改正は必要だ
平成24年(2012年)10月1日に障害者虐待防止法が施行され3年半が経過した。この法律ができた当時は、家庭における養護者虐待についての通報もそれなりにあったが、最近は件数において減少気味である。また、施設虐待の通報については、虐待だと認定する件数が増えている。
しかし、施設虐待については、残念ながら障害者虐待防止法の対応スキームが機能していないのではないかとの疑いを向けざるを得ない事例がマスメディアで報道されている。加えて、施設側が通報職員や行政に対して報復的とも思える法的手段を採る事例が出てきており、障害者虐待防止をめぐる論議は、平成23年(2011年)6月の法制定当初とは異なる局面を迎えている。制定当初の課題、つまり学校や病院が対象からはずれていることなどは、いまだに充分な対応が計られていないが、新しい課題も登場しており、見直しと改正が必要だ。このことを何回かに分けて記載したい。
施設では既存の法的スキームは機能しにくい
障害者虐待防止法の施設虐待に対する対応スキームとは、いうまでもなく通報義務と施設内の体制整備のことである。施設内での支援体制を整備することによって、日常的な支援を計画化し、支援日誌の記録などを通じて、やむを得ない場合の身体拘束の3要件などの、支援にあたって守るべきことを確認し、ひいては利用者の方々の意思の尊重と生活利益に配慮することを目的としていた 。ところが、これを空文化するような事態が、現場では起きている。
(1)袖ヶ浦の経験
まず2013年11月に発覚した千葉県袖ケ浦市の県立袖ヶ浦総合福祉センターでの虐待事件がある。これは職員による暴行行為の結果、利用者の一人がお亡くなりになるという、あってはならない虐待事件であり、そのこともショックであるが、事件後の調査によって、複数の職員による継続的な虐待行為が続いており、それにも関わらず職場の誰も通報しなかったし、支援記録や支援日誌にそうした事態が記録されることがなかったことが明らかになったのである。同施設は県立施設であり、施設内に虐待防止委員会や第三者苦情委員会が設置され、ヒヤリハット検討会まで開催されていたが、そうした組織内チェック機構に問題が提起されることもなかった。また、外部の第三者評価や監査によって虐待の疑いを持たれることもなかった。つまり、外観上は、この施設においては、虐待防止法の対応スキームはほぼ完璧なまでに揃っていて、その意味では虐待防止法は順守さていたのであるが、その中で継続的なしかも後述するような深刻な虐待行為が続いていたのである。
また、この施設では、虐待に関わった職員以外は、熱意のある職員が多く、いまでも家族会や行政あるいは地域の他の福祉事業者からの信頼は高いと言って良い。しかし、その中で継続的な虐待行為が行われ、そして、誰も通報することがなかったのである。
事態に驚いた厚労省は、施設従事者向けの虐待防止マニュアルを改定し、その中で同事件を取り上げ、通報義務や報告の徹底化を記載している。また、直接の管理責任者である千葉県も事態を重く見て、県職員による調査に続いて、外部第三者による第三者委員会を立ち上げ、経過・背景事情を含めて事実関係の報告をまとめて公表している 。現在に至るまで障害者虐待事案の検証経過と結果が公表されているのは、公設、民間を問わず、この事件だけである。千葉県のこの一連の対応は評価されて然るべきである。
(2)その他の事例
袖ヶ浦の事件の後も、虐待防止法の現実の機能に疑いを向けざるを得ない事件が相次いでいる。2014年に報道された秋田県湯沢市にある皆瀬更生園の虐待事件では、複数の職員が虐待行為を行っているとの通報が湯沢市の虐待防止センターにあったが、市の担当者は「正式な通報」だとは思わなかったという不可解な理由でこれを握りつぶして対応しなかったことが報道された。後に秋田県は、湯沢市に対して虐待防止センターの改善策を報告するように指導している。
同じ2014年の暮れに発覚した高知県の県立障害者施設である南海学園の虐待事件報道では、施設が恒常的に夜間の居室を外から施錠していたことが保護者の通報によって判明し、県の指導によって改善された。この施設では夜間の施錠管理が記録されておらず虐待防止法の対応スキームである3要件 が守られていなかったことは明らかであり、そうだとすれば、この夜間の施錠拘束は刑法上の犯罪行為に該当する可能性もある悪質な虐待行為にあたることになるが、指導を行った高知県当局は、施錠管理はやむを得なかった対応で虐待には当たらないとの見解を議会で表明していると報道されている。もしこれが事実であるならば、高知県の行政対応は日本の虐待防止法を無視していると言わざるをえない。
2015年に入って、山口県下関市の大藤園という通所施設で、支援職員が、利用者に対して身体的な暴行や言葉による心理的虐待を繰り返していることが、隠しカメラの映像で報道されて世間を驚かせた。この事件では、初期に心理的虐待の映像を伴う通報があったにもかかわらず市の虐待防止センターが動かなかったことが報道されている。怪我でもなければ虐待が判断できなかったとの理由によるものらしいが、もしそれが事実だとすれば、高齢者虐待についての古い対応方針(重大な怪我を確認しないと身体的虐待を認定しない)を障害者虐待防止においても維持していることになり、日本の虐待防止についての専門的知識が市行政の担当者に欠けていることを示している。実際はどうなのか、なぜ市当局の対応ができなかったのか、これらについては、結局、行政に対する調査が行われておらず事実の検証が行われていない。
何が問題なのか
これら一連の事件で伺われることは、繰り返しになるが虐待防止法のスキームが施設虐待の現場では機能していないことである。虐待は通報されない、不都合な支援は記録されない、書類だけは整えてある。だから誰かが死んだり、怪我をしたり、マスコミが取り上げて映像を流し続けなければ、施設が問題視されることがない。多くの施設がそうだとは思わないが、このままでは国民一般からそうした目で施設が見られてしまいかねない。これは施設側の問題である。そして行政側では、通報があっても虐待判断を避ける、あるいは行政が虐待だと理解できない。これは対応する行政側の問題である。真摯に対応している行政担当者が多い中で、そうした目で行政が社会から見られることは、好ましいこととは思えない。
厚生労働省は虐待防止マニュアルを毎年のように改定して、通報義務の履行を施設従事者に促すと同時に、行政関係者、施設職員・管理者が虐待対応の専門性を高めるような内容を研修に入れようとしている。しかし、そうした努力をあざ笑うかのように、虐待防止法の趣旨とは真逆の方向の動きが毎年、各地で報道されるのである。
行政であれ施設職員であれ、関係者の多くが真摯な努力を続けているにも関わらず、マスメディアからややもすると興味本位な事件報道が行われ、そのことを契機に日常的な関与が少ない一般の方々から、驚きと非難の目を向けられる。そのことだけでも大いに問題である。しかし、一番の問題は、そうした繰り返される事件報道の影で、結局、施設で生活する方々の環境が大きく変化することがなく、数年のうちに事件そのものも人々から忘れさられて、施設職員と利用者の方々が、あいかわらず世間から「隔離」された「閉鎖」社会の中で暮らし続けているという事態である。こういう事態を作り上げているのは、施設でもなければ、利用者の方々でも無い。地域社会に暮らす人々である。虐待報道に接してときおり驚きの声を上げるが、それだけである。袖ヶ浦の事件対応では、関係者のかなりの努力が払われ、それはいまでも続いているが、いつまで続くのかまったく余談を許さない。忘れ去られようとしている。
佐藤彰一 | 全国権利擁護支援ネットワーク代表、国学院大学教授、弁護士 2016年4月4