ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

農業&福祉連携 石川県産材で絵はがき

2016年05月09日 02時49分37秒 | 障害者の自立

 木目の手触りが心地よく、独特の香りが漂う。石川県の県木・アテ(アスナロ)を素材に作られた絵はがきやしおりが「石川らしさが感じられる」と評判だ。地元の県産材を使ったみやげ物の絵はがきは珍しく、“ご当地度”の高さが人気のようだ。金沢市の障害者支援施設が製造を手がけ、福祉現場の取り組みとしても注目を集めている。

 

 アテは輪島市など奥能登地方を中心に植樹されている。「能登ヒバ」とも呼ばれ、金沢城の修復工事にも用いられるなど、石川県民にはなじみが深い。

 能登ヒバを素材に用いた絵はがきは、昨年から県内の観光地や商業施設でみやげとして並びだした。はがきにプリントされるイラストは、兼六園や金沢城といった名所に加え、北陸新幹線や県観光キャラクター「ひゃくまんさん」など多彩だ。

 製造元は金沢市諸江町の「リハス」。2014年4月に開所した障害者の就労支援事業所だ。キャッチフレーズは「障がいがあっても稼ぐ!」。外部からの受注作業に頼りがちな福祉のあり方を見直し、オリジナル商品作りを目標の一つに据える。

 サービス管理責任者の藤島健一さん(36)は「『障害のある人が作っているの?』と驚かれるクオリティーを目指し、石川県の魅力を伝えられる物を作りたい」と力を込める。

 北陸新幹線開業で観光客が増えることを見据え、着目したのが絵はがき、そして能登ヒバだ。絵はがきはみやげ物として定番で、国産材を用いてほしいというみやげ店の声にも応えた。

 利用者と雇用契約を結ぶ「就労継続支援A型」に登録する20〜60代の約30人のうち十数人が製品を作り、得意分野に応じてイラスト班と手作業班の2グループで分担して作業に当たる。

 まず、厚さ0.25ミリの能登ヒバの薄板2枚を両面テープで張り合わせて強度を上げ、印刷用紙に仕立てる。並行して他のメンバーがパソコンや手書きでイラストを作成し、データを印刷会社に送る。印刷会社でイラストがプリントされたものを、はがきやしおりの大きさにカッターで切り分け、包装する。

 出来上がった商品は利用者自らが取引先に直接届けている。店先に並ぶ商品を実際に見ることで、意欲も高まる。

 利用者の植松俊介さん(46)は「納品時にうちの商品を買っていく人を見ると、やっていて良かったと思う」とやりがいを感じている。

 藤島さんは「能登ヒバの魅力とともに、障害者施設が作っていることも伝わればうれしい。一人でも多くの人に届けたい」と話している。

 値段はおおむね、絵はがきが1枚350円からで、しおりが同200円から。ひゃくまんさんやJR金沢駅鼓門をかたどったシール(1枚550円、ミニサイズは同300円)もある。取り扱いは、金沢駅構内「あんと」の友愛ショップ(076・260・9522)や、金箔(きんぱく)屋さくだ本店(金沢市東山1の3の27、076・251・6777)など。問い合わせ先は、リハスを運営するクリエイターズ(076・256・0962)。

能登ヒバを使った(左から)絵はがき、しおり、シールを紹介するリハスの藤島健一さん

毎日新聞  2016年5月7日

「私の目」受け入れて 盲導犬お断りで「嫌な思い」9割

2016年05月09日 02時40分48秒 | 障害者の自立

 東京・銀座に、盲導犬を連れた客を国内で初めて受け入れたとされるレストランがある。それから半世紀余り。盲導犬の育成団体が使用者にアンケートしたところ、入店拒否などで九割が嫌な思いをしたことがあると回答した。この多くが受け入れを義務付けた法律の施行後といい、関係者は「もっと理解が広がってほしい」と話している。 (森川清志)

 「いらっしゃい」。金曜日の夜、銀座四丁目のインド料理店「ナイルレストラン」。店主のG・M・ナイルさん(71)が笑顔で八方順子さん(61)を迎えた。席には藤山明子さん(38)=仮名=が先着。二人は目が不自由で、盲導犬を連れている。それぞれの勤務先から地下鉄で来た。にぎやかな店内で、盲導犬はテーブルの下に入り、おとなしく伏せの姿勢。二人は名物のカレーを楽しみ会話を弾ませた。

 盲導犬を育成するアイメイト協会によると、ナイルが初めて受け入れたのは一九六一年ごろ。五七年に国産初の盲導犬を育成した塩屋賢一さん(故人)がナイルさんの父と知り合い、盲導犬の使用者が来店するようになった。ナイルさんは「米国にいたことがある父は盲導犬を知っていて大歓迎した」と振り返る。

 その後、徐々に理解は進んできたが、入店を断られるケースはまだ残る。ここ数年でも、八方さんは弁当店で「犬はだめ」、自治体のプールでも「駐輪場につないで」。すぐに管理部門へ連絡するなど改善を実現させてきた。「自分とみんなのためだから訴えていかないと」との思いがある。

 藤山さんは二十六歳の時、自分で危険を避けて歩く白杖(はくじょう)から、目として働く盲導犬に替えた。歩行が楽になり、行動範囲が広がった。だが、入りたい店に「盲導犬です」と説明しても「犬はちょっと」と言われ、「またか」と思うことも。

 ナイルさんは「うちもペットの犬は断るけど、盲導犬は目の不自由な人にとって体の一部。断るなんてとんでもない」と残念がる。

 ◆補助犬法の周知足りず

 アイメイト協会が三月に行ったアンケートでは、盲導犬を理由に嫌な思いをした使用者は89%。その場所は飲食店が79%(複数回答、以下同)に上った。76%の人が説明して理解を求めたが、受け入れられたのは69%、受け入れられなかったのは43%。全国の百二人が答えた。

 二〇〇三年に完全施行された身体障害者補助犬法では、飲食店など不特定多数が利用する施設は、盲導犬などの同伴を拒んではならないと規定する。だが、法施行後に嫌な思いをしたとの回答が多いという。

 日本盲導犬協会も四月、受け入れ拒否の例をまとめた。十一年間で使用者から二百五十七件が寄せられ、飲食店が48%で最多。協会に相談しない人もおり、実態はもっと多いとみている。協会が同法などを説明すると、七割からすぐに理解が得られ、拒否の背景には法の周知不足もある。

 四月施行の障害者差別解消法に基づくガイドラインでも、不当な差別的取り扱いの例として、盲導犬などの同伴拒否を挙げている。

写真

食事を楽しむ視覚障害者の足元で静かに待つ盲導犬=東京都中央区銀座のナイルレストランで

2016年5月8日  東京新聞


これはスゴい!大学生が発明した「手話を音声に変換」する手袋が画期的すぎる

2016年05月09日 02時31分55秒 | 障害者の自立

手話を認識して音声やテキストに変換するグローブが「画期的な発明だ!」と話題になっている。

https://www.youtube.com/watch?v=l01sdzJHCCM

ワシントン大学の学生トーマス・プライヤーさんとネイヴィッド・アゾディさんが、アメリカの発明家支援組織<レメルソンMIT>の「Use It!」学生発明賞を受賞し、賞金1万ドル(約108万円)を手にした。

彼らは、手話を認識して音声やテキストに変換するグローブ「SignAloud」を発表。このグローブを両手に着用すれば、アメリカ手話を音声またはテキストに変換することができる。

グローブの手と手首の部分にセンサーが付いており、手の位置や動きを認識。そのデータをBluetooth経由でコンピューターに転送し、音声またはテキストに変換する、という仕組みだ。

実際に両手にグローブをはめたトーマスさんが手話をすると、「ハロー、私はトーマスです。そして、こちらはネイヴィッドです。私達はレメルソンMIT学生発明賞の発明家です」と音声で語られる。

このグローブを発明した理由について、ネイヴィッドさんは「コミュニケーションへのアクセスは、基本となる人間の権利。すべての人がグローバルコミュニティの一員としてふさわしい。しかし、ろう者や発声が不自由な人は、他の人とは異なる方法でコミュニケーションします。他の人が発語する一方で、彼らは主に手話を使います。まるで異国に滞在する外国人のように、他の人のようにコミュニケーションをとれないことで、彼らのコミュニティが不利な状況になっています」と語っている。

彼らは障害者コミュニティのメンバーとともに研究を進め、試行錯誤しながら、ろう者や発声が不自由な人が使う既存のコミュニケーション(=手話)を変えずに、世界の人々とより良いコミュニケーションがとれる方法を考えたのだとか。こうして、手話を音声やテキストに変換するグローブが生まれた。

「世界では、およそ7千万人のろう者や発声が不自由な人が、手話を使っています。しかし、世界には約70億人の人々がいます。私たちの発明品は、2つのコミュニティがお互いを理解して交流するのを助ける方法として革命を起こします」と語るネイヴィッドさん。

また「現在、商業的な手話翻訳機は市場に存在しません。この発明によって、7千万人以上の人が新しい次元で自立することができます。新しい仕事にアクセスすることができ、またQOLを向上させることができます」と、トーマスさんは語っている。彼らは"アクセスと包括性は、変化を生むきっかけになる"と信じているそうだ。

学生が発明した手話を音声やテキストに変換できるグローブに、ネット上では、

「素晴らしい!人間の生活を助けるね!」
「天才!!」
「Kickstarterで資金を集めて、実際に始めてみては?」
「君たちのアイデアを応援しているよ!」
「グローブを使って話しかけられたときに、どうやって返答すればいいかな?」

と、絶賛するコメントが寄せられている。

 2016年05月07日  AOL News


パラリンピックの魅力凝縮 都、30秒アニメを制作

2016年05月09日 02時09分38秒 | 障害者の自立

 2020年東京パラリンピックに向けて、陸上や車いすテニスなど22競技の魅力を紹介するアニメーション動画「みんなで楽しむパラスポーツ(みんパラ)」を東京都が作った。幅広い年代に障害者スポーツの関心を広げる狙いで、30秒に魅力を凝縮。動画配信サイトの「ユーチューブ」(https://www.youtube.com/別ウインドウで開きます)などで公開している。

 動画は、東京大会で予定されている22競技それぞれについて作成。このほか、全競技をまとめて紹介するダイジェスト版は、2分と30秒の2パターンがある。

 鈴の入ったボールを投げ合い、ゴールを狙うゴールボールでは、視覚以外の感覚を研ぎ澄ませてシュートを防ぐシーンを描く。アーチェリーでは、口で弓を引いて的を射抜く選手の姿を描き、強い精神力や高い集中力を表現。シッティングバレーボールは、勝敗を左右するチームワークや、座りながら素早く移動しボールを拾う選手の動きに焦点を当てた。

 製作費は約1千万円。都は今後、動画を障害者スポーツの大会などで放映するほか、DVDなどの形で道府県や都内の区市町村にも配るという。

写真・図版

アニメ動画「みんなで楽しむパラスポーツ」で、ゴールボールを紹介する場面=東京都提供

2016年5月8日  朝日新聞


ギラン・バレー症候群の名付け親は?

2016年05月09日 01時58分45秒 | 障害者の自立

〜年間およそ2000人もの日本人が苦しんでいる難病の正体

 病名や症候群名は、発見者自身が名付け親になるよりも、後世の人たちが発見者の功績を再評価したり、エビデンスを再認識して名付ける場合が少なくない。

 ギラン・バレー症候群も、フランス人医師のジョルジュ・チャールズ・ギランとジャン・アレクサンドル・バレーの名前を冠して誕生した。そこには皮肉な秘話が眠っているのだが……。

 さて、ギラン・バレー症候群といえば、NHKの朝ドラに4度も挑戦し、ついにヒロインを射止め、この秋からスタートする連続テレビ小説「べっぴんさん」の主役を演じる女優の芳根京子さん(19歳)も罹った病気だ。

 芳根さんは中学2年生の時、急に四肢に力が入らなくなり、ギラン・バレー症候群と診断される。だが、治療に専念してわずか1年たらずで克服。2009年に他界した女優の大原麗子さんも、2012年に亡くなった男優の安岡力也さんも闘病した難病(特定疾患)だった。

どのような疾患なのか? なぜ発症するのか?

 ギラン・バレー症候群は、どのような疾患なのか? なぜ発症するのか?

 ギラン・バレー症候群は、筋肉を動かす運動神経に障害が起きるため、左右対称性の四肢筋力の低下、腱反射の消失、顔面麻痺、呼吸困難などの不快な症状を伴う。国内の発症率は人口10万人当たり1~2人(年間およそ2000人)。若年成人と高齢者に発症のピークがある。

 原因は何か? 発症の1~3週間前に咳、発熱、咽頭痛、頭痛、下痢などの感冒症状を示す場合が多く、サイトメガロウイルス、EBウイルスによる感染やマイコプラズマ、カンピロバクターなどの細菌による感染が引き金になり、自己免疫的な機序を介して発症する。つまり、免疫システムが末梢神経を攻撃することから、主に軸索(神経細胞の長い枝の部分)を取り囲む髄鞘(ずいしょう)に神経障害が生じる自己免疫性疾患だ。

 どのような症状が続くのか? 『メルクマニュアル18版』によれば、発熱,頭痛,四肢痛の後、下肢から左右対称性の麻痺が起きるため、麻痺は数日間で躯幹から上肢、頭蓋筋に急速に上行し、脊髄神経が侵される。

 感冒症状や下痢の後は、1~3週間で急速な四肢や顔面の筋力低下が現れる。通常は2~4週間でピークに達し、進行が停止すると徐々に快方に向かい、発病後3~6カ月から1年でおよそ6割が完治する。およそ3割は機能障害が残るが、感覚障害は軽い。だが、罹患者のおよそ3~5%が呼吸筋の麻痺、血液感染症、肺血栓、心停止などの合併症によって死亡するので、決して侮れない。

 また、舌や嚥下筋の支配神経に障害が出るため、しゃべりにくい、飲み込みにくいなどの症状も現れる。外眼筋の支配神経の障害によって物が2つに見える複視のほか、頻脈、不整脈、起立性低血圧、高血圧などが起きることもある。血漿交換療法、免疫グロブリン大量療法、免疫吸着療法などの治療が施されている。

なぜ「ランドリー・ギラン・バレー症候群」にならなかったのか?

 ギラン・バレー症候群のルーツは、脊髄の障害であるミエロパチー(脊髄症)の発症機序がまだ詳しく知られていなかった時代に遡らなければならない。

 1859年、フランス人の医師ジャン・ランドリーは、ミエロパチーに侵された患者の症例をフランス神経学会で世界に先駆けて報告する。「この患者は発熱,頭痛,四肢痛を強く訴え、下肢全体から耐えがたいほどの麻痺が起きていた。やがて激しい麻痺は数日間のうちに躯幹、上肢、頭蓋筋に及び、患者は精神的にもひどく疲弊して倒れた。自律神経障害は突然死の原因になる。麻痺による長期的な臥床は肺梗塞症の致死的な誘因になる恐れが強い」。ランドリーの鋭い警告は説得力があった。フランス神経学会は、発表を高く評価した。

 脊髄には、四肢体幹をコントロールする運動出力と感覚入力に関わる神経系がすべて通っているので、ミエロパチーは他の神経系の病変に比べると重篤な四肢麻痺や感覚障害が起きやすい。その複雑な機序を上行性脊髄麻痺(ascending spinal paralysis)と認定したランドリーの先見的な知見にちなみ、「ランドリー麻痺」と命名されるようになった。

 半世紀もの歳月が流れる――。第一次世界大戦最中の1916年、フランス人医師のジョルジュ・チャールズ・ギランとジャン・アレクサンドル・バレーは、急性の運動麻痺を訴える2名の患者の症例を解明し、フランス神経学会で絶賛される。以来、「ギラン・バレー症候群」の名が定まった。

 その後も、ギラン・バレー症候群は、さまざまな変遷を重ねつつ治療の革新が進み、急性特発性多発神経炎、急性炎症性脱髄性多発神経根ニューロパシー、フィッシャー症候群とも呼ばれるようになった。

 しかし、そこに先駆者ジャン・ランドリーの名はない。ミエロパチーや上行性脊髄麻痺の解明に死命を尽くした功労者の名は忘れ去られている。ギラン・バレー症候群が「ランドリー・ギラン・バレー症候群」と呼ばれる日はついに来なかった。ランドリーは悔しがっているかもしれない。

 だが、血漿交換療法、免疫グロブリン大量療法、免疫吸着療法など、免疫学的な治療に注がれた先人らの功績や情熱は、ギラン・バレー症候群の名に鉱脈のように刻まれている。

*参考文献:『アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語』(ダウエ・ドラーイスマ/講談社)、『メルクマニュアル18版』

佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。

2016.05.07  ヘルスプレス