ゴエモンのつぶやき

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障害者、農業の担い手に 「農福連携」進む

2015年08月25日 02時30分48秒 | 障害者の自立

 障害者が農業の担い手となる「農福連携」が広がっている。農林水産省や厚生労働省、地方自治体が旗振り役となり、主に知的・精神障害者を対象に高齢化・後継者不足に悩む農業に参加してもらう取り組みだ。障害者の就労機会を農業分野で増やし自立を手助けするのも狙い。生産から食品加工、流通販売まで手掛ける「6次産業化」を進め、障害者の力を幅広く活用する社会福祉法人や農事組合法人が増えている。

 九州本島南端にある鹿児島県南大隅町の「花の木農場」。操作の複雑な農機を乗りこなし、茶葉を摘み取っているのは障害者だ。東京ドーム5個分(約23ヘクタール)の敷地に、茶畑や豚舎、パン工房などが配置され、100人近くの障害者が健常者とほぼ同レベルの作業をこなしている。

 社会福祉法人「白鳩会」が1970年代から農地の一部を取得し、事業を拡大してきた。現在は農場のほかに鹿児島市などにソーセージ、ジェラートなどの販売店やレストランを展開。障害者に支払っている賃金は多い人で月11万円台で、平均をとっても障害者の全国平均を約2割上回る。白鳩会の中村隆重理事長は「経営を常に意識し農業の大規模化を進めることが、障害者の賃金引き上げなど社会福祉事業を支えることにもつながる」と語る。

 こうした「農福連携農場」は各地で相次ぎ開設されている。農水省が障害者の就労訓練や雇用などを目的とした農場の整備にかかる費用の一部を補助する制度を設けるなど、国や地方自治体が支援策を強化しているのも背景だ。

 農福連携の先駆け的存在の花の木農場は、福祉への関心は低いが農業に携わりたかったという健常者の若者たちの受け皿にもなっている。こうした若者たちは、障害者との交流を通し、福祉の業務にも関心を高めるようになったという。農福連携に詳しいJA共済総合研究所の浜田健司氏は「農場経営も障害者もそれぞれ自立ができれば、地域経済の担い手が増えることも望める」と話している。

2015/8/23      日本経済新聞



社会とつなぐ役割に 障害者支援の「KIVA」設立 松本文之さん

2015年08月25日 02時25分13秒 | 障害者の自立

 自らの体験を経て、うつや適応障害、引きこもりなど心を病んだ人たちが「社会と関わりを持ち、社会も障害者に関心を持ってもらおう」と、相模原市に「南区障害者福祉協議会」(愛称・KIVA(キーバ))を結成した。キーバはスワヒリ語で「繋(つな)がり」を意味する。「同じような人が集まってコミュニティを作るとちょっとしたことで人間関係が壊れ、また自分の殻に閉じこもってしまうんです。いわゆる健常者も含めて人間関係をつくっていくことが大切だと思います」

■脳出血でまひ

 二〇〇八年暮れ。取引先へのあいさつを終え、忘年会もセットして自宅近くの飲食店でひと息ついていた。トイレに立ったまま戻ってこないのを心配した店の人に、倒れている姿を発見された。脳出血だった。

 病院に運ばれ一カ月以上たち、年を越して意識を取り戻すものの自分の状態を理解できなかった。「自分では痛くも何ともなく、普通と思っているのに、まひが残っているんです。不思議でした」

 高次脳機能障害と診断されたが、リハビリを経て職場復帰する。「それでも物事を三つ以上覚えられない。短期記憶障害というらしく、いつもメモ用紙を手に自分のやることをメモし、チェックしていました」。当時の記憶は曖昧で、取るに足らないことでけんか腰の物言いをしていたと、後々周りの人に言われたが「一切覚えていない」と振り返る。定年まで一年を残して退職。その後、障害者手帳を申請する検査で、視野障害と血管性認知症が認められたという。

■活動で症状改善

 退職後に福祉関係者と交わるようになった。イタリアが一九七八年に精神科の病院を廃止した実話に基づく映画「Mattoの町」の上映運動を知ったのがきっかけで、会の結成に進む。心を病んだ人たちと作業所などで付き合う中「真面目で我慢しすぎて壊れてしまっているのではないか」「一気にすべてを話そうとするので思いが相手に伝わらないことが多い」と感じている。そして「障害者の世界に手を突っ込んだり、ふたを開けてのぞいたりして」と、独特の表現で社会の関心を訴える。

 活動するにつれ認知症の症状は劇的に改善していく。「理性を受け入れるなら恐怖も受け入れよ」という映画の中にあったセリフが好きだ。最後に「自分の健康より大事なものは会社に転がっていない」としみじみと語った。 

◆私の履歴書

1952年 東京都世田谷区生まれ。都立高校から日本大学理工学部へ

 74年 都内の地質調査会社に就職。技師、営業職などに就く

2008年 12月に脳出血で倒れる。リハビリを経て翌09年4月に職場復帰

 11年 定年を1年前にして退職

 14年 5月、KIVA設立と同時に会長に就く

 15年 5月、1周年事業の映画「Mattoの町」上映会が約270人の参加者を得て成功

2015年8月24日    東京新聞


知的障害者の楽団30周年 姫路で記念コンサート

2015年08月25日 02時18分13秒 | 障害者の自立

 兵庫県姫路市打越の知的障害者支援施設「三恵園」の入所者で構成する楽団「ポケット」の結成30周年コンサートが23日、同市西延末の市文化センターで開かれた。プロの音楽家とも共演し、約300人の観客と音楽の楽しさを共有した。

 楽団は1986年5月に結成。神戸の障害者楽団の演奏に触発されたという。施設で週1回の練習を重ね、福祉施設や保育所などで演奏を披露してきた。

 レパートリーは年々広がり、現在は9人がキーボードやマリンバ、ドラム、パーカッションなどを奏で、年数回の公演を続ける。

 この日は同施設のコーラスグループと、作曲家の青島広志さん、声楽家の小野勉さんがゲスト出演。「ポケット」結成当初からのメンバー三浦克介さん(51)がキーボードで演奏をリードし、振り付けも交え、節目の演奏会を観客と一緒に楽しんだ。三浦さんは「会場のみんなと会えて楽しかった」と、満面の笑みを浮かべた。

観客席からの声援に応える楽団「ポケット」のメンバーら=姫路市文化センター

2015/8/23      神戸新聞


パラリンピックメダリストが走り方指導

2015年08月25日 02時09分54秒 | 障害者の自立
片足が義足のパラリンピックの陸上のメダリストが、義足の障害者に走り方を指導する催しが開かれました。
この催しは、ドイツの義足などのメーカーが、2020年にパラリンピックを控えた日本の人たちに障害者スポーツを知ってもらおうと、初めて開きました。東京・世田谷区の陸上競技場の会場には、事故や病気で片足を切断した、中学生から50代までの男女合わせて13人が集まりました。
指導したのは、いずれも片足が義足で、ロンドンパラリンピック男子100メートル金メダリストのドイツのハインリッヒ・ポポフ選手と、北京パラリンピックの男子走り幅跳び銀メダルの山本篤選手です。
ポポフ選手は、義足で走るには体幹の筋肉を使うことが重要だと説明し、はじめに1時間かけて体幹の筋力トレーニングを行いました。
このあとトラックで走り方を指導し、義足に意識を集中させるのではなく、リラックスして、からだ全体を使うほうが走りやすくなるとアドバイスしていました。
3年前に事故で右足を切断した24歳の男性は、「走れることは、とても楽しいと感じた。少しでもトップ選手に近づけるように頑張りたい」と話していました。
ポポフ選手は、「参加者の積極的な姿勢に感銘を受け、楽しい時間を過ごすことができた。義足になってしまった人たちには、家にこもるのではなく、外に出てスポーツをすれば、人生が楽しくなると知ってほしい」と話していました。
 
 
 
8月23日     NHK

和太鼓演奏や講演会も 宇佐市で「県盲人福祉大会」

2015年08月25日 02時01分26秒 | 障害者の自立

 「第5回県盲人福祉宇佐大会」(大分合同新聞社後援)が23日、宇佐市の宇佐文化会館であった。視覚障害者を取り巻くさまざまな問題について理解を深めた。
 県内各地の視覚障害者や関係者ら約270人が参加。開会式では市視覚障害者協会の金田智道会長(顔写真)が歓迎のあいさつ。県盲人協会の衛藤良憲会長が主催者を代表してあいさつした。
 ウエルカムアトラクションでは県社会福祉事業団糸口学園の「糸口太鼓」が和太鼓を演奏。続いて、市観光協会の小野辰浩事務局長が「宇佐神宮の歴史と役割」と題して記念講演した。
 午後からは二つの分科会を開き、「生活・バリアフリーについて」「視覚障害者の職業問題について」のテーマで議論。大会宣言や大会決議を採択して閉会した。

ウエルカムアトラクションで和太鼓演奏を披露する「糸口太鼓」=23日、宇佐市の宇佐文化会館

ウエルカムアトラクションで和太鼓演奏を披露する「糸口太鼓」=23日、宇佐市の宇佐文化会館

※この記事は、8月24日大分合同新聞朝刊9ページに掲載されています。