ゴエモンのつぶやき

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障害者の詩で歌う「音楽祭」 佐賀市の野田さん作曲、入選

2015年08月03日 01時59分25秒 | 障害者の自立

■ピアノの音色で喜び表現

 障害を持つ人が作った詩に曲をつけて歌う第40回わたぼうし音楽祭(奈良たんぽぽの会主催)で、脳性まひのある東京の女性の詩に佐賀市大和町の野田直美さん(51)が曲をつけた作品が入選した。野田さんは「まさか選ばれるとは」と喜んでいる。

 入選作は、東京都江戸川区の伊藤圭子さん(52)が作詞した「打ち上げろ」。460点の応募があった「作詞の部」で入選した伊藤さんの詩に、野田さんが曲を応募。集まった10点の中からこの詩に付ける曲に選ばれ、さらに「作詞・作曲の部」を含めた全体の入選(8点)に入った。

 伊藤さんの詩は、障害を持つ人がバレーボールをすることの喜びを描いた。野田さんは明るく元気なピアノの音色でその喜びを表現した。野田さんは「詩を読むと自然とメロディーが浮かんできた」と話す。

 5歳からピアノを始め、30歳でピアノ指導員の資格を取得して夢だったピアノ教室を開いた野田さん。生徒にバースデーソングを贈ったのをきっかけに作曲を始め、趣味で続けてきた。同音楽祭には10年間応募し続けたが、選ばれたのは今回が初めて。野田さんは「これで最後と思い応募した」と喜ぶ。

 野田さんと伊藤さんは2日、奈良県で開かれる音楽祭で一緒に曲を披露する。入選作の中で特に優れた2作品にはわたぼうし大賞と文部科学大臣賞が贈られる。

わたぼうし音楽祭の作詞の部入選作「打ち上げろ」につける曲に作品が選ばれた野田直美さん

2015年08月02日       佐賀新聞


「タンデム自転車」一般道に 県道交法細則改正

2015年08月03日 01時54分43秒 | 障害者の自立

 ◆障害者の行動範囲広げる

 県道路交通法施行細則の一部改正で、1日から県内の一般道でも2人乗りの「タンデム自転車」での走行が可能となった。前橋市内では同日、交通安全イベントが行われ、障害者と健常者が一緒にタンデム自転車に乗り、風を感じていた。

 タンデム自転車はサドルとペダルが2人分装着された自転車で、大きさは様々だが普通自転車よりも長い。軽車両に分類され、車両用信号に従うが、歩道を通行できないなど交通規制が自転車とは異なる。以前は榛名湖周辺の道路や一部のサイクリングロードでのみ走行が可能だった。全国では10県目で、関東では初施行。

 1日は視覚障害者や親子連れなど約50人がタンデム自転車など30台に乗り込んだ。「『せーの』で発進しますよ」などと声を掛け合いながら県総合交通センターから県庁までの約2・5キロを駆け抜けた。

 参加した県視覚障害者福祉協会の阿部央美副会長(57)は「障害者の行動範囲を広げるので様々な場所で活用していきたい」と笑顔で語った。

 県警の高橋千明交通部長は「車両が長いので安全運転に気をつけながら、健常者も障害者も楽しんでほしい」と話していた。

2015年08月02日      読売新聞

健常者と障害者など誰もが楽しめるタンデム自転車(1日午前、前橋市で)

健常者と障害者など誰もが楽しめるタンデム自転車


「広報つばめ」を音声訳したCDを目が不自由な人以外にも配布

2015年08月03日 01時47分26秒 | 障害者の自立

燕市は1日と15日の月2回、発行している広報紙「広報つばめ」の10月1日号から目や手が不自由で読むのが困難な人を対象に「広報つばめ」の内容を音声にして録音したCDを配布する。

配布対象は、市内に住所がある人で、身体障害者手帳を持つ視覚に障害のある人や手が不自由でページをめくるのが難し言い人、精神障害者保健福祉手帳や療育手帳があって音声て?なけれは?情報入手か?困難な人、65歳以上て?音声て?なけれは?情報入手か?困難な人。視覚障害者以外も対象にするのは全国的にも珍しい。

記録媒体は、デジタル録音図書の国際標準規格に準じたデイジーCDと音楽CDのほか、ホームページからMP3形式の音声ファイルもダウンロードできるのでネット環境があればだれでも無料で聞くことができる。複数の形式での配布は県内で初めて。

音声訳は「広報つばめ」の音声訳ボランティアが行う。燕市社会福祉協議会が音声訳を、市社会福祉課が申請受け付け、市地域振興課が利用者へのCD発送やホームページへのアップロードを担当し、連携して取り組む。

現在、視覚障害で障害者手帳を持つ人は約230人。吉田音声訳の会が目の不自由な人などを対象に同じようなサービスを行っており、燕地区7人、吉田地区4人の11人が利用している。

ただ、記録媒体がカセットテープで、再生できる環境にある人が少なくなっているほか、「広報つばめ」の情報をすべて音声訳できず、情報を選んで収録している。また、活動の継続が困難になっているが、市が今回の音声訳サービスを始めるまで続けてもらうことになった。利用を希望する人は社会福祉課へ申請する。

デジタル録音図書の国際標準規格に準じたデイジーCDの再生機

 (2015.8.1)   ケンオー・ドットコム




デフフットサルW杯男子日本代表・山森裕介さん /福井

2015年08月03日 01時44分01秒 | 障害者の自立

◇全力で世界一目指したい 山森裕介(やまもり・ゆうすけ)さん(22)

  11月にタイで開かれる聴覚障害者のフットサル競技「デフフットサル」のワールドカップ(W杯)男子日本代表に初めて選ばれた。「ずっとあこがれていたのでうれしい。デフフットサルは人生のエネルギー。全力で戦い、世界一を目指したい」と意気込む。

 生後1年たたずに感音性難聴と診断された。両耳に補聴器を付け、相手の唇の動きを読む「読唇(とくしん)術」と手話でやり取りする。鯖江市神明小学校3年生でサッカーを始め、鯖江市中央中学校と県立武生高校ではサッカー部に所属した。

 早稲田大政治経済学部に進学。大学1年生時に、所属していた手話サークルの先輩の紹介で、聴覚障害者の社会人チーム「東京デフフットボールクラブ」の練習に参加した。

 「これまでやってきたサッカーとは違う感覚だった」。同じ障害を持つ選手が頻繁に首を振って、アイコンタクトを取っていた。「選手同士が同じイメージでプレーしてパスをつなげ、得点するのが気持ちよかった」

 毎週末練習に通い、仲間の特徴や意見を理解すればするほど、プレーの連動性が高まった。大学2年生の冬休みに、日本代表候補合宿に初参加し、全国から集まる選手としのぎを削った。学業と就職活動で約1年間競技から離れたが、就職先は選手としての活動に理解を示してくれた越前市役所を選んだ。

 2カ月に1回の代表候補合宿へ参加を続けていたところ、6月にW杯日本代表入りが決まった。現在は体幹トレーニングや週2回の地元チームでの練習をこなし、アジア太平洋大会(10月、台湾)や16カ国が出場するW杯に備えている。持ち味のドリブルやパスでゴールに迫る攻撃的なプレーを磨くためにも、今後は練習量を増やす考えだ。

 市役所ではスポーツ課に所属し、施設管理や文書作製などを担当する。越前市で初めて採用された聴覚障害者の山森さんを同僚も積極的に支援。遠征費のカンパを始めている。

 「自分はデフフットサルで組織に貢献する大切さを知った。自分が大会に出ることで、デフフットサルや障害のことを知ってもらい、健常者と障害者の相互理解につながれば。そして、他の障害者に勇気を与えられたら」。夢の国際大会出場へ抱負を語る。

 ■人物略歴

 1993年、鯖江市生まれ。166センチ、60キロ、右利き。今年4月越前市役所に就職し、市教委スポーツ課に所属。デフフットサルはフィールドプレーヤー4人とゴールキーパーの計5人で戦う。ルールはほとんど普通のフットサルと同じだが、耳の聞こえない選手のため、主審はホイッスルではなく旗を持って選手にファウルなどの合図を送る。けがを防ぐため、試合中には選手は補聴器を外すよう定められている。「デフ」は英語で、耳が聞こえないことを意味する。

毎日新聞 2015年08月02日 地方版


=エール・ひと交差点= 失意超え世界車椅子ソフトに

2015年08月03日 01時37分12秒 | 障害者の自立

■白球追う喜び、再び 松本幸貴さん(28)唐津市相知町

 交通事故で半身不随となり、大好きだった野球を諦めて10年。唐津市相知町の松本幸貴さん(28)は車椅子ソフトボールに出会い、再び白球を追う喜びをかみしめている。「ずっと探し求めていたものにやっと出会えた」。競技を始めてわずか半年で日本代表チームに選ばれ、8月6~9日に米ミシシッピ州で開かれる世界大会に出場する。

◎「野球がしたい」

 松本さんは高校を卒業後、専門学校に通っていた10年前、交通事故で脊髄を損傷。下半身が完全に動かなくなり、車椅子生活に。

 「今までできたことができない悔しさを味わい、人の目が気になって外出が怖くなったこともあった」。支えてくれたのは家族や友人。家に閉じこもりがちにならないよう、積極的に外に連れ出してくれた。

 小学4年から野球一筋だった松本さんのために、福岡ソフトバンクホークスの試合や知り合いの子どもがプレーする少年野球を観戦。それが失意から立ち直るきっかけにもなった。ただ、体が思うように動かせなくなったからこそ、「プレーしたいという欲求も強くなった」という。

 日本は野球が文化として根付き、競技人口も圧倒的に多い。だが車椅子となると話は別だ。土のグラウンドでの動きが不向きなこともあって、プレー環境は整っていない。

 松本さんは他の車椅子競技に挑戦したこともあったが、野球ほど打ち込めなかったという。そんな時、北九州に車椅子のソフトボールチームがあることを知り、昨年末に入団した。

◎「行動が道開く」

 車椅子ソフトは2年前に日本協会ができたばかりの歴史の浅いスポーツだ。平らに整地された駐車場などがグラウンド。通常より1人多い1チーム10人で、出場選手を障害の程度に応じて0~3点にポイント分けし、一定の点数内でチームを編成すれば、健常者(3点)も一緒にプレーできるのが特徴だ。

 車椅子操作でグローブが使えないため、素手でも触れる大きくて柔らかいボールを使用。重くて飛ばないボールを野手の間を狙って打つ技術や、守備では体勢を崩した時のフォローなど連係が不可欠だという。

 「投げて打つことが、座ってでもできる。野球と同じ感覚で楽しくてしょうがない」。平日は仕事で北九州に行けないため、全体練習に参加できるのは月1回。それ以外は、自宅や地元のグラウンドなどで車椅子操作の技術を磨く自主練習が中心だが、今は自身のプレーの成長を実感できるのが何よりうれしい。

 7月上旬の全国大会での活躍が関係者の目に留まり、日本代表に選ばれた。「野球勘が残っていたので選んでもらっただけ」と謙遜しながらも、「日本は過去3大会初戦で負けている。初戦に勝って上位を目指したい」と意気込む。

 松本さんは今春、新たな挑戦をした。長年続けてきた医療事務の仕事を辞め、障害者枠で唐津市役所に合格、現在は障がい者支援課で働く。「家に閉じこもったままでは声は届かない。行動によって道は開ける」。そんな思いが一人でも多くの障害者に届くことを願っている。

7月に北海道で行われた車椅子ソフトボールの全日本選手権でプレーする松本幸貴さん

2015年08月02日     佐賀新聞