ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者福祉サービスに差 東海地方の主要都市

2013年09月06日 02時32分31秒 | 障害者の自立
 愛知県春日井市の身体障害二級の女性(52)から「受けられる福祉サービスの上限が、隣の市と全然違う」との声が生活部に寄せられた。障害者への福祉サービス規定は、市町村で決めることができるため、財政状況や政策などにより、大きな差があるのが現状だ。春日井市や近隣市、東海地方の主要都市の状況を調べた。

 女性は脊髄小脳変性症という難病で、歩行や言葉などが不自由。要介護度2の現在、車いすと歩行器のレンタル、通院付き添いと食事作りのヘルパー、週三~四回のデイサービスを利用している。もう少し増やしたいが、既に介護保険の利用限度額ぎりぎり。買い物に行くにも介助が必要だが、そうした「移動支援」のサービスは受けられない。「普通の生活がしたいだけなのに…」

 障害者が受けられる主なサービスは介護保険制度、障害福祉サービス、地域生活支援事業で規定される。介護保険では要介護度に応じて利用限度額があり、重度になるほど利用額は大きく、その範囲内であれば、一割負担でサービスを受けることができる。

 障害福祉サービスは、障害者総合支援法に基づく制度。障害程度や生活状況などを踏まえ、自治体が個別に支給を決め、原則として一割負担で利用できる。ホームヘルプサービスやショートステイなど介護保険と重なる内容は、原則的に介護保険が優先だ。

 これらのサービスをどう提供するかは、各自治体の裁量。春日井市では介護保険の限度内で、必要なサービスに足りない場合、超過分は全額自己負担となる。同県岡崎市なども同じだ。両市とも限度内で足りないのは、要介護度の認定が実情に合っていないとの判断から、介護度を上げる方向で検討するという。要介護5の場合は、それ以上はないので、障害福祉サービスで上乗せする。

 ただ、この女性の場合は名古屋市内の病院に通院しているため、ヘルパーの付き添い時間が長くなり、額が大きくなっている。体の状態が悪いわけではないので、「要介護度を上げることに違和感がある」と話す。

 一方、同県一宮、小牧、犬山、瀬戸、豊橋の各市、さらに岐阜市、津市、浜松市などは介護保険と障害福祉サービスで重複する内容なら、必要と判断された場合、障害福祉サービスで上乗せできる。ただし、一宮市は身体障害一級で、訪問介護利用がおおむね五割以上の人との条件付き。審査が厳しい自治体もあり、瀬戸市では本年度は上乗せの申請全てが却下された。

 また、各自治体が地域特性に応じて独自に実施するのが「地域生活支援事業」。自分一人で外出できない人は、同事業の「移動支援」を利用できるが、これも自治体ごとに運用が異なる。身体障害の場合、春日井市、豊橋市、岐阜市、津市などは視覚障害か、または全身に重い障害がある「全身性障害一級」か、それに準じる人しか利用できない。小牧市、犬山市などでは障害等級で区切らず、屋外での移動に困難がある人なら、サービスを受けられる。

 自治体による“サービス格差”があるのは、障害福祉サービス、地域生活支援事業ともに、税金で賄われているため、自治体の財政状況や福祉政策に左右されやすいからだ。全国的に障害者手帳の取得者は増えており、障害者福祉の関連支出も増加傾向といい、ある自治体の担当者は「財政規模の小さい自治体はかなり苦しい」と話す。

 別の自治体担者は「障害者福祉を手厚くすると子育てなど、他の福祉が手薄になることもあり、それぞれの政策判断になる」と話している。


「隣の市に住んでいれば、もっとサービスを受けられるのに」と訴える女性=愛知県春日井市で

中日新聞-2013年9月4日

生活保護法改正案の「扶養義務強化」が障害者にもたらす破壊的ダメージの中身

2013年09月06日 02時06分56秒 | 障害者の自立
2013年6月に廃案となった生活保護法改正案は、再度、国会に提出されて審議される可能性がある。2013年7月に参議院・衆議院の「ねじれ」が解消したため、今回は廃案とはならず、成立する可能性も高い。改正案に含まれていた「扶養義務強化」は、特に障害者たちにとって、どのように破壊的な可能性を持っているだろうか?

廃案となった生活保護法改正案 問題は「水際作戦」だけではなかった
 2013年5月に国会へと提出され、6月に廃案となった生活保護法改正案で、最大の問題となっていたのは、一言でいえば「水際作戦の法制化」であろう。つまり、生活保護の申請を困難にし、申請をさせなかったり、断念させたりしようとすることであった。

 現在の生活保護法では、福祉事務所を訪れて口頭で「申請したい」と意思表示するだけでも、住所・氏名等の必要事項とともに「申請したい」という意思を記した書面を郵送するだけでも、法的に申請として有効である。もっとも、このような形態での申請を「申請」と認めない運用、いわゆる「水際作戦」を行う福祉事務所も少なくないのだが、現行の生活保護法では、そのような運用の方が違法である。

 ところが改正案は、さまざまな添付書類とともに申請書を提出することが要件化されており、特にホームレス・DV被害者などの生活保護申請を、極度に困難に、実質的に不可能にしかねない内容となっていた。文字通り「生きるか死ぬか」という状況にある人々が申請も行えなくなるのは、非常に重大な問題である。そこで、改正反対運動は主に、この「水際作戦法制化」の側面を争点として展開された。これらの働きかけを受け、改正案は一応、「申請の要件を緩和することができる」という内容の文言を含むものに修正されてはいた。

 改正案には、その他にも、数多くの問題点が含まれている。再度の生活保護法改正案が、どのような形で国会に提出されるのかは今のところ明確ではないが、今回は、「扶養義務強化」を焦点として、特に障害者にとって「親族の扶養義務」が持つ意味を考えてみたい。

 2012年4月に持ち上がった、いわゆる「生活保護バッシング」のきっかけは、お笑い芸人の河本準一氏の母親が生活保護を受給していたことであった。当時、年収5000万円とも伝えられる河本氏が「母親を扶養していない」と報道され、問題視されたのである。その後、公務員の親族が生活保護を受給しているケースもあることが報道されたりもした。

 これらの報道によって、「扶養義務強化」については、

「親族を扶養する能力が充分にあるにもかかわらず、扶養する義務を果たしていない人の問題」

 という理解が一般的になっている。その一般的理解は、実態を反映しているだろうか? それ以前に、「親族を扶養する」は、「当然の義務」であるべきなのだろうか?

「家や施設を出て地域で暮らしたい」 障害者自立生活運動と生活保護の関係

 かつての日本の障害者は、充分な教育を受けることもできず、したがって就労することもできず、親とともに家で、親亡き後は施設や病院の中で生涯を送る以外の選択肢を持たないことが多かった。長年にわたる障害者たちの運動によって、その状況は徐々に改善されてきてはいるけれども、現在も「家族と離れたい」「施設や病院から出たい」という希望を持ちながら、その希望を叶えられずにいる障害者は少なくない。

 本連載政策ウォッチ編・第33回で紹介した生活保護当事者の須釜直美さんは、生まれつきの重度障害により、母親からの暴力・ネグレクトにさらされて生育した。養護学校といえども通学が可能な身体状況ではなかったので、訪問指導という形で、きわめて不完全な義務教育を受けた。重い障害を持ち、教育も充分でない須釜さんが就労収入を得ての経済的自立を実現することは、現実の問題として、極めて困難と考えられる。

 須釜さんは、施設に3年ほど入所して生活訓練を行った後、生活保護を利用して、単身で、アパート暮らしを続けて現在に至っている。須釜さんは生き生きと毎日を送っており、豊かな人間関係の中で、さまざまな意味での社会生活を営んでいる。もし、須釜さんに「生活保護を利用しての地域生活」という選択肢がなかったとしたら? 須釜さんを実質的に育てた父方祖父母亡き後は、虐待する母親のいる原家族で過ごし、親亡き後は施設で生涯を送るしかなかっただろう。

 障害者が障害によって失う機会は、就学・就労以外にも、実に数多い。「地域で暮らす」という選択肢を障害者から奪い取ることは、障害者から「『今日の夕食にはアジの開きが食べたい』と考え、調理して食べる」「生活をしやすくするための数多くの工夫を自分で行う」「近隣の人間関係に悩んで解決方法や折り合いを考える」といったさまざまな機会、障害のない人にとっての、時には疎ましい「あたりまえ」の生活を奪い取るということだ。

 生活保護制度は、極めて不完全ながら、障害者たちに対して「地域で『あたりまえ』の生活をする」機会を提供し、支えてきた。その背景には、障害者たちが1960年代から粘り強く展開してきた障害者自立生活運動があった。ここでいう「自立」の内容は、「誰の助けも借りない」ということではなく、「自分の生活、自分の人生を、自分で選びとる」ということである。この「選びとる」の中には、必要なら他人の助けや制度の支援を得ることも含まれる。「生活保護を利用する」も、「自立」の一環として選び取られてきている経済的「自立」の手段の1つだ。

 しかし、廃案になった改正案のとおり、親族の扶養義務が強化されてしまったら、どうなるだろうか? 障害者は結局のところ、「親が生きている間は親の家で、親亡き後は施設で」という生活に戻るしかなくなってしまうのではないだろうか? 特に、障害者であることに対して何の「自己責任」もないのに、幼い時からの障害の場合、「あたりまえ」を奪われた生活を強いられ続ける。このようなことが当然とされていた1960年代以前の日本に戻ってしまってよいのだろうか? そもそも、「家か施設へ」という障害者への扱いは、どこが問題なのだろうか?

障害者の存在を「見えなくする」それ自体が“障害者差別”

 長年、日本の障害者自立生活運動をリードしてきたDPI(障害者インターナショナル)日本会議・事務局長の尾上浩二さんは、

「今までの障害者施策って、家族依存ですよね。家族とは、実質的には親のことで、その親が高齢になったり亡くなったりすると、施設に行くことになります」

 と語る。その通りである。広く社会的に評価される活動をしている障害者たちの生育歴には、献身的な母親と、その母親の献身を支える経済力を家庭にもたらす父親が存在していることが多い。その両親が中心となって、その障害者たちは障害児時代に充分な支援を受けて学校生活を送り、充分な教育を受けることが可能になり、広く評価される障害者たちが生まれるのである。

 筆者自身が、中途障害者になってから国立大学の大学院博士課程に在学していた経験からも、「献身的な親あってのこと」という側面は大きく感じられる。その大学は、障害学生支援に非常に注力している大学の1つであり、多数の障害学生が在籍している。しかし、その障害学生たちがアパート等での生活を含めて学生生活を全うし、さまざまな活躍をしている背後には、献身的な両親の存在がある。筆者も、「頭の下がるような」と形容したくなるような親たちを数多く見てきた。逆に言えば、そのような親に恵まれなかった多くの障害児たちは、心身とも健康に生育することも、充分な教育を義務教育レベルといえども受けることも難しく、「国立大学の入試を突破して大学生になる」ところまでたどりつくことができずにいるのである。

 話を尾上さんに戻そう。現在のところ、親なくては、家族の献身なくては、障害者の活躍はありえないという現実がある。その現実が現実であることは、認めざるを得ないのだが、何が最大の問題なのだろうか? 施設だって、障害者施設が「しかたなく押し込められる悪条件の場」ではなく、たとえばホテルのように障害者の社会活動を支える場になれば済む話ではないのだろうか?

「親がかりの在宅や、障害者施設への入所では、私たちが求める解決にならないんです。障害者が、家や施設の外の、障害のない人からは見えなくなったり、見えにくくなったりします。その『見えなくすること』が差別なんです」(尾上さん)

 尾上さん自身は、1960年に大阪で生まれた。生まれつきの脳性麻痺で下肢が不自由だった尾上さんは、小学校時代は養護学校に通学したり、障害児のための施設に入所して施設内の小学校で教育を受けたりした。中学校からは、地域の中学校に通うことを強く希望した。その希望は叶えられたものの、学校や教員たちからは必要な配慮や支援を「全く」といってよいほど受けられなかった。クラスメートたちの友情に支えられて中学校・高校生活を送り、大学に進学し、大学時代から障害者自立生活運動に取り組み始めた尾上さんは、障害者団体の事務局に勤務したり、政策検討に参加したりして、現在に至っている。


尾上浩二(おのうえ・こうじ)氏 1960年大阪に生まれる。小学校を養護学校、施設で過ごした後、普通中学・高校へ進む。78年大阪市立大学に入学後、障害者問題のサークル活動をきっかけに、自立生活運動に取り組み始める。2005年通常国会、2006年臨時国会で、障害者自立支援法に関する参考人として意見陳述。現在、DPI日本会議事務局長、障害者政策委員会委員。他に自立生活センター・ナビ運営委員等。

「夜間中学に行きたい」という障害者の希望を支えた生活保護制度

「1990年代には、『障害者を施設に入所させることは、本人にとって幸せ』という都市伝説がありましたね。風光明媚、すなわち人里離れた場所にあり、夏は涼しく冬は暖かい屋根の下にいられて、医療・介護を提供するスタッフがいて、食事が出てきて。障害者はそういう場所で暮らすことが幸せなんだという」(尾上さん)

 1990年代までだろうか? 現在も、そういう考え方は根強く残っていると筆者は思う。年配の人々がそう考えているだけではない。20代や30代でも、「障害者や生活保護当事者は、そのような人々だけを集めた場所で過ごすことが本人の幸せ」と考えている人々は少なくない。その人々は、理由については、「そのようなマイノリティに対する理解のある施設であり、仲間がいて、必要な支援が受けられるから」とも言う。「一生懸命生きている自分たちの『世間』にマイノリティがいると面倒くさいから、どこかに閉じ込めておきたい」という本音を、どこかで背負っている意見かもしれないが。

「1993年に、『施設を出たい』という重度障害者に、相談を受けたんです。その人は、20年ぶりに施設を出て、夜間中学に行きたかったんです。障害児が『あたりまえ』に就学免除を受けていた時代に育った人ですから、義務教育も受けられなかったんですよ」(尾上さん)

 夜、ちょっと散歩して夜風に吹かれたかったら、外出する。文化施設や教育機関に行きたかったら、行って参加する。夜遊びしたかったら、居酒屋やカラオケボックスに行く。健常者なら誰もが享受している「あたりまえ」。しかし、そんな自由はないのが、障害者施設だ。

「その人のご両親は、とうに亡くなっていて。お兄さんが1人いたんですけど、そのお兄さんとも入所以来会ってなかったんです。施設にいる障害者が、家族と絶縁状態になっていることは少なくありません」(尾上さん)

 兄は、その人が施設を出ることに反対だった。施設を出たら、どうやって生活するのか。障害者の生活支援に関する制度化が不十分だった当時、障害者の生活は、障害者自身が募集したボランティアに支えられていることが多かった。兄は、

「今はボランティアに囲まれていい気になっているかもしれないが、いずれ逃げられる。その時に泣きつかれても、自分にも家族や仕事があるから、何もしてやれない。今、せっかく、1日面倒みてもらえる施設にいるんだから、その方がいいではないか」

 と、その人に言った。そして尾上さんに、

「お前らが、かどわかすから!」

 と怒ったそうだ。

「ご本人の自立への思いを、お兄さんは知らなかったし、分からなかったんですね」(尾上さん)

 結局、兄弟での話し合いの結果、

「どんなことがあっても、兄を頼ることはしません」

 という念書を、その人が兄に提出することで、反対する兄をなだめることができた。

 さて、その人が施設を出て地域生活を始め、慣れたら夜間中学にも通うには、生活保護を利用するしかない。現行生活保護法では、親族による扶養義務は、夫婦間・未成年の子に対する親を除き、

「余裕があって、扶養したいという意志があれば、小額でも扶養してください」という程度にしか求めていない。その人が生活保護を申請すると、兄に「扶養できませんか」という照会状が送られるが、兄が「扶養できません」と返事して返送すれば済むことであった。尾上さんたちは、

「照会状がありますけど、お兄さんの方で返事を書いてもらったら、私たちの方で手続きを支援しますから」

 と兄を説得した。そして、その人の「施設を出て自立生活、さらに夜間中学へ」という夢は叶った。

生活保護の「無差別平等」の意味を改めていま、考えるべき

「6月に廃案になった生活保護法改正案は、親族扶養に対する証明書とか、申請するときの書類とか、ゴチャゴチャ要求してたじゃないですか。障害児や障害者が教育を充分に得られず、結果として就労、充分な収入の得られる就労も得られない。だから、障害者が生きる権利を保障するために、生活保護があるんです」(尾上さん)

 でも、改正案は、また国会に提出されるかもしれない。昨年12月に自民党政権が成立し、7月には参院・衆院とも、自民党が与党になった。

「もう、『どの党だから』ということではないと思います。6月に成立した障害者差別解消法も、党も派閥も越えた、数多くの理解ある議員さんたちの障害者問題への思いがあって、成立しました」(尾上さん)

 生活保護問題については、「真に困っている人」だけを助ければよい、という見方も強い。そして、障害者は「真に困っている人」と考えられやすい。そのことについては?

「その『真に困っている人』を、誰かが選ぶとしたら、それは『生きてよい人なのか、生かしておく価値のない人なのか』に関する選別ですよね。生活保護の『無差別平等』の意味を、良く考えてみるべきだと思います。生活保護が『無差別平等』でなくなったら、障害者も含めて、恣意的な切り捨てが次から次に起こるでしょう」(尾上さん)

 そもそも、障害者だから困っているとは限らないし、困っている人が障害者であるとも限らない。働いている障害者もいるし、合理的配慮があれば働ける障害者もいる。就労にかぎらず、幅広い意味での社会参加を重層的に支える支援の仕組みが、すべての人に対して開かれていれば。そのための、生活保護制度であれば。筆者は強く、そう思う。

 次回は、これからの生活保護制度はどのようであることが望ましいのかについて考えてみたい。生活保護問題に関わる法律家・支援者・学識経験者などは、しばしば「反対するばかりで、実行可能な代案を出せない」と批判される。その見方は、当たっているだろうか?

<お知らせ>
本連載に大幅な加筆を加えて再編集した書籍『生活保護リアル』(日本評論社)が、7月5日より、全国の書店で好評発売中です。

本田由紀氏推薦文
「この本が差し出す様々な『リアル』は、生活保護への憎悪という濃霧を吹き払う一陣の風となるだろう」


【政策ウォッチ編・第38回】 2013年9月6日

「基本合意」の実現を  障害者自立支援法 訴訟団が集会

2013年09月06日 02時01分41秒 | 障害者の自立
 「障害に伴う必要な支援を得るのに自己負担がかかるのは憲法違反だ」として全国の障害者が原告として立ち上がった「障害者自立支援法違憲訴訟団」は4日、参院議員会館で集会を開き、「基本合意」と「骨格提言」に基づく総合福祉法の実現を訴えました。全国から600人を超える関係者らが参加しました。

 同訴訟団は2010年1月、自立支援法廃止と新法制定を約束した「基本合意」を国と結んで和解。新法制定に向けて政府が設置した審議会は11年8月、「骨格提言」をまとめました。しかし、今年4月から施行の障害者総合支援法は、自立支援法の根幹を残したもので、「基本合意」と「骨格提言」を反映していません。

 同訴訟弁護団の田中伸明弁護士は基調報告で「総合支援法は一部の改正にすぎない」と批判。あるべき法律は、障害者が基本的人権を行使するための必要な支援をするという観点に立つものでなければならないと強調しました。

 パネルディスカッションでは、総合支援法制定後も解決されていない問題点、▽利用者負担▽不十分な介護支給量▽介護保険制度優先原則―について討論しました。

 訴訟を支援する「自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす会」の藤井克徳世話人は、現状は問題が山積していると指摘した上で、条約批准後は、同条約を力に障害者運動を広げようと呼びかけました。

 各党国会議員が参加。日本共産党からは、小池晃、田村智子両参院議員が駆けつけました。


(写真)全国から600人を超える参加者があった障害者自立支援法違憲訴訟団の集会=4日、参院議員会館

しんぶん赤旗-2013年9月5日(木)

障害者ら製作ダストレスチョーク インストラクター養成へ

2013年09月06日 01時54分48秒 | 障害者の自立
 川崎市や横浜市の母親らで組織し、子育て支援などに取り組むNPO法人「ひさし総合教育研究所」(東京都稲城市)が、川崎市中原区の「日本理化学工業」と共同で10月に講座を開く。目指すのは、同社のダストレスチョーク「キットパス」のインストラクター養成。同社が力を入れる障害者雇用を後押ししようと、ママさんたちが立ち上がった。 (平木友見子)

 日本理化学工業は一九六〇年から障害者の雇用を始め、全国初の心身障害者雇用モデル工場一号を、高津区に開設した。現在、従業員の70%以上が知的障害者で、その半分が重度障害者。砂時計を使ったり、差し込むだけで検査ができる器具を作ったり、障害があっても作業ができる工夫をしている。

 ひさし総合教育研究所は五月、主催イベント「わくわく親子フェスタ」で同社を知り、理念に共感した。理事の三谷文子さん(41)は「キットパスを広めることで障害者雇用の枠が広がればと思い、良さや使い方を正しく伝える人を増やそうと思った」と開講のいきさつを語る。

 キットパスは、口に入れても安全な素材の上、水に溶かして絵の具のように使ったり、ガラスやお風呂場の壁などにも簡単に描けて消せるなど使い勝手の良さが特徴。まず、フェスタ実行委員会のメンバー六人を、キットパスアートインストラクター「ゼロ期生」として養成し、キットパスを使った子どもの手形や足形のカード作りや塗り絵のワークショップを開いたところ、好評だったという。

 二歳の娘の手形を取った「ゼロ期生」の横浜市鶴見区の塚原敦子さんは「紙の上で色が混ぜられるし、タオルで簡単にふき取れるので後片付けも楽」と話す。

 講座で障害者雇用を進める同社の大山泰弘会長の思いや企業理念、商品の説明などを三時間受講すると、インストラクターに認定される。「小学校や老人ホームなどでワークショップやアート教室を開いたり、アイデアでどんどん広げてほしい」と三谷さん。来年一月からは通信講座も始める予定で、全国に広げたいという。

 今回の養成講座は、川崎区や東京都内で十月二十五日、三十日と十一月十二日に開催。受講料は一万円(五千円分のキットパスセット付き)。九月十三日には、幸区の市産業振興会館で養成講座スタートを記念して、大山会長による無料講演会がある。

 申し込み、問い合わせは、Eメールで事務局へ。アドレスは、kitpas@jldpa.or.jp


インストラクターのゼロ期生たちが作った作品=川崎市幸区で

東京新聞-2013年9月4日

心躍る障害者の絵画 右京で展示

2013年09月06日 01時50分34秒 | 障害者の自立
 専門の美術教育を受けていない人による独創的な作品「アール・ブリュット」を紹介する企画展が、右京区の交流施設「ぶらり嵐山」内の府アールブリュッ都ギャラリーで開かれている。29日まで、入場無料。

 アール・ブリュットは「生(き)の芸術」と呼ばれ、フランスの画家ジャン・デュビュッフェが提唱。近年は知的障害者らによる作品を指して呼ぶことが多く、今回は、伏見区の身体障害者福祉センター「京都市ふしみ学園」で絵画や陶芸などの創作活動に取り組むメンバー6人が絵画12点を出品した。

 雑誌やインターネットで見た動物たちを油性マーカーで色鮮やかに再現した井垣正広さん(50)の「ジャングル」や、カラフルな洋酒の瓶をクレヨンで描いた嶋津仁さん(50)の「外国のお酒」、大地を悠々と歩くキリンの姿を色鉛筆で表現した木村全彦さん(29)の作品などが並んでいる。

 企画した「みずのき美術館」(亀岡市)のディレクター・奥山理子さん(26)は「どれも心躍る絵ばかり」とPRしている。

 午前10時~午後5時(火曜定休)。問い合わせは同施設(075・873・1232)へ。


独自の感性で生き生きと描かれた絵画(右京区で)

(2013年9月5日 読売新聞)