公的福祉サービスの量的拡大という従来のやり方では対応できない現実に私たちは直面している。
人口が減り続ける中で高齢化はますます進む。どうやって福祉や医療の財源を確保し、介護現場の働き手を増やしていくのかは難問だ。特に人口減少が著しい地方はコミュニティー自体が存続できないところが出てきている。
日本の社会保障制度は、高度成長期に雇用労働者が多数派となり、病気や老後への備えとして国民皆保険・皆年金が1961年に整ったところに最初の頂点を迎える。
しかし、その後も平均寿命は延び、介護が必要な人が増えた。一方で専業主婦より夫婦共働きの世帯が多くなり、家族で老後を支えるのが難しくなった。第2の転換期に作られたのが2000年の介護保険だ。
従来の政策では無理だ
今後は高齢層のさらなる膨張と急速な人口減少を迎える。これまでの福祉の考え方では対処できなくなるのは明らかだ。
財源や働き手の不足だけでなく、人々の暮らしの変容についても目を向ける必要がある。独居の高齢者は増え続け、うつ、ひきこもり、アルコール依存などの問題が広がっている。公的福祉サービスをどれだけ拡充しても、長い老後をひとりで過ごす人々の孤独や疎外感を解消することはできない。
子どもの貧困や虐待もそうだ。以前には困窮状態の親を助けたり、親代わりになったりする人がそばにいるのが普通だったが、今はそうした親族も近隣の人もいない。
こうした現実は、家族や地域社会が担ってきた機能の中に、公的な制度では代替できないものがあることを突きつけている。
この第3の転換期をどう乗り越えるのかを考えなければならない。
厚生労働省は昨年「地域力強化検討会」を設置した。「我が事」「丸ごと」をキーワードに少子高齢化の時代の人々の暮らしをどう守るかを議論してきた。
近くまとまる提言は、すべての人々が地域に主体的に参加することを柱としている。福祉の「受け手」と「支え手」を固定せず、高齢者も障害者も支える側に回ること、商業・サービス業・農林水産業など分野を超えて地域経済や支え合いに参画することが打ち出される。
もう一つの柱は、縦割りの福祉ではなく、地域の課題を「丸ごと」受け止める体制を作っていくことだ。
最近は80代の親と働いていない50代の子が同居している困窮世帯を指す「8050問題」、介護と育児を同時に担わなければならない「ダブルケア」などが増えている。従来の縦割りの福祉行政で対処が困難になっているのだ。
こうした「地域力強化」には批判も起きるだろう。財源確保ができない国が責任を放棄し、地域に役割を押しつけるのではないかと警戒する声はすでにある。介護保険の財源不足から、国はサービスを制限してきた経緯もあるからだ。
多様な特性を生かそう
高齢者や障害者を支える側に回すことや、他分野を巻き込んで地域おこしをすることは簡単ではない。国が人材育成や情報の集積とネットワーク作りに責任を持つ覚悟を本気で示さなければ、国民の不信を解消することはできないだろう。
しかし、国を批判し将来を悲観しているだけでは、暮らしの安心は得られない。
全国各地には先行する実践例がいくつもある。北海道当別町の社会福祉法人は中高年の主婦や高齢者、障害者が一緒に活動できる場を作り、ひきこもりの子どもや高齢者を巻き込んだ地域づくりを実現している。
鳥取県倉吉市では40代の福祉職員が地場産業であるソバの生産で起業し、多数の障害者や介護離職者、難病の人などの仕事を作り出している。後継者難などから閉鎖した工場を活用して事業を拡張している。
地方の事情は多様だ。すでに高齢化のピークが見えてきた自治体も多い。独自の特産物や伝統文化を継承しながらコミュニティーの再生に努めている事例には事欠かない。
国が全国一律の制度を作って普及するだけで済む時代ではない。地域の状況に合わせて住民が主体的にコミュニティーの再生に関わることが求められている。
平均寿命はこれからも延びる。長い老後をどう過ごすのかは、私たち自身が考えねばならないのだ。
毎日新聞 2017年8月21日