<おおさか発・プラスアルファ>
◇24時間張り詰めて
難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う和歌山市の70代男性が、現行1日12時間の公的介護サービスを、24時間に拡大するよう同市に求め、和歌山地裁で争っている。一日中介護が必要な生活とは、どんな暮らしなのか。なぜ法廷闘争にまで至ったのか。昨年9月の提訴取材時から抱いていた思いを胸に、男性宅に足を運んだ。
■足ひきずりながら
6畳の和室の半分を占めるベッドに、男性は横たわっていた。プシューッ、プシューッ……。人工呼吸器が首に通された管を通じて酸素などを送り込む。70代の妻とヘルパーの女性が見守る。自らの意思では動けず、言葉を発することもできない。病気の影響で耳に水がたまり聴力も落ちている。テレビからプロ野球の実況が大音響で流れる。
ALSは、運動をつかさどる神経が侵され、頭脳や感覚は正常なまま全身の筋肉が萎縮していき、「最も過酷な神経難病」とも言われる。男性は06年6月、この病気と診断された。現在、動かすことができるのは左足の小指と眼球、顔の筋肉に限られる。小指で近くにあるセンサーに触れ、パソコンの画面上で文字を入力したり、テレビを操作したりする。パソコンは妻ら周囲の人たちと意思疎通を図る唯一の手段である。
ズズーッ。呼吸器の微妙な音の変化に妻が気付いた。「管が詰まっとるな」。吸引器の細い管を、男性の喉と首元に開けた穴に差し込み、痰(たん)を取り除いた。吸引の回数は平均すると30分で2、3回ほどだ。ヘルパーと交代で吸引するが、四六時中、耳を澄ましていなければいけない。
「神経を使う。体がきつい」。妻は高血圧に加え、5年ほど前から左足の関節が痛み通院してリハビリをしている。ゆっくりゆっくり左足をひきずるように歩く。部屋から部屋への移動でさえつらそうだ。
■ボランティアで
男性の一日はおおむね次のように過ぎていく。
午前6時ごろ起床、歯磨き、顔拭き▽午前6時半~7時半、流動食による食事▽9時半~10時、入浴剤入りの湯を使ったタオルでの体拭き(金曜日は10時半~11時半、入浴)▽正午~午後1時、流動食(火、木曜は1時半ごろから全身マッサージ)▽6~7時、流動食▽9時半~10時、痰が出やすくするための体位替え▽11時ごろ、就寝。就寝後も痰が詰まれば呼吸器の警報が鳴り、すぐ対処する必要がある。
就寝までの介助のほとんどを担当の女性ヘルパー2人が交代で担う。しかし、市が認める12時間では、夜には時間切れだ。就寝前の体位替えも妻一人では重くてできず、担当ヘルパーが「お母さん一人にはさせられない」と、夜もボランティアで家にとどまっている。「本当によくしてくれる。助かる。けどな、申し訳ない」。妻は畳に視線を落とした。ALS患者の中には、周囲への介護の負担を気兼ねして、呼吸器の装着をためらう人も少なくないという。
■基準明示されず
厚生労働省によると、全国のALS患者は約8500人(09年度末現在)。原告側の長岡健太郎弁護士は「ALS患者は1人で生活することが困難で、他府県では24時間介護が認められているケースもある」といい、京都市や千葉市などでは配偶者のいない患者に24時間介護を認めている。
サービス支給決定の根拠となる障害者自立支援法は、各市町村に判断を委ねる。患者・家族への聞き取り調査のマニュアルは全国で統一されているが、決定基準は明示されておらず、「ばらつきが生じている」と自治体関係者は説明する。「配偶者がいると認めにくい」(京都市の担当者)との指摘もある。和歌山市は一般論と前置きした上で、「配偶者がいる場合でも『寝たきり状態』『仕事をしている』など、介護できない状態なら24時間介護を認める」と説明する。
確かに男性の妻は寝たきりでも仕事をしているわけでもないが、現実に1日12時間の介護を担えるだろうか。夫婦は過去に、介護サービス時間の見直しを求めて県に不服審査請求も申し立てた。妻は「1週間でも1日でも市の担当者に(私たちの)生活を見てもらえれば分かってもらえるのにな。『裁判で訴える』。これしかなかった……」と無念そうに話す。
男性は自身の思いを、パソコン画面上で文字にしてくれた。「やかんへるぱーなかったらとてもあぶなくてふあんがおおきい(夜間ヘルパーなかったらとても危なくて不安が大きい)」。プロの介護者が常に傍らにいることが、必要不可欠だと訴える。
法廷闘争の間にも病状は進行する。ともに提訴したもう一人の患者は、提訴から1年を前にした今年9月上旬に亡くなった。このような人生の閉じ方があってはならないと、私は思う。
==============
◇裁判の概要
男性への公的介護は、和歌山市が公費負担する1日約8時間(月268時間)と、介護保険分も含めた約4時間の計12時間。男性ら2人の患者は昨年9月、24時間介護を市に求め和歌山地裁に提訴した。地裁は今年9月、妻の年齢や健康状態などを考慮し、介護保険分を含めて1日20時間介護の「仮の義務付け」を命じた。仮の義務付けは、裁判所が行政裁判で判決前に早急な対応が必要として命じる決定だ。しかし、市は「他自治体の判断にも影響を及ぼす」として大阪高裁に即時抗告し、救済は先延ばしとなった。原告側もあくまで24時間介護を求めて即時抗告し、係争は続いている。
毎日新聞 2011年11月16日 大阪朝刊
◇24時間張り詰めて
難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う和歌山市の70代男性が、現行1日12時間の公的介護サービスを、24時間に拡大するよう同市に求め、和歌山地裁で争っている。一日中介護が必要な生活とは、どんな暮らしなのか。なぜ法廷闘争にまで至ったのか。昨年9月の提訴取材時から抱いていた思いを胸に、男性宅に足を運んだ。
■足ひきずりながら
6畳の和室の半分を占めるベッドに、男性は横たわっていた。プシューッ、プシューッ……。人工呼吸器が首に通された管を通じて酸素などを送り込む。70代の妻とヘルパーの女性が見守る。自らの意思では動けず、言葉を発することもできない。病気の影響で耳に水がたまり聴力も落ちている。テレビからプロ野球の実況が大音響で流れる。
ALSは、運動をつかさどる神経が侵され、頭脳や感覚は正常なまま全身の筋肉が萎縮していき、「最も過酷な神経難病」とも言われる。男性は06年6月、この病気と診断された。現在、動かすことができるのは左足の小指と眼球、顔の筋肉に限られる。小指で近くにあるセンサーに触れ、パソコンの画面上で文字を入力したり、テレビを操作したりする。パソコンは妻ら周囲の人たちと意思疎通を図る唯一の手段である。
ズズーッ。呼吸器の微妙な音の変化に妻が気付いた。「管が詰まっとるな」。吸引器の細い管を、男性の喉と首元に開けた穴に差し込み、痰(たん)を取り除いた。吸引の回数は平均すると30分で2、3回ほどだ。ヘルパーと交代で吸引するが、四六時中、耳を澄ましていなければいけない。
「神経を使う。体がきつい」。妻は高血圧に加え、5年ほど前から左足の関節が痛み通院してリハビリをしている。ゆっくりゆっくり左足をひきずるように歩く。部屋から部屋への移動でさえつらそうだ。
■ボランティアで
男性の一日はおおむね次のように過ぎていく。
午前6時ごろ起床、歯磨き、顔拭き▽午前6時半~7時半、流動食による食事▽9時半~10時、入浴剤入りの湯を使ったタオルでの体拭き(金曜日は10時半~11時半、入浴)▽正午~午後1時、流動食(火、木曜は1時半ごろから全身マッサージ)▽6~7時、流動食▽9時半~10時、痰が出やすくするための体位替え▽11時ごろ、就寝。就寝後も痰が詰まれば呼吸器の警報が鳴り、すぐ対処する必要がある。
就寝までの介助のほとんどを担当の女性ヘルパー2人が交代で担う。しかし、市が認める12時間では、夜には時間切れだ。就寝前の体位替えも妻一人では重くてできず、担当ヘルパーが「お母さん一人にはさせられない」と、夜もボランティアで家にとどまっている。「本当によくしてくれる。助かる。けどな、申し訳ない」。妻は畳に視線を落とした。ALS患者の中には、周囲への介護の負担を気兼ねして、呼吸器の装着をためらう人も少なくないという。
■基準明示されず
厚生労働省によると、全国のALS患者は約8500人(09年度末現在)。原告側の長岡健太郎弁護士は「ALS患者は1人で生活することが困難で、他府県では24時間介護が認められているケースもある」といい、京都市や千葉市などでは配偶者のいない患者に24時間介護を認めている。
サービス支給決定の根拠となる障害者自立支援法は、各市町村に判断を委ねる。患者・家族への聞き取り調査のマニュアルは全国で統一されているが、決定基準は明示されておらず、「ばらつきが生じている」と自治体関係者は説明する。「配偶者がいると認めにくい」(京都市の担当者)との指摘もある。和歌山市は一般論と前置きした上で、「配偶者がいる場合でも『寝たきり状態』『仕事をしている』など、介護できない状態なら24時間介護を認める」と説明する。
確かに男性の妻は寝たきりでも仕事をしているわけでもないが、現実に1日12時間の介護を担えるだろうか。夫婦は過去に、介護サービス時間の見直しを求めて県に不服審査請求も申し立てた。妻は「1週間でも1日でも市の担当者に(私たちの)生活を見てもらえれば分かってもらえるのにな。『裁判で訴える』。これしかなかった……」と無念そうに話す。
男性は自身の思いを、パソコン画面上で文字にしてくれた。「やかんへるぱーなかったらとてもあぶなくてふあんがおおきい(夜間ヘルパーなかったらとても危なくて不安が大きい)」。プロの介護者が常に傍らにいることが、必要不可欠だと訴える。
法廷闘争の間にも病状は進行する。ともに提訴したもう一人の患者は、提訴から1年を前にした今年9月上旬に亡くなった。このような人生の閉じ方があってはならないと、私は思う。
==============
◇裁判の概要
男性への公的介護は、和歌山市が公費負担する1日約8時間(月268時間)と、介護保険分も含めた約4時間の計12時間。男性ら2人の患者は昨年9月、24時間介護を市に求め和歌山地裁に提訴した。地裁は今年9月、妻の年齢や健康状態などを考慮し、介護保険分を含めて1日20時間介護の「仮の義務付け」を命じた。仮の義務付けは、裁判所が行政裁判で判決前に早急な対応が必要として命じる決定だ。しかし、市は「他自治体の判断にも影響を及ぼす」として大阪高裁に即時抗告し、救済は先延ばしとなった。原告側もあくまで24時間介護を求めて即時抗告し、係争は続いている。
毎日新聞 2011年11月16日 大阪朝刊