病名や症候群名は、発見者自身が名付け親になるよりも、後世の人たちが発見者の功績を再評価したり、エビデンスを再認識して名付ける場合が少なくない。
ギラン・バレー症候群も、フランス人医師のジョルジュ・チャールズ・ギランとジャン・アレクサンドル・バレーの名前を冠して誕生した。そこには皮肉な秘話が眠っているのだが……。
さて、ギラン・バレー症候群といえば、NHKの朝ドラに4度も挑戦し、ついにヒロインを射止め、この秋からスタートする連続テレビ小説「べっぴんさん」の主役を演じる女優の芳根京子さん(19歳)も罹った病気だ。
芳根さんは中学2年生の時、急に四肢に力が入らなくなり、ギラン・バレー症候群と診断される。だが、治療に専念してわずか1年たらずで克服。2009年に他界した女優の大原麗子さんも、2012年に亡くなった男優の安岡力也さんも闘病した難病(特定疾患)だった。
どのような疾患なのか? なぜ発症するのか?
ギラン・バレー症候群は、どのような疾患なのか? なぜ発症するのか?
ギラン・バレー症候群は、筋肉を動かす運動神経に障害が起きるため、左右対称性の四肢筋力の低下、腱反射の消失、顔面麻痺、呼吸困難などの不快な症状を伴う。国内の発症率は人口10万人当たり1~2人(年間およそ2000人)。若年成人と高齢者に発症のピークがある。
原因は何か? 発症の1~3週間前に咳、発熱、咽頭痛、頭痛、下痢などの感冒症状を示す場合が多く、サイトメガロウイルス、EBウイルスによる感染やマイコプラズマ、カンピロバクターなどの細菌による感染が引き金になり、自己免疫的な機序を介して発症する。つまり、免疫システムが末梢神経を攻撃することから、主に軸索(神経細胞の長い枝の部分)を取り囲む髄鞘(ずいしょう)に神経障害が生じる自己免疫性疾患だ。
どのような症状が続くのか? 『メルクマニュアル18版』によれば、発熱,頭痛,四肢痛の後、下肢から左右対称性の麻痺が起きるため、麻痺は数日間で躯幹から上肢、頭蓋筋に急速に上行し、脊髄神経が侵される。
感冒症状や下痢の後は、1~3週間で急速な四肢や顔面の筋力低下が現れる。通常は2~4週間でピークに達し、進行が停止すると徐々に快方に向かい、発病後3~6カ月から1年でおよそ6割が完治する。およそ3割は機能障害が残るが、感覚障害は軽い。だが、罹患者のおよそ3~5%が呼吸筋の麻痺、血液感染症、肺血栓、心停止などの合併症によって死亡するので、決して侮れない。
また、舌や嚥下筋の支配神経に障害が出るため、しゃべりにくい、飲み込みにくいなどの症状も現れる。外眼筋の支配神経の障害によって物が2つに見える複視のほか、頻脈、不整脈、起立性低血圧、高血圧などが起きることもある。血漿交換療法、免疫グロブリン大量療法、免疫吸着療法などの治療が施されている。
なぜ「ランドリー・ギラン・バレー症候群」にならなかったのか?
ギラン・バレー症候群のルーツは、脊髄の障害であるミエロパチー(脊髄症)の発症機序がまだ詳しく知られていなかった時代に遡らなければならない。
1859年、フランス人の医師ジャン・ランドリーは、ミエロパチーに侵された患者の症例をフランス神経学会で世界に先駆けて報告する。「この患者は発熱,頭痛,四肢痛を強く訴え、下肢全体から耐えがたいほどの麻痺が起きていた。やがて激しい麻痺は数日間のうちに躯幹、上肢、頭蓋筋に及び、患者は精神的にもひどく疲弊して倒れた。自律神経障害は突然死の原因になる。麻痺による長期的な臥床は肺梗塞症の致死的な誘因になる恐れが強い」。ランドリーの鋭い警告は説得力があった。フランス神経学会は、発表を高く評価した。
脊髄には、四肢体幹をコントロールする運動出力と感覚入力に関わる神経系がすべて通っているので、ミエロパチーは他の神経系の病変に比べると重篤な四肢麻痺や感覚障害が起きやすい。その複雑な機序を上行性脊髄麻痺(ascending spinal paralysis)と認定したランドリーの先見的な知見にちなみ、「ランドリー麻痺」と命名されるようになった。
半世紀もの歳月が流れる――。第一次世界大戦最中の1916年、フランス人医師のジョルジュ・チャールズ・ギランとジャン・アレクサンドル・バレーは、急性の運動麻痺を訴える2名の患者の症例を解明し、フランス神経学会で絶賛される。以来、「ギラン・バレー症候群」の名が定まった。
その後も、ギラン・バレー症候群は、さまざまな変遷を重ねつつ治療の革新が進み、急性特発性多発神経炎、急性炎症性脱髄性多発神経根ニューロパシー、フィッシャー症候群とも呼ばれるようになった。
しかし、そこに先駆者ジャン・ランドリーの名はない。ミエロパチーや上行性脊髄麻痺の解明に死命を尽くした功労者の名は忘れ去られている。ギラン・バレー症候群が「ランドリー・ギラン・バレー症候群」と呼ばれる日はついに来なかった。ランドリーは悔しがっているかもしれない。
だが、血漿交換療法、免疫グロブリン大量療法、免疫吸着療法など、免疫学的な治療に注がれた先人らの功績や情熱は、ギラン・バレー症候群の名に鉱脈のように刻まれている。
*参考文献:『アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語』(ダウエ・ドラーイスマ/講談社)、『メルクマニュアル18版』
佐藤博(さとう・ひろし)
大阪生まれ・育ちのジャーナリスト、プランナー、コピーライター、ルポライター、コラムニスト、翻訳者。同志社大学法学部法律学科卒業後、広告エージェンシー、広告企画プロダクションに勤務。1983年にダジュール・コーポレーションを設立。マーケティング・広告・出版・編集・広報に軸足をおき、起業家、経営者、各界の著名人、市井の市民をインタビューしながら、全国で取材活動中。医療従事者、セラピストなどの取材、エビデンスに基づいたデータ・学術論文の調査・研究・翻訳にも積極的に携わっている。
2016.05.07 ヘルスプレス