自分で体が動かせず、呼吸も言葉を発することもできない。そんな神経難病のALS(筋萎縮性側索そくさく硬化症)患者たちが、看護師を目指す学生たちに、文字盤などを使ったコミュニケーションを通じて、難病を抱えて生きる意味を伝えている。
6月中旬、東京・中野の帝京平成大学。人工呼吸器をつけたALS患者の佐藤清利さん(57)、北谷好美さん(57)、佐々木公一さん(68)の3人と、ALSだった母の綾子さん(当時85歳)を2009年にみとった高井直子さん(66)による授業が行われた。看護学科の1年生約130人の多くは、難病患者と接するのは初めてという。
それぞれに2人の介助者が付き、移動の手助けやたんの吸引、文字盤などによる会話を支援している。透明な文字盤(アクリル板)にはひらがなの50音が印刷されている。患者は伝えたい文字を見つめ、介助者が患者の目の動きを追って声に出す。正しければ患者はまばたきする。
高井さんが「文字盤ではなく患者の目を見て。途中で分からなくなっても焦らないように」とコツを伝えた。2人1組で練習すると、30分ほどで単語を読み取れるようになってくる。
文字盤を通し、学生と「好きな食べ物は」「好きな言葉は」などの会話を楽しんだ佐々木さんは「すがすがしい感じ」と満足そうな様子。平田琴子ことねさん(18)は「不安だったが、佐々木さんが優しかった。患者さんの気持ちをくみ取る介助者の気配りもすごい」と感心していた。
学生からはあらかじめ3人への質問が用意され、その答えが介助者から読み上げられた。
「呼吸器をつけることになっても、なぜ生きていこうと思ったのか」という質問に2人の女の子を持つ佐藤さんは「子どもの成長が見たかった。前向きに生きている仲間をたくさん持つことも大きい」と話した。
北谷さんは20年前、発病が分かってから長女を産んだ。「生きていくことは楽しいことばかりじゃない。だれもが(ALSに)罹患りかんする可能性がある。動けない人間に価値がないと思ってはいけない」と話した。
佐々木さんは生きる原動力について、人工呼吸器をつけてから大学院で学んだことを踏まえ、「体が動かなくても工夫して頑張れば何でもできる」と述べた。
「自分だったら同じように生きられるかな」と考えていた能登麻衣さん(18)は「家族や大切な人の支えがあるから生きていけるのかもしれない」との答えを出した。
高井さんは綾子さんと03年から看護大などでの授業を始めた。綾子さんが亡くなった後、同じ病と闘う佐藤さんたちが活動を引き継いだ。佐々木さんはヘルパー養成講座などでも延べ約80回の文字盤教室に参加している。
4人を招いた授業を昨年から始めた同大看護学科教授の雑賀美智子さん(63)は「患者さんが何を考えているのかを知るのが看護のスタート。難病で言葉を出せなくても、思いを持った人間なのだと知ってほしい」と話している。
ALS |
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脳と脊髄の運動神経が障害を受け、全身の筋肉が動かなくなっていく病気で、根本的な治療や予防法はない。進行すると呼吸もできなくなるが、人工呼吸器を装着して生活する患者は少なくない。国指定の難病で、医療費の補助を受けている患者は約9000人。 |
(2015年7月30日 読売新聞)