはやってくる。長野さんは「体験継承には、若いろうあ者も巻き込んでいくことが必要だろう。どうやれば、効果的に当時のことを伝えられるか。その方法を考えていかなければならない」と話している。
西日本新聞