29日に開幕するロンドンパラリンピックに、川越市の会社員堤文子さん(40)が陸上競技のコーチとして初めて参加する。1990年代にアジア大会に出場するなど、中長距離のトップ選手として活躍した堤さん。引退後に障害者スポーツの魅力を知り、現役時代に果たせなかった“五輪”にかかわることになった。
「あと1周、ファイト」
400メートルトラックを駆け抜ける選手たちに、堤さんの声が飛ぶ。
11日、横浜市港北区の陸上競技場。パラリンピックに出場する3選手を含む、日本知的障害者陸上競技連盟の選手たちが強化合宿を行っていた。
堤さんは5年前から同連盟の選手たちを指導しており、パラリンピックでも知的障害のある選手をサポートする。シドニー大会以来、12年ぶりに知的障害の部門が復活することになり、今夏、コーチとしてロンドン行きが決まった。
女子1500メートルに出場する蒔田沙弥香さん(27)(愛知県豊川市)の母・とよ子さん(52)は、「堤コーチは娘がリラックスできる雰囲気を作ってくれる。安心してロンドンに送り出せますよ」と笑顔をみせた。
堤さんは埼玉栄高3年の時に北京アジア大会の女子800メートルに出場。卒業後、協和埼玉銀行(当時)に入社し、陸上競技部で東日本実業団女子駅伝で優勝するなど、主力選手として活躍した。
しかし、あこがれだった五輪出場は果たせず、2001年に現役引退。数年後、軽い気持ちで視覚障害者の伴走ボランティアとして茨城県のかすみがうらマラソンに参加した。その時コンビを組んだ中年女性との出会いが、障害者スポーツに目を向けさせてくれた。
中途失明したという女性は、「走り始めてから生きる目標ができたのよ」。オシャレにも気を使い、明るく前向き。人生を心から楽しんでいるように見えた。
「走ることって楽しいんだ」。改めてそう実感した堤さんは、伴走ボランティアを続けながら、障害者スポーツ大会の運営など裏方の仕事にも積極的に参加するようになった。知り合いが増え、やがて知的障害のある選手の陸上競技の練習に呼ばれるようになり、パラリンピック行きにつながった。堤さんは言う。
「現役時代はけがが多くてつらい時期もありましたが、こんな形で今、陸上競技にかかわれるのは幸せです。本番で最高の結果が出せるよう、選手たちを全力で支えていきたい」

タイムを計測しながら選手たちに声をかける堤さん(11日、横浜市港北区で
(2012年8月21日 読売新聞)
「あと1周、ファイト」
400メートルトラックを駆け抜ける選手たちに、堤さんの声が飛ぶ。
11日、横浜市港北区の陸上競技場。パラリンピックに出場する3選手を含む、日本知的障害者陸上競技連盟の選手たちが強化合宿を行っていた。
堤さんは5年前から同連盟の選手たちを指導しており、パラリンピックでも知的障害のある選手をサポートする。シドニー大会以来、12年ぶりに知的障害の部門が復活することになり、今夏、コーチとしてロンドン行きが決まった。
女子1500メートルに出場する蒔田沙弥香さん(27)(愛知県豊川市)の母・とよ子さん(52)は、「堤コーチは娘がリラックスできる雰囲気を作ってくれる。安心してロンドンに送り出せますよ」と笑顔をみせた。
堤さんは埼玉栄高3年の時に北京アジア大会の女子800メートルに出場。卒業後、協和埼玉銀行(当時)に入社し、陸上競技部で東日本実業団女子駅伝で優勝するなど、主力選手として活躍した。
しかし、あこがれだった五輪出場は果たせず、2001年に現役引退。数年後、軽い気持ちで視覚障害者の伴走ボランティアとして茨城県のかすみがうらマラソンに参加した。その時コンビを組んだ中年女性との出会いが、障害者スポーツに目を向けさせてくれた。
中途失明したという女性は、「走り始めてから生きる目標ができたのよ」。オシャレにも気を使い、明るく前向き。人生を心から楽しんでいるように見えた。
「走ることって楽しいんだ」。改めてそう実感した堤さんは、伴走ボランティアを続けながら、障害者スポーツ大会の運営など裏方の仕事にも積極的に参加するようになった。知り合いが増え、やがて知的障害のある選手の陸上競技の練習に呼ばれるようになり、パラリンピック行きにつながった。堤さんは言う。
「現役時代はけがが多くてつらい時期もありましたが、こんな形で今、陸上競技にかかわれるのは幸せです。本番で最高の結果が出せるよう、選手たちを全力で支えていきたい」

タイムを計測しながら選手たちに声をかける堤さん(11日、横浜市港北区で
(2012年8月21日 読売新聞)