来年9月、ブラジルのリオデジャネイロ・パラリンピックで正式種目に決まった女子視覚障害者のフルマラソンで、日本記録保持者の道下美里さん(38)=福岡県太宰府市=の活躍が期待される。すでに日本代表への推薦が内定。福岡のランナー仲間は「チーム道下」を結成し、世界への挑戦を支えている。
練習場所の一つ、福岡県春日市の県営春日公園。「絆」と呼ばれる伴走者とつながるロープを左手に、道下さんが軽快に走る。伴走者の男性は、144センチと小柄な道下さんの手の高さに合わせてロープを低く握り、同じリズムを刻んで腕を振っていた。
道下さんは昨年12月、山口県であった防府読売マラソンで2時間59分21秒で走り、日本記録を更新した。4月に英国で開かれた国際パラリンピック委員会主催の世界選手権では3位。日本盲人マラソン協会(東京)はこれらの成績を評価し、道下さんをリオ・パラリンピック日本代表の推薦順位1位に内定した。
山口県下関市で生まれ育った。視力が衰える「膠様滴状(こうようてきじょう)角膜ジストロフィー」という難病のため、13歳で右目の視力を失った。25歳のとき左目も発病。視力が0・01以下となり、03年、鍼灸師などの資格取得を目指して山口県立盲学校(当時)に入学。中学時代に親しんだ陸上競技に再び挑戦した。
めきめきと頭角を現し、07年にはブラジルで開かれた世界選手権に出場した。だが、優勝を狙っていた1500メートルで5位。圧倒的な体格差に世界の壁を感じ、目標を見失い、走ることから遠ざかった。
転機になったのは地元下関で初めて開かれた翌08年の下関海響マラソン。伴走者とともに呼吸を合わせて走りきった時の達成感、沿道の声援……。「ゴールするのがもったいないと思うぐらい楽しかった。走るのが好きなんだとわかった」
指導してきた監督からも「長距離の方が向いている」と言われ、マラソンランナーとして、再び走り始めた。
09年に結婚したのを機に福岡へ。慣れない土地で一時は家に閉じこもるようになったが、外へ出られるようになったきっかけもまた、走ることだった。福岡市立障がい者スポーツセンターで伴走者を紹介してもらい、仲間を一人、また一人と見つけていった。
知人の紹介で、大濠公園ブラインドランナーズクラブ(OBRC)に所属。世界をめざす道下さんを支えようと、昨年2月にはOBRCのメンバーを中心に100人近くからなる「チーム道下」ができた。仲間への感謝の思いを表そうと、6月には初の著書「いっしょに走ろう」(芸術新聞社)を出した。
パラリンピックに出場できれば、めざすはもちろん金メダルだ。女子視覚障害者の世界記録は、今年の世界選手権で優勝したロシア選手の2時間58分23秒。自己ベストとの差は58秒。「いけます、絶対にいけます」。道下さんは力強く、言い切った。
ランニング仲間と練習に励む道下美里さん(左)=福岡県春日市の県営春日公園
2015年8月7日 朝日新聞