ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者大量解雇で失業給付手続き 倉敷、対象多く広い会場使用

2017年08月08日 01時46分28秒 | 障害者の自立

 倉敷市内にある障害者の就労継続支援A型事業所5カ所が一斉に閉鎖され、障害者約220人が解雇された問題で、ハローワーク倉敷中央は7日、倉敷アイビースクエア(同市本町)で、雇用保険の失業給付の合同受け付け会を初めて開いた。解雇者が多く、窓口だけでは対応が遅れる可能性があるため、臨時的措置として広い会場で開催した。

 閉鎖したA型事業所で働いていた障害者を中心に、解雇された職員も含めて計約140人が参加。事業所を運営していた一般社団法人「あじさいの輪」と株式会社「あじさいの友」(いずれも同市片島町、同じ男性が代表)から離職票を受け取った後、ハローワークの職員に雇用保険の受給を申し込んだ。

 精神疾患のある40代男性は「雇用保険の受給期間(原則、離職の翌日から1年)内に次の仕事を見つけたいが、見通しは立っていない」と不安げに話した。

 ハローワーク倉敷中央によると、閉鎖したA型事業所は職員49人(7月31日時点)も解雇。職員だった50代男性は「障害者だけでなく、われわれの雇用も奪われてしまった」と声を落とした。

 国、岡山県、同市は障害者の受け入れ先を見つけるよう、両法人・会社に勧告している。

雇用保険の失業給付を受けるため、手続きの順番を待つ障害者ら


高齢視覚障害者の今/上 施設の暮らし 専門的ケアなど充実

2017年08月08日 01時39分45秒 | 障害者の自立

 高齢視覚障害者の生活を巡って、介護保険制度への移行による利用可能なサービスの変化や費用負担の増加といった問題が指摘されている。施設や地域での暮らしの現状はどうなっているのか? 昨年6月オープンの京都ライトハウス高齢者総合福祉センター「ライトハウス朱雀」(京都市中京区)を訪ねた。

 ■交流の機会さまざま

 主任生活相談員の木原智徳さん(41)の案内で4階の廊下を歩いていると、ほのかな良い香りが漂ってきた。「コーヒーの豆ひきクラブの皆さんです」と木原さん。食堂で利用者の男性が数人に囲まれて手動のコーヒーミルを回していた。別の男性が「次やろうか」と申し出る。和気あいあいの雰囲気だ。他にボウリングやアロマ、園芸などのクラブがある。一番人気はカラオケ。使うのが専用の機器ではなく、任天堂の家庭用ゲーム機「Wii」と聞いて驚いた。施設内の活動だけでなく、外出や地域交流の機会もある。利用者や職員らで「京都鉄道博物館」に行ったり、近くの保育所から園児らが訪ねてくれたりもする。

 朱雀は、京都府内で唯一の盲養護老人ホームだった「船岡寮」(京都市北区)が移転してできた。最寄り駅から徒歩5分。5階建ての建物の延べ床面積は約6000平方メートル。屋上は、プランターなどが置かれた庭園風でベンチもある。周囲は手すりで囲まれ、全盲でも伝いながら1周できるようになっている。

 リニューアルに伴い、一定以上の要介護認定を受けた人が暮らす特別養護老人ホームを始めた。特養入所者の2、3割が視覚障害者だ。デイサービスセンターや喫茶コーナーなどもある。盲養護の定員は50、特養は74(うちショートステイ9)。居室は全て個室で約6畳、特養は少し広い。現在、共に50人を超す待機待ち状態だという。

 盲養護の利用者は、同行援護の制度が使える。そのため、ガイドヘルパーと毎日のように出かける人もいる。木原さんは「皆さんいろいろな事業所と契約して、時間を忘れたり勘違いされたりで、調整が結構大変なんです」と苦笑いする。

 ■「なんと言っても気楽」

 盲養護の利用者の多くは、自室の掃除や洗濯は自分でする。館内には触覚や音の工夫が幾つもあった。廊下の手すりの形が居室側は三角形、反対側は丸い形。居室側の壁は波打っていて反対側がつるつる。これで、自分がどの方向を向いているのかが分かる。各部屋の扉近くの手すりには、丸や三角、四角の触知サインが付いている。点字が読めなくても、これを触れば自室やスタッフの部屋、洗濯室などが区別できる。フロアの中央を知らせるため、水が滴り落ちる水琴窟が壁に埋め込まれていた。

 点毎と同じ1922年5月生まれの住田芳枝さん(95、光覚)の部屋にお邪魔した。部屋にはベッドや洗面所、トイレ、クローゼットなどがある。朱雀開所時に入った住田さんは、それまでの4年間、1人暮らしだった。朝夕ヘルパーが来て、週1回デイサービスに通っていた。ケアマネジャーに紹介された朱雀の生活に「良くしてもらって幸せ」と満足そうだった。

 よく一緒に食堂で食べるという3人の女性にも話を聞いた。清水博子さん(70、強度の弱視)は、晴眼者の夫を亡くした1年後、船岡寮に入った。よく外出し「出かけるのが楽しみ」と話す。10年余り前に船岡寮に入った青谷きみ枝さん(78、強度の弱視)は「最近腰が痛くて、お風呂や食事は車椅子で連れて行ってもらう。1人で家にいたら、誰にも手伝ってもらえないので助かる」とスタッフに感謝する。長年1人で暮らし昨年朱雀に来た山本泰子さん(77、全盲)は「同じ視覚障害の仲間とのつながりがありがたい」と話す。入所までの経緯は、親類に勧められたり自ら希望したりさまざまだが、「買い物や食事の心配がなく、なんと言っても気楽」と口をそろえる。

 ■利用料は年金額内

 施設の利用料は人によって異なるが、障害基礎年金額の6~7割が多い。全国盲老人福祉施設連絡協議会によると、国内では富山、鳥取を除く45都道府県に計51の盲養護老人ホームがあるという。朱雀のように設備が新しい施設は待機待ち状態だが、定員割れのところも多い。介護保険外の措置施設である盲養護への入所に、財政負担の面から積極的でない自治体が多いことなどが背景にある。施設の暮らしは、専門的なケアや同じ当事者の存在で安心でき魅力的なだけに活用できていないのは惜しい。

点字毎日    2017年8月6日


障害者に移動手段を 高知県いの町で自動車運転教室

2017年08月08日 01時27分20秒 | 障害者の自立

 高知市障害福祉センター主催の「障害のある方の運転教室」が8月5日、高知県吾川郡いの町枝川の高知県運転免許センターで開かれた。けがや病気などで運転免許を取得していなかったり、運転から遠ざかったりしている9人が参加した。

 身体などに障害がある人も移動手段を得て、社会に積極的に関わってもらおうと毎年開催している。

 参加者は適性検査をした上で実技講習へ。上半身のみで運転可能な手動操作式自動車など3台を使い、免許センター職員の助言を受けつつ実際にコースを走行した。

自動車の操作説明を受ける参加者(8月5日午後、高知県吾川郡いの町の高知県運転免許センター)

2017.08.06   高知新聞


医療的ケア児のママが史上初めて大臣になった

2017年08月08日 01時06分11秒 | 障害者の自立

 医療的デバイスを付けて生きる障害児、医療的ケア児。

【マーくんママとの出会い】

 野田聖子さんとは特別養子縁組支援の法制化で、2013年後半から何度かお会いしていた。ただ、ちゃんと話すようになったのは、彼女のお子さんが、僕たちフローレンスの運営する「障害児保育園ヘレン」に偶然にも入園してきた時からだった。

 野田さんのお子さんのマーくんは、痰の吸引など医療的ケアが必要で、普通の保育園や幼稚園には行けなかった。保育園や幼稚園は看護師を置いていないところも多く、またたとえ置いていたとしても、ほとんどの園では医療的ケアを行わない。

 仕方がないので彼女は月に数十万円もかけて看護師を雇って、働いている時にみていてもらっているようだった。障害児保育園ヘレンには保育士も看護師もいるが、国の補助も活用して月々数万円で預けられる。入園の際は、喜んでいらっしゃった。

 それからしばしば、「マーくんのママ」としてお会いすることが多くなった。会うたびに、iPhoneで撮ったマーくんの動画を出しながら、「こんなことができるようになったの」「ほら、この顔、可愛いでしょ?」とワハハと笑いながら見せてくれた。

 自民党のすごい偉い議員さん、というよりは、普通の子どもを可愛がっている肝っ玉母さんで、朗らかに子育てに奮闘している、という印象だった。

【絶句する元国家戦略担当大臣】

  そんな中、民主党政権の時に国家戦略担当大臣を勤めた、荒井聰議員がヘレンに見学に来てくれた。そこで荒井議員はマーくんを見かけ、ヘレン入園前に野田さんが何十万もかけて、マーくんを預けるのに苦労していた話を聞いて、絶句していた。

 「そんな・・・。野田聖子って言ったら、すごい力を持った政治家だぞ。その彼女ですら、そんな苦労をするって、一体どういうことだ・・・」

 彼は早速、他の党だったけれど野田聖子さんに連絡し、話し込んだ。

 「野田さん、あなたの息子さんのような状況の子どもはたくさんいる。あなたは自分の息子のためにやっている、と言われるからやりづらいかもしれないが、それでも立ち上がらないといけないんじゃないか?やるんだったら、協力するよ」

 そんなことを伝えたらしい。野田聖子さんと荒井議員は、息子さんと同じように、行き場がなくて心身ともに疲弊している医ケア児とその家族たちの問題を政治的イシューにあげようと、超党派の勉強会を創った。

 その会議は、「永田町こども未来会議」と名付けられた。

 実際の永田町こども未来会議の様子

実際の永田町こども未来会議の様子

【動き出した政治家 野田聖子】

 野田聖子さんと荒井議員は、自民・民進・公明党と異なる党から、障害児問題に関心のある議員を集めた。また、厚労省内では医療・障害・保育と部署が分かれていることで、そのどこにも拾われていないことが分かり、関係部署は全て呼ばれた。さらには学校も絡んでくるので、文科省の障害担当部署も呼ばれた。また、内閣府も絡むので内閣までも。

 この「関係者丸ごと呼ぶ」という異例中の異例の会議を何度も開催していくことで、医ケア児について初めてまともに省庁と議員が語り合うことになった。

 そして、統計すら存在していないこと。よってどこにどれだけの医ケア児がいるかも分からず、当然十分な支援を受けていないことが分かった。

 さらには、特別支援学校に行っても十分な支援体制がなく、親が付き添い続けなくてはならない、という酷い状況であることも明らかになった。

 野田聖子さんは、当事者の親として、官僚たちが「これこれこういう制度があるはずですが・・・」等と言っても、普通なら「あ、そうなんだ」で終わってしまうところを、「いや、そんな制度現場に降りてきてないし、そもそもその制度を回せる人材もいないのよ。だってうちが使おうと思ったら、使えなかったし」と、ゴリゴリ切り込んでいったのだった。

 これらの調査・議論・対策検討を、ものすごいスピードで行なっていった。政治家、野田聖子の手腕だった。

【野田さん達が、もたらしたもの】

 永田町こども未来会議では、障害者総合支援法の改正に合わせて、医ケア児支援をぶっこんでいこう、という狙いがあった。

 野田聖子さんの息子さんの写真を見せ、国会で医療的ケア児について説明する荒井聰議員

野田聖子さんの息子さんの写真を見せ、国会で医療的ケア児について説明する荒井聰議員

 はたして永田町こども未来会議が動き出して1年ちょっとの2016年5月。その改正条文に、日本の法律で初めて、「医療的ケア児の支援」が謳われた。

 全ての基礎自治体は医療的ケア児支援の努力義務を負うこと、となったのだ。これは社会福祉の教科書に載るような出来事だった。

 これまで制度と制度の狭間で苦しんでいた人々に、一筋の光明が差し込んだのだった。

【学び】

 ここから僕が学んだことは、こうだ。

 マイノリティ当事者が、政治の場にいなければダメだ、と。

 野田聖子さんは、医ケア児というマイノリティの息子さんを持ち、まさに肌感覚でその苦労を分かっていた。その知識とモチベーションは、力がある。

 知識がなければ、官僚の人たちを動かせない。制度論でケムに巻かれてしまう。モチベーションがなければ、官僚の人たちを動かせない。彼らは政治家の本気を見ている。

 マイノリティ当事者には、この2つがある。マイノリティのために制度を変えるには、マイノリティ自身が政治の場に送り込まれなければならない。

 女性を、障害児の親を、障害者を、LGBTを、里親を、外国にルーツがある人を、ひとり親家庭出身者を、ステップファミリーで育った人を、その他さまざまな少数者が、政治の場で血肉が通った言葉で発言し、制度づくりに携わるべきなのだ。

 そしてマーくんママ、いや野田聖子総務大臣。医ケア児仲間が総務大臣という責任あるお仕事に就かれたこと、誇りに思います。

 同時に、例えば医ケア児や障害のある人々が、テレワークでどこにいても仕事ができる社会をつくれるようにするのは、総務省のお仕事です。野田さんがご存知の通り、99%の医ケア児の母親は働けていない。テレワークが普及すれば、少しでも働ける母親が増えるかもしれない。

 頑張ってください。いや、共に頑張りましょう。いつの日か医ケア児とその家族が当たり前に暮らせ、学べ、働ける日本となるように・・・。

認定NPOフローレンス代表理事/全国小規模保育協議会理事長  8/6  Yahoo!ニュース


音のない世界でミッションに挑戦

2017年08月08日 00時51分04秒 | 障害者の自立

音のない世界で、さまざまなミッションをクリアしていく、エンターテインメント「ダイアログ・イン・サイレンス」。
世界中で、100万人が体験した話題のイベントが、日本初上陸しました。

「ダイアログ・イン・サイレンス」。
静けさの中の対話をテーマにしたイベント会場には、一緒に体験する人たちが、続々と集まってきていた。
今回は、女性会社員の参加者が多い中、夏休みとあって、高校生も体験しに来ていた。
参加者(高3)は「聴覚障害の友達が結構いて、よく会ったりしているので、自分も1回、その気持ちになってみようかなと思って」と話した。
そして、イベントがスタートした。
最初の部屋へ進むと、いきなり耳をふさいで音を遮断する、ヘッドセットを着用することに。
ここから、音のない世界の始まり。
実は、イベントを進行するアテンド役は、聴覚障害者が務める。
次のミッションは、手のダンス。
暗い部屋で、言葉を封印した状態の中、テーブル上に手で影絵を作り、手の動きだけで、どこまでコミュニケーションが取れるかを認識していく。
続く部屋では、スクリーンに映し出された映像をヒントに、顔の表情だけで、コミュニケーションを取っていく。
別の部屋では、1つの箱を挟んで向かい合う。
箱の裏側には、写真が貼ってある。
そして箱の中には、写真と同じ小物が入っている。
ここでは、制限時間内に、ジェスチャーのみで、写真と同じ配列に小物を並べるよう、相手に伝えなければならない。
こうして、静寂の中での対話力が高まったところで、ヘッドセットを外す。
ここでようやく、言葉による会話が許される。
この頃には、何か忘れていた感覚を思い出していた。
このイベントは、1998年にドイツで開催されて以来、世界中で100万人以上が体験、さらに障害者の雇用にも貢献している。
参加者(会社員)は「すごく言葉に表せないぐらい、すてきな体験ができました」と話した。
不思議な連帯感と感動が生まれる「ダイアログ・イン・サイレンス」は、8月20日まで開催されている。

08/06   fnn-news.com