■白球追う喜び、再び 松本幸貴さん(28)唐津市相知町
交通事故で半身不随となり、大好きだった野球を諦めて10年。唐津市相知町の松本幸貴さん(28)は車椅子ソフトボールに出会い、再び白球を追う喜びをかみしめている。「ずっと探し求めていたものにやっと出会えた」。競技を始めてわずか半年で日本代表チームに選ばれ、8月6~9日に米ミシシッピ州で開かれる世界大会に出場する。
◎「野球がしたい」
松本さんは高校を卒業後、専門学校に通っていた10年前、交通事故で脊髄を損傷。下半身が完全に動かなくなり、車椅子生活に。
「今までできたことができない悔しさを味わい、人の目が気になって外出が怖くなったこともあった」。支えてくれたのは家族や友人。家に閉じこもりがちにならないよう、積極的に外に連れ出してくれた。
小学4年から野球一筋だった松本さんのために、福岡ソフトバンクホークスの試合や知り合いの子どもがプレーする少年野球を観戦。それが失意から立ち直るきっかけにもなった。ただ、体が思うように動かせなくなったからこそ、「プレーしたいという欲求も強くなった」という。
日本は野球が文化として根付き、競技人口も圧倒的に多い。だが車椅子となると話は別だ。土のグラウンドでの動きが不向きなこともあって、プレー環境は整っていない。
松本さんは他の車椅子競技に挑戦したこともあったが、野球ほど打ち込めなかったという。そんな時、北九州に車椅子のソフトボールチームがあることを知り、昨年末に入団した。
◎「行動が道開く」
車椅子ソフトは2年前に日本協会ができたばかりの歴史の浅いスポーツだ。平らに整地された駐車場などがグラウンド。通常より1人多い1チーム10人で、出場選手を障害の程度に応じて0~3点にポイント分けし、一定の点数内でチームを編成すれば、健常者(3点)も一緒にプレーできるのが特徴だ。
車椅子操作でグローブが使えないため、素手でも触れる大きくて柔らかいボールを使用。重くて飛ばないボールを野手の間を狙って打つ技術や、守備では体勢を崩した時のフォローなど連係が不可欠だという。
「投げて打つことが、座ってでもできる。野球と同じ感覚で楽しくてしょうがない」。平日は仕事で北九州に行けないため、全体練習に参加できるのは月1回。それ以外は、自宅や地元のグラウンドなどで車椅子操作の技術を磨く自主練習が中心だが、今は自身のプレーの成長を実感できるのが何よりうれしい。
7月上旬の全国大会での活躍が関係者の目に留まり、日本代表に選ばれた。「野球勘が残っていたので選んでもらっただけ」と謙遜しながらも、「日本は過去3大会初戦で負けている。初戦に勝って上位を目指したい」と意気込む。
松本さんは今春、新たな挑戦をした。長年続けてきた医療事務の仕事を辞め、障害者枠で唐津市役所に合格、現在は障がい者支援課で働く。「家に閉じこもったままでは声は届かない。行動によって道は開ける」。そんな思いが一人でも多くの障害者に届くことを願っている。

7月に北海道で行われた車椅子ソフトボールの全日本選手権でプレーする松本幸貴さん
2015年08月02日 佐賀新聞