ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

犠牲者の匿名で安否わからず 障害者を同等に見ないうわべの優しさが事件うむ

2017年08月06日 12時13分30秒 | 障害者の自立

 「突然ふっと、ね」。知的障害がある小西勉さんは自宅に近い横浜市内の駅のホームで、向かってくる電車の方に吸い込まれるように進むときがある。「ここ2、3年、何回も。今だってあります」。途中で「ああ」と思い、足が止まる。相模原殺傷事件の植松聖(さとし)被告(27)は「障害者は不幸しかつくらない」と主張。ネット上には賛同する書き込みもあった。小西さんは「悲しいけど、周りにもそういう人はいるし」とポツリ。“自殺”しそうになる理由を一つには絞れないが、社会の空気は大きな要因だという。

 発生から1年がたった相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件で、警察は殺害された19~70歳の入所者19人の氏名を公表していない。「遺族の希望」が理由だ。

 ■無事かが不明

 小西さんは、事件現場となった施設に何度も足を運び、献花した。友人が入所していたという仲間は「名前が出ないから、無事かどうか分からない」と嘆いた。「自分なら公表してほしい」。そう語り合った。

 昨年9月、横浜市で開かれた知的障害の当事者団体「ピープルファースト」の全国大会。小西さんは実行委員長を務めた。参加者からは「自分で決めるという当たり前のことを奪われてきた」「『特別支援学級に行け』『施設に行け』と、親や行政に人生を決められる」といった声が出た。

 皆でまとめたメッセージには、こんな文言が。「なぜ仲間が施設に集められているのですか。みんな、私たちの気持ちを、夢をちゃんと知ってくれていますか。私たちにつながる人たちのうわべのやさしさが(事件の)犯人に間違いを起こさせたのではないですか」

 ■自分で決めたい

 小西さんは今年3月、京都市で開かれたシンポジウムでも訴えた。「自分の生きる価値も、幸せも、不幸せも、自分にしか決められない」

 事件の後、街頭でビラ配りを続けている脊髄性筋萎縮症の石地かおるさんは最近、駅や公共施設の看板などに、あるフレーズが増えたと感じている。「障害者に思いやりと優しさを」。目にするたび、心がざわつくという。

 レストランに入ったとき、店員が自分の方を見ることなく介助者に注文を聞く。電車に乗るとき、駅員は自分ではなく介助者に行き先を聞く。まるでその場にいないかのように扱われる。「同等に見ないままの『優しさ』では何も変わらない」

 ■ずっと分けられ

 地元の小学校の中にある障害者だけのクラスに通った。普通学級に友だちも多く、何度も「みんなといたい」と訴えたが駄目だった。理由を説明された記憶はない。

 中学からは親の意向で障害者だけの学校へ。ずっと分けられ、互いに出合わないまま生きている。それが「障害者が見えていない」ことにつながっていると考えている。

 「優しさ」という、人間にとって大切な気持ちすら、通い合わない。その状況は、障害者運動が本格化し始めた1970年ごろと変わっていないのではないか。石地さんはそう感じているという。

 ■相模原殺傷事件 平成28年7月26日未明、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺され死亡、職員2人を含む26人が負傷した。県警に逮捕された元施設職員、植松聖被告は「意思疎通できない人たちを刺した」と供述。横浜地検は5カ月間の鑑定留置を経て、刑事責任能力が問えるとして今年2月、殺人や殺人未遂など6つの罪で起訴した。最大の争点は責任能力の有無や程度となる見込みで、公判の長期化は不可避との見方が出ている。

2017.8.5    産経ニュース


障害者がデザインの花火 多摩川の夜空へ

2017年08月06日 11時52分56秒 | 障害者の自立

 多摩川の両岸で19日夜に開催される川崎市制記念多摩川花火大会東京都世田谷区たまがわ花火大会で、障害者がデザインした花火が打ち上げられる。都内の作業所に通う主に精神に障害のある男女6人が、日本を代表する花火師のアドバイスも受けて、彩り鮮やかな6作品を生み出した。

 一般社団法人「日本花火推進協力会」が国の委託事業として取り組んだ。協力会などによると、作業所でフラワーアレンジメントをしている障害者に、同会がデザインを依頼。今春からワークショップを重ねてデザインを完成させてもらい、それをもとに長野、秋田、東京の業者が花火を製作したという。

 できあがった6作品は空に舞うイチョウの葉や色とりどりのリース、花束、「松竹梅」などをイメージ。当日の午後7時10分から打ち上げられる予定だ。

 両花火大会はいずれも午後7時からの1時間。東急の二子新地駅や二子玉川駅近くで計1万2千発以上が打ち上げられる。川崎側の大会の問い合わせはサンキューコールかわさき(044・200・3939)。

 写真・図版 

打ち上げられる花火のもとになったデザイン画の一枚

2017年8月4日   朝日新聞

<アピタル:ニュース・フォーカス・その他>


相模原障害者殺傷事件・植松聖被告から届いた手紙

2017年08月06日 11時33分22秒 | 障害者の自立

 日本中を震撼させた津久井やまゆり園での障害者殺傷事件から7月26日で1年を迎えた。8月7日発売の月刊『創』9月号では「相模原事件後1年」という特集を組んでいるが、その中で植松聖被告の獄中からの手紙を全文公開している。彼はこの間、多くのマスコミの依頼に応じて自分の気持ちを手紙に書いているのだが、新聞・テレビは彼から手紙を受け取ったことは報じているが、詳しい中身を掲載していない。その理由は何よりも、植松被告の主張が昨年、事件を起こした当時と変わっていないからだ。その障害者への差別思想が改めて被害者や遺族を傷つけることへの配慮からだろう。

 その姿勢はひとつの見識だ。ただ『創』は独自の判断で、植松被告の手紙をなるべく詳細に取り上げていくことにした。新聞・テレビのように突然茶の間にメッセージが流れてしまうメディアと違って、雑誌の場合は目的意識的に購入するものだし、植松被告が何を語っているかを詳細に明らかにすることも事件を解明するうえで必要なことで、そのためには新聞・テレビより雑誌は適していると思う。

 今回、書かれた手紙を読んで、植松被告が昨年の犯行時と全く意識が変わっていないことも驚きではあったのだが、それだけでなく彼とのやりとりにはいろいろ興味深い事柄もあった。例えば以下のようなやりとりだ。私は彼に何回目かの手紙でこう書き送った。

《前回のお手紙で、あなたの考え全体はわかったのですが、気になるのは、あなたは津久井やまゆり園での職員としての仕事を通じて、そういう考えに至っていったわけですね。一般的に言われるのは、障害者と接している人たちは、世間の人と違って身近に接しているがゆえに障害者に対して愛情が生まれるということなのですが、あなたは障害者と接していった結果として逆というか、今のような考えに到達していったわけで、それはどういうきっかけでそう思うようになったのでしょうか。あるいはいつ頃からそう思うようになったのでしょうか。》

 植松被告が津久井やまゆり園の職員として勤務しながら、障害者への偏見を醸成させていったのは一体何によってだったのかというのは大事な論点だ。そして、私の問いに対する植松被告の7月25日の手紙の返事はこうだった。

《篠田先生の言われる「一般的」とは精神科医や障害者協議会の主張と思いますが、障害者施設や精神病棟など、閉じられた施設において管理する職員と利用者の間には支配・被支配の関係が構築されやすいことが指摘されています。

 アメリカの社会学者E・ゴッフマン氏が著書「アサイラム」の中で障害者施設などを「全制的施設」と呼び、その構図を説明しております。こうした施設の現場ではたびたび暴行事件が起きていることも報道されています。

 篠田先生は精神科医と親しい関係にあると思います。皆様のお人柄はそれぞれ異なると思いますが、「精神科医」はゴミクズです。その証拠に日本はウツ病と自殺者であふれております。》

 少々驚きだったのは、こちらからの問いを植松被告がきちんと読み取って返答していることだ。恐らく世間の多くの人は、あの信じがたい事件を起こした植松被告とは、相当に精神が崩壊しつつある人間というイメージを抱いていると思う。しかし、どうもそうではないらしい。私は連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚(既に執行)と、彼が処刑されるまで12年間つきあったが、宮崎死刑囚の場合は明らかに精神的疾患の影響が感じられた。しかし、植松被告はそれとは印象が違う。

 彼があの犯行に至った想念を、精神的疾病によるものと考えるのかそうでないのか、言い換えれば「妄想」なのか「思想」なのかというのは、あの事件を考えるうえでの最大のポイントだが、どうも宮崎死刑囚のケースとはかなり違うようなのだ。逆に言うと、それゆえに問題は一層深刻だとも言える。ある種の精神的病気と解釈するのはひとつの理解可能な筋道なのだが、そうでないとすれば、彼の妄想をどう理解すべきなのか。彼は何によってある種の想念にとらわれることになったのか。

 考えてみれば、ユダヤ人虐殺の前に障害者を大量虐殺したナチスの場合も、別にそれを履行した人たちが精神的疾病に冒されていたわけではない。ある種の歪んだ思想の結果としてそれが敢行されたわけで、人間は状況によってそういうとんでもないことをしでかす存在なのだと考えるべきなのだろう。そして何人かの識者が指摘しているように、植松被告の歪んだ想念が、どうも世界的規模で拡大している排外主義的思想(日本におけるヘイトクライムもそのひとつだが)とどこかでつながっているのではないか、というのも気になるところだ。

 植松被告は朝日新聞や共同通信に送った手紙で、テレビで見たイスラム国とトランプ大統領候補から影響を受けたとも書いているのだが、それらが彼に具体的にどんな影響を与えたかは定かではない。イスラム国についてテレビで見た影響というのは、一見わかりやすいのだが、そういう因果関係についてのあまりにわかりやすい説明というのは疑ってかかる必要もある。またたびたび指摘された、彼が「ヒトラーの思想がおりてきた」と語ったという話も、今回本人に直接尋ねているのだが、7月21日の手紙で彼はこう書いてきた。

《私はユダヤ人や黒人を見下し差別することはございません。ナチスの優生思想や現代の共生社会は物事の本質を考えることなく短絡的な思考に偏り、人間の尊厳や定義が蔑ろにされております。

一、自己認識ができる。

二、複合感情が理解できる。

三、他人と共有することができる。

これらが満たされて人間と考えられます。

 勉強不足の至る所で日本の裁判に詳しいことが分からないのですが、たしかに責任能力の無い人間は罪を償うことができません。しかし、それは罪が軽くなる理由になるはずもなく、心の無い者は即死刑にするべきだと考えております。》

 殺傷事件から1年を機に、新聞・テレビは7月23日頃から相当な量の報道を行った。植松被告はそれらのメディアの取材依頼に対して、比較的丁寧に手紙による回答を行っている。したがって彼はこの間、相当数の手紙をマスコミあてに発信したことになる。

 そのことと絡めて気になるのは、彼は4カ月間に及ぶ精神鑑定を経て「責任能力あり」と判定され、2月24日に起訴されたのだが、それを機に接見禁止が解かれて以降、連日、新聞社の接見取材に応じた。接見は1日1組しかできないから、各マスコミが毎日、申し込み手続きを行い、きりがないと判断したのか、植松被告側から5日目になって、これ以上接見には応じられないと通告された。その後は手紙による取材依頼に対応していったのだが、ここで気になるというのは、この半年ほどの彼のこうした行動に、ある種の「意思」が感じられることだ。つまり彼は自分の障害者差別的な想念を、社会に伝えようという意思をいまだに持っているのだ。あの事件の起こした重大な結果にひるむことなく、いまだにその妄想にかられているのだ。

 その2月末からの一連の接見取材の内容は、運よく接見できた東京新聞、朝日新聞、毎日新聞、神奈川新聞によって報道されたのだが、彼はそこで謝罪を行ったのだった。例えば3月1日付東京新聞では、植松被告が「私の考えと判断で殺傷し、遺族の皆さまを悲しみと怒りで傷つけてしまったことを心から深くおわびします」と語ったことが報じられている。世間には彼が「謝罪した」という印象が広まったと思うが、問題はその中身だ。

 今回の彼の手紙によって改めて明らかになったのは、植松被告は事件については謝罪反省をしておらず、彼が謝罪したのは、障害者以外の家族や職員などを事件に巻き込んだことだった。

彼は昨年の事件の時も、侵入した津久井やまゆり園で、職員らには危害を加えるつもりはないことを告げており(実際には抵抗した職員などに暴力を行使しているのだが)、自分が何を標的にしているかについては明白な意思を持っていた。彼を支配している妄想は、彼の意識の中でどうも確固たる形をなしているようなのだ。

 さて、この事件の裁判で植松被告の刑事責任能力が大きな争点となることは間違いない。刑法39条では被告が犯行時、心神耗弱ないし心神喪失であったと判断された場合は、それぞれ罪を減じたり無罪にすることが決められており、弁護団も恐らくそれを主張すると思われる。

それゆえ植松被告の精神鑑定の中身は重要なのだが、起訴前の鑑定では、彼に「自己愛性パーソナリティ障害」という診断がくだされている。「パーソナリティ障害」は「人格障害」とも言われ、要するに精神障害ではない、病気ではないので責任能力はあるという診断だ。

例えば宮崎勤死刑囚の場合は、精神鑑定の診断が精神科医によって幾つにも分かれるという異例の事態となった。それだけ精神鑑定とは難しいものなのだが、社会で大きな問題になった事件の場合は、最終的に裁判所が採用するのは「責任能力あり」と認定したものであることが殆どだ。

 裁判所としては社会秩序の維持といったことを念頭に置いて裁きを行うからどうしてもそうなるのだが、私はそうした裁判をいろいろ傍聴してきて、「人格障害」という概念は、そういう裁きを行うために生み出された便利な概念なのではないかとまで、うがった見方をしてしまう。裁判は、犯罪を起こした人に対して「裁き」を行うのが第一の目的なのだが、人を裁くということと、事件を解明することとは必ずしもイコールではない。宮崎事件などは、責任能力を認めて死刑を宣告するために、彼が精神的な病気ではないと認定した結果、いろいろ無理が生じてしまったのは明らかだ。

 平成の時代になって、精神鑑定が裁判で大きな要因を占める、わかりにくい凶悪事件が目につく。宮崎死刑囚も池田小事件の宅間守死刑囚(既に執行)もそうだが、大体が「人格障害」と診断されて死刑になるというパターンだ。事件が複雑化しているのは、恐らく社会が複雑になっていることの反映だろう。そうした複雑な事件に対応するためには、私はこれまでの司法のシステムだけでは不十分な気がしている。今回の相模原事件も、これを裁判員裁判で果たして裁けるのだろうかという気がしてならない。

 犯罪の複雑化、あるいはその背景にある社会の複雑化に対応するためには、裁判官だけでなく、精神科医や社会学者など様々な専門家の叡智を結集しなければならず、そのための仕組みを整えていくことが、今、要請されているような気がする。そのためには、可能な範囲で事件に関わる情報を公開し、社会的議論を起こす必要があると思う。『創』が植松被告の言動をできるだけ詳しく公表しようと考えるのはそのためだ。私は宮崎死刑囚と長年関わって、彼の証言を2冊の彼の著作『夢のなか』『夢の中、いまも』にまとめたが、これは連続幼女殺害事件を考えるうえでの最も貴重な資料だ。

 相模原事件は、障害者差別や、措置入院の在り方、犯罪と精神医療との問題など、戦後、曖昧にされてきた深刻な問題を、パンドラの箱を開けるように表に引きずり出した。植松被告がそれをどこまで自覚して犯罪を犯したのかはわからない。ただ、この事件によって引きずり出された問題は、社会の側が相当本腰を入れて対応しないと、社会そのものが崩壊しかねないような要素を含んでいるように思える。事件直後には死者の多さをもって戦後最悪の事件などとも報道されたが、問題はそんなことではない。相模原事件はもっと別の意味で極めて衝撃的な事件だった。

 最後に、ぜひ参考にしてほしいという思いを込めて、ヤフーニュース雑誌に、『創』2013年9・10月号の精神科医へのインタビュー記事を公表することにした。池田小事件の宅間死刑囚の精神鑑定を行った岡江晃医師(故人)へのインタビューで、岡江さんは2013年5月に、その宅間死刑囚の精神鑑定書を一般向けに出版して話題になった。

私は京都まで岡江さんを訪ねてインタビューし、その後もメールでやりとりしていたのだが、そのやりとりの中で岡江さんががんに冒されて、余命を考えながら仕事をしていることを明かされた。精神鑑定書を公開したことは賛否あって物議をかもしたのだが、私には、岡江さんが自分の余命を考える中で何をなすべきか考えていたような気がしてならない。宅間死刑囚の鑑定書を社会に公開することも、精神科医としての社会的責任の取り方と岡江さんは考えていたのではないだろうか。その意味で、岡江さんのインタビューは今読み返しても深い意味を持っているし、「人格障害」について精神科医としてどう考えているのかも参考になる。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170804-00010001-tsukuru-soci

宅間守鑑定医が語る「人格障害とは何か」

一緒に、『創』2月号に掲載した障害者、海老原宏美さんの話もヤフーニュース雑誌に公開した。この1年間、相模原事件関連の記事を『創』はたくさん載せてきたが、その中でも反響が大きかったひとつがこの記事だ。植松被告の事件を障害者がどう受け止めているかという問題は、もっと論じられていい。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170803-00010000-tsukuru-soci

相模原事件について障害者の立場から思うこと   海老原宏美

今度発売される『創』9月号に掲載した津久井やまゆり園の「家族会」前会長の尾野剛志さんのインタビューにも考えさせられた。犠牲者19人の遺族や被害者の家族のほとんどが匿名を続けていることに対しての尾野さんの思いを語ったのが「黙ってしまうと植松に負けたことになる」という言葉だ。もちろん遺族が実名を名乗れない背景には、深刻な障害者差別があるわけだが、尾野さんはそれを承知のうえで、敢えて「黙っていては植松に負けたことになる」と語っているのだ。

凄惨な犯行に負けないためには、社会のいろいろな人がある種の覚悟を発揮することが必要だ。それは障害者に関わる人たちだけでなく、精神科医や法律家もそうだし、何よりもメディアに関わる人間にとってそうだと思う。相模原事件にどう立ち向かうかは、ジャーナリズムに関わる人たちにも、本当に大きな課題を投げかけている。相模原事件の解明は、まだ始まったばかりだ。身勝手な主張であることは同感だが、植松被告が社会に向けて何かを語ろうとしていること自体は、私には悪いことではないと思える。事件から1年目の津久井やまゆり園献花台

事件から1年目の津久井やまゆり園献花台

植松聖被告から届いた手紙

事件から1年目の津久井やまゆり園事件から1年目の津久井やまゆり園

 篠田博之  | 月刊『創』編集長 8/4(金)


障害者の就職 増加中 市とNPO 体験事業開始から3年

2017年08月06日 11時22分55秒 | 障害者の自立

 障害者などマイノリティーが暮らしやすい社会づくりを目指すNPO法人ピープルデザイン研究所(東京都渋谷区)が、二〇一四年八月に川崎市と障害者の就労体験事業を始めて丸三年。体験に参加して働く意欲を高め、正規就労に結び付く事例が増えている。 

 事業は、市内のスポーツチームや企業の協力で、就労を目指す障害者がイベントでのスタッフ業務を体験できるというもの。昨年度は十七企画、四十八回の就労体験に延べ四百八十六人が参加し、五十九人が一般企業に就職した。二〇一五年度は参加者延べ四百三十八人に対し就職は十人だった。

     ◇

 高津区の岩沢直樹さん(33)は、手芸関連の出版社「日本ヴォーグ社」=東京都中野区=の人事総務課で四月から働く。社内で使う文房具の在庫管理や郵便物の配布といった業務にあたる。

 小学生のころから忘れ物が多く、集中力が続かなかった。神奈川県内の私大を卒業後、職を転々とした。どこでも人間関係につまずき、仕事の手順を覚えられない、突発的な事態に対応できないといった壁に突き当たった。母親の勧めで受診した一昨年夏、発達障害と診断された。

 昨年五月から就労移行支援サービス事業所でパソコン操作などの訓練を受けた。就労体験事業では、十月の「カワサキハロウィン」で仮装行列の最後尾についてごみ拾いをした。「同じ仕事をする人と連携する大事さが分かり、観客にも『ごみありますか』と呼び掛けることができた」

 現在の上司の谷中美香さん(44)は「仕事の手が空いた時に『何かやることは』と聞いてくれる。就労体験で知らない人とコミュニケーションが取れる一歩を踏み出せたのが良かったのでは」と話す。

 幸区の梅寺孝さん(35)は、ごみ焼却場の運転管理を担う「Hitz環境サービス」=川崎区=の事務職として働く。全国の焼却場から上がってくる週報の取りまとめや、契約書のファイリングといった業務をこなす。

 五年前の夏、脊髄小脳変性症と診断された。二年前に同じ病気で母を亡くしている。足元がふらつく、話す時に舌がもつれるなどの症状があり、前職の不動産会社では電話応対がこなせず、物件の内覧同行もできなくなり、退職した。

 昨年十月に正社員として採用された現在の職場では、コピー機の隣に席を割り当ててもらい、キャスター付きの椅子を活用し、円滑に業務をこなしている。

 就労体験事業には昨年五月に参加。富士通スタジアム川崎で行われたアメリカンフットボールの試合で観客誘導やごみ回収を担当した。観客席が階段状で、転倒を心配したが、スタッフの配慮で平行移動できるエリアを担当した。「周囲のサポートを受けて働く生き方もあるんだ」と心強く感じたという。

事務用品会社と電話で連絡を取る岩沢直樹さん

2017年8月5日    東京新聞


住民自由に出入り自由…和歌山・箕島に交流施設6日オープン、障害者が働くカフェも

2017年08月06日 11時14分28秒 | 障害者の自立

 高齢者や子供、障害者らを含めすべての地域住民が自由に出入りできる居場所を目指した交流施設「AGALA」が、和歌山県有田市箕島の本町商店街入り口に6日、オープンする。空き家を借りてボランティアらで改修し、1階に障害者が働くカフェ、2階には集会などに利用できるフリースペースが完成。幅広い世代が集い、まちづくりを考える場としての活用も期待される。

 市役所などの公共施設、病院や大型店舗が立地し、有田市の中心市街地を形成する箕島地区。商店街はかつて約120の商店でにぎわっていたとされるが、現在は空き家や空き店舗が増え続けている。

 空き家を活用した居場所づくりは、同市社会福祉協議会と関連事業所でつくる「市地域福祉ネットワーク会議」が企画した。設計や塗装、電気工事などは職人らがボランティアで行い、材料費には同協議会が積み立ててきた寄付金を活用したという。

 1階のカフェは18日にオープンする予定で、働く障害者に最低賃金が保障される就労継続支援A型の事業所が同市内に初めてできる。障害者の経済的自立を図ることができるほか、住民らに障害への理解を深めてもらうねらいもある。

 また、2階の無料レンタルスペースでは、障害や認知症、介護予防など福祉にまつわるさまざまなテーマについての講座を、月に2回開くことにしているという。

 6日の開所式では、改修工事に参加したボランティアらに感謝状が贈呈される。同協議会の担当者は「みんなで作り上げた居場所。オープン後も地元のいろいろな人がつながっていくような空間を実現し、市内各地にも波及させていけたら」と話している。

空き家を改修した交流施設「AGALA」(有田市社会福祉協議会提供)

空き家を改修した交流施設「AGALA」(有田市社会福祉協議会提供)

2017.8.4    産経ニュース