ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

義足のピストリウス 初出場で予選突破

2012年08月06日 01時50分19秒 | 障害者の自立
ロンドン五輪陸上男子400メートル

 歴史の扉を開いた。両脚が義足のオスカー・ピストリウス(南アフリカ)が五輪初出場で準決勝に進出。「いろんな感情が入り交じって言葉にできない」と感慨に浸った。予選で今季自己最高の45秒44をマーク。

 超満員の観客は「オスカー」の大声援。障害者スポーツの枠を超えた“偉大な挑戦”に万雷の拍手が降り注いだ。レース後は各国のメディアから取材を受け「朝から神経質になったが、第二の故郷のような英国で競技人生のハイライトになる経験ができた」と喜んだ。


ロンドン五輪は4日、陸上の男子400メートル予選を行い、南アフリカの義足の選手オスカー・ピストリウスさんが2着になり、準決勝に進出した

スポーツニッポン -[ 2012年8月5日 06:00 ]

立木早絵さん 『夢を見る力 自分を愛して、自分を信じて』

2012年08月06日 01時41分33秒 | 障害者の自立
全盲「特別なことじゃない」

 「目が不自由なのに怖くないのとか、どうしてそんなに前向きに…ってよく言われますけど、私自身は『見るのが苦手』っていうぐらいのとらえ方をしていて、それほど困ったことでもないしなぁ…って感じですね」

 幼いころからの日々を振り返った初めての著書を刊行した。水泳選手として「全国障害者スポーツ大会」で活躍したのをきっかけに、テレビ番組の企画で津軽海峡縦断リレーに成功、さらにトライアスロンを完走し、アフリカ最高峰のキリマンジャロ(標高5895メートル)にも登頂。人並みはずれた行動力は驚きだけど、肩ヒジ張った感じはない。文章もユーモアにあふれ、どこまでも自然体。

 「なんというか、振り返ってみると全部楽しかったことに変わっていて。別に辛(つら)いことが好きなわけじゃないですよ(笑)。これならできるだろうという挑戦より、できるかな?というぐらいのほうが燃えるのは確かですけど」

 “全盲のチャレンジャー”と呼ばれたりするが、目が不自由なのは「そんなに特別なことじゃない」と思っている。字が下手だとか、歌が苦手だとかと同じように、たまたま見るのが得意ではないだけ。それよりなにより、そもそも他人と自分を比較したりしない、という。

 「私は負けず嫌いですけれど、それは自分の中のこと。限界を決めたらそこまでだから、とりあえずやってみたりします。でも、他人と比べてどうだとかはあまり考えないんですよ。そこは生まれもっての性格だと思います」

 東京で暮らしながら、シンガー・ソングライターを目指している。「大好きな音楽に、とにかく長くかかわっていきたい」。そう話す彼女は、本書に「自分を愛して、自分を信じて」と副題をつけた。オジサンが口にするのはちょっと照れくさいけど、19歳の少女に言われるなら、素直にうなずける。

 「自分を大切にできてこそ、まわりの人のことも大切にできるんじゃないかと思っています」。そうだよね、ほんとに。(角川書店・1365円)

【プロフィル】立木早絵

 たてき・さえ 平成4年、和歌山県出身。2歳の時に病気が原因で失明。スポーツ少女としてテレビ番組でさまざまな挑戦をして話題に。オリジナル曲の弾き語りや講演で全国を回っている。



『夢を見る力自分を愛して、自分を信じて』(角川書店)を刊行した立木早絵さん

MSN産経ニュース -2012.8.5 08:49

トガニ 幼き瞳の告発 : 原作者に聞く 主演のコン・ユから「作品に対する愛着が伝わってきた」

2012年08月06日 01時36分49秒 | 障害者の自立
 11年に韓国で公開され、460万人以上の観客を動員した映画「トガニ 幼き瞳の告発」(ファン・ドンヒョク監督)が4日、日本で公開された。今作は、韓国・光州市にある聴覚障害者特殊学校で、校長を含む複数の教職員が、長年にわたって生徒に性的暴行を加えていたというおぞましい事実を映画化したもので、韓国ドラマ「コーヒープリンス1号店」などで知られる人気俳優コン・ユさんが主演している。

 05年の事件発覚後、加害者らは逮捕、裁判にかけられた。だがその判決は、刑が最も重い校長でさえ、執行猶予付きの懲役2年6カ月という不当に軽いものだった。その公判記事を新聞で読んだ、韓国の人気作家コン・ジヨンさんは、判決が理解できず取材を開始。それを基に小説「トガニ」(日本語で「るつぼ」の意)をインターネット上で連載し始めた。そして09年に単行本を出版、さらに11年9月に映画が公開されると、事実を知った国民の怒りが爆発。それは国を動かし、ついには性犯罪者をより厳しく罰する改正法を生むに至った。その法律は小説のタイトルにちなみ、「トガニ法」という別名を持つ。また今年7月には、新たな裁判にかけられていた加害者に懲役12年の判決が下った。それに先立つ6月、来日したコンさんに話を聞いた。(りんたいこ/毎日新聞デジタル)

 --ご自分の小説が国を動かしたことをどう思いますか。また、映画化に対する率直な気持ちをお聞かせください。

 自分の作品によって韓国の法律が改正されたことは、作家としては光栄なことです。同時に、責任の重さも実感しています。映画化については、いままで私の小説は、この「トガニ」を含めて3作品(他に「サイの角のように一人で行け」「私たちの幸せな時間」)が映画化されていますが、この小説の映画化のオファーは16社から来ていました。その点からすると当然の結果だと思っています。

 --兵役中にこの小説をプレゼントされたコン・ユさんが、多くの人にこの事実を知ってほしいと映画化に動いたそうですね。彼ほどの人気俳優が主演することで、映画が実際の事件の内容にそぐわない娯楽作になることは懸念しませんでしたか。

 実は私は普段テレビや映画を見ないので、彼のことを知りませんでした(笑い)。映画化のことを友人に話すと、その友人は「彼にこんな(重たい)役が演じられるわけがない」と言っていました。でも、私にはそういう心配はまったくありませんでした。というのも、コンさんはこの小説について深く理解してくれていましたし、彼自身、兵役を終えたあと、(従来の)ロマンチックな役ばかりではいけないという思いがあったはずです。何より、彼のこの作品に対する愛着が非常に伝わってきたので、安心してお任せしました。

 --小説には事実をどの程度盛り込んだのでしょう。

 実際の事件より加害者、被害者の数を減らしました。その代わり、この事件を第三者の目を通して伝えたかったので、(被害児童に寄り添う)教師(コンさん)や人権センターの女性幹事(チョン・ユミさん)を作り、登場させました。そのほかの事件の経緯や裁判過程などは、ほぼ事実に忠実に描いています。

 --本当に事件があった光州ではなく、霧津(ムジン)という架空の場所を舞台にしたのはなぜでしょう。

 光州は「光州事件」(民主化を要求する市民らのデモ隊を軍が武力で制圧した1980年の事件)が起きた場所です。現代韓国における民主化運動の象徴的な場所なので、あえてそこは避けました。

 --小説でも映画でも、終盤の判決を不服とした人権団体によるデモは光州事件を連想させます。

 光州事件を意識したというより、実際のデモが行われたのは07年のノ・ムヒョン政権のときでした。当時は警官隊による鎮圧はなく、デモは普通に行われていました。一方、小説の執筆中と映画の撮影中はイ・ミョンバク政権で、この政権では、デモは厳しく取り締まられます。ですから小説でそう書きましたし、映画でも給水車による散水でデモ隊を鎮圧する場面を入れました。ただ、この場面の撮影のときは、どこも場所を貸してくれませんでした。最初は光州市で行う予定でしたが、結局、大田(テジョン)市で行いました。光州市だけでなく、学校もどこも協力を嫌がりました。一番嫌がったのは鉄道庁。線路で人が2度も死ぬからです。それである線路でこっそり撮ったそうですよ。

 --メッセージをお願いします。

 私の小説で映画化された3本の中でも、この作品は私の意図を最もよくくみ取った作品だと思います。こうしたテーマの映画を作るとき、一歩間違えると安っぽい映画になってしまうおそれがありますが、この作品は品格を落とさずに、非常にうまく映像化したと思います。ですからみなさんには、映画をそのまま楽しんでほしいと思います。

 <プロフィル>

 1963年、韓国ソウル市出身。延世大学英文科卒業。出版社勤務の後、大学院をへて労働運動に飛び込む。88年、短編「日の上る夜明け」で文壇デビュー。05年、死刑制度を背景にした長編「私たちの幸せな時間」(新潮社)を発表、のちに映画化、佐原ミズさんによりマンガ化もされた。09年、「トガニ」を発表。日本語版が今年5月、「トガニ 幼き瞳の告発」のタイトルで新潮社から出版された。ほかに日本語訳が出ているもので、自伝的小説「楽しい私の家」(新潮社)、辻仁成さんとの共作「愛のあとにくるもの」(幻冬舎)がある。


まんたんウェブ - 2012年08月05日

パラリンピック・車いすテニスに出場、明石商3年・上地結衣さん /兵庫

2012年08月06日 01時22分37秒 | 障害者の自立
 ◇競技との出会い世界観変えた

 今月29日に開幕する障害者スポーツの祭典「第14回夏季パラリンピック・ロンドン大会」に出場する明石市立明石商業高校3年の上地結衣さん(18)。11歳の時に車いすテニスを始め、7年でパラリンピック日本代表選手になった。グランドスラムと呼ばれる全豪、全仏オープンにも出場し、海外遠征は約20回を重ねた。海外選手との体力差は、巧みな車いす操作で補って強いショットを放ち、世界ランキングをアップさせてきた。ロンドン大会での活躍が期待される。

 −−車いすバスケットもやっていましたが、なぜ車いすテニスを

 ◆自分一人でできるから。団体競技はあまり得意ではありません。バスケットもみんなでやる楽しさはありましたけど、テニスは1人で黙々とできます。車いすの人たちがコート内を自由に動き回っているのを見て、やってもいいかなと思いました。純粋に楽しくて、あっと言う間にここまできました。テニスとの出会いが、自分の世界観を変えてくれました。テニスをやっていなかったら何をしていたかイメージできません。

 −−いつ頃から世界を意識してきましたか

 ◆海外の大会に出たり、日本代表として国別対抗戦に行かせてもらったりしてから段々と。海外選手と対戦して負けるじゃないですか。パラリンピックに出たいとか、グランドスラムに出たいとかではなく、とにかく目標選手に勝ちたいと思うようになりました。

 −−海外で通用するために必要なことは

 ◆なにもかもが必要だと思います。スピードもそう、一つ一つのショットの正確さもそうです。まだまだ何もできていません。海外選手との体格差をカバーするため、車いすのスピードアップを意識しています。体も小さく補えない部分もあると思いますが、そこを頑張りながら、今まで感覚的にやっていたテニスを頭を使って、考えて考えて自分のテリトリーに持ち込んで決めたい。

 −−パラリンピックの出場が決まった時は

 ◆発表の7月3日は学校の試験日で、先生にインターネットを使わせてもらい探しましたが、あせって調べられませんでした。2時間目の試験が終わった後、先生が印字した書面をくれました。友達から「おめでとう」と言われてうれしかった。夕方、母の会社の人たちが「おめでとう」と祝ってくれて「代表になれたんだ」と実感しました。

 −−ロンドンではどんな戦いを

 ◆シングルスとダブルスに出場予定です。ダブルスはメダル獲得、シングルスは入賞(6位以内)を目指しています。あまり緊張するタイプではありませんので、初めての大会、目標にしていた大会を楽しみにしています。コートを広く使ってのプレーや、今春から練習しているウインドミルを使ってみたいと思っています。

---これからの目標は
 ◆国内選手で過去最高の世界ランキング5位以上になるのが目標です。もっともっと海外に出て挑戦していきたいです。テニス以外では、車の運転免許を取得したいですね。

 車いすテニスは、76年に米国でリハビリを目的に始まった。その後リクレーション的なものからプロスポーツにまで発展している。国内では83年に始まった。86年に日本車いすテニス連絡協議会が発足。その後に設立した日本車いすテニス協会(登録選手約400人)が、選手の育成や車いすテニスの普及に努め、国内外の協会との連絡調整を行っている。県内には、神戸、友遊、サンディの三つの車いすテニスクラブがあり、約30人の競技選手が登録している。ルールは「ツーバンドまでに返球」が認められている以外は、一般テニスとほぼ同じ。

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 ■人物略歴

 ◇かみじ・ゆい

 明石市在住。潜在性二分脊椎(にぶんせきつい)症でほとんど歩けなくなった。11歳の時に車いすテニスを始めた。中学1年の時に全日本選抜車いすテニス選手権に史上最年少で出場し、準優勝に輝いた。中学3年の時、フランスで行われた世界ジュニアマスターズで優勝。日本マスターズでは08年から4年連続の優勝を果たし、国内ランキングは1位。グランドスラムと呼ばれる世界のトップ選手が参加する全豪、全仏オープンにも出場した。国際ランキングはシングルスで11位(最高位6位)。サウスポー。身長143センチ、体重43キロ。市立明石商業高3年。


毎日新聞 2012年08月05日 地方版

「道」10年の成果見て、病院にパステル画43作品展示/鎌倉

2012年08月06日 01時18分22秒 | 障害者の自立
 鎌倉市扇ガ谷の精神障害者地域活動支援所「道」の通所者が描いたパステル画が、湘南鎌倉総合病院(同市岡本)に飾られている。

 2階廊下に43作が並ぶ。幾何学的な形のアジサイ、貝殻をまとった猫、擬人化した時計などを、20~50代の約20人が描いた。

 支援所と病院を仲介した鎌倉美術連盟の代表で画家の蓼沼(たてぬま)誠一さん(77)は「思い切った色彩感覚、構図で、発想が優れている」と話す。

 道はことし設立10周年を迎え、2月に同市小町に作業所「道工房」を立ち上げた。代表の岩立実勇さんは「10年の成果を見てほしい」と呼び掛けている。

 9月22日まで展示する。問い合わせは、道電話0467(23)8772。


豊かな発想の作品が並ぶ=湘南鎌倉総合病院

カナロコ(神奈川新聞) -2012年8月5日