ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者スポーツ普及へ 静岡県がパラ選手派遣

2017年08月16日 12時23分27秒 | 障害者の自立

 静岡県は2017年度、昨夏のリオデジャネイロパラリンピックに出場した県内選手でつくる「障害者スポーツ応援隊」を大学の講演会や特別支援学校の部活動などに派遣する取り組みを始めた。体験を語ったり技術指導をしたりすることで、障害者スポーツの普及促進を図る。
 応援隊は16年10月、パラリンピックでの県勢活躍を受けて県が任命した。メンバーは走り幅跳びで銀メダルを獲得した山本篤選手ら12人。16年度はトークショーを開催し、17年度から予算を付けて本格的に活動を始めた。
 このほど、ボッチャ団体銀メダリストの杉村英孝選手(伊東市)が、県内の特別支援学校教諭約50人が参加する指導力向上研修会(静岡市葵区)に派遣された。講演と実技指導を行った杉村選手は「ボッチャにアスリートとして世界と戦う夢を与えてもらった」と語り、「障害があっても楽しみの選択肢にスポーツがあっていい。自分にできるスポーツがあると生徒に伝えてほしい」と呼び掛けた。参加した教諭は「障害者だからと諦めない生き方が生徒たちと重なった。教員として指導する上で大切なことを教えてもらった」と話した。
 応援隊は12月までに特別支援学校7校への派遣が決まっている。7月のパラ陸上世界選手権で活躍した選手に対し、新たな派遣要請もあるという。
 県障害者政策課は「障害者アスリートを身近に感じてもらい、競技への理解や挑戦につなげたい」と選手たちの発信力に期待している。

特別支援学校の教諭らに実技指導を行う杉村英孝選手(右端)

2017/8/15   @S[アットエス] by 静岡新聞

 

 


新潟県が「職場リーダー」養成講座

2017年08月16日 11時26分50秒 | 障害者の自立

 県は、企業内で障害者雇用の推進に努め、就業後もサポートに当たる人材「職場リーダー」を養成するための講座を29日から始める。障害者雇用を検討する企業の担当者が対象。

 講座では、産業カウンセラーによる講義で障害者雇用制度や身体、知的、精神それぞれの障害に対する理解を深めるほか、チェックシートを用いて自社の現状、雇用に向けた課題を把握する。

 また障害者一人一人の特性が自社のどのような業務に適しているかや、社内の支援体制について実例を基に学び、参加者同士のグループ討論を通じて雇用計画づくりに取り組む。

 講座は、県が2015年度から年数回開いている。17年度は29日の長岡市中央公民館を皮切りに、9月28日に上越市市民プラザ、10月11日に三条市中央公民館、同25日に新潟ユニゾンプラザ(新潟市中央区)で行い、年明け以降にも1回を予定する。

 各回とも定員30人で参加は無料。問い合わせは県障害者雇用促進プロジェクト事業事務局、025(282)4855。

2017/08/15   新潟日報


障害者サポート 筆談や介助で盛り上げ

2017年08月16日 11時08分46秒 | 障害者の自立

 全国障害者スポーツ大会でバリアフリーの支え手となるのが、聴覚障害のある選手や観客への案内、情報提供などを担う「情報支援ボランティア」と、選手団に同行して介助などをする「選手団サポートボランティア」。共通するのは「心から楽しんでもらいたい」との思いだ。

 約860人の情報支援ボランティアは、サークルなどに所属して活動している人が中心で、手話、筆談、要約筆記(パソコン使用)に分かれている。

 7月下旬、松山市本町6丁目の県視聴覚福祉センター。ソフトボール(知的障害)会場を担当する筆談ボランティア4人が研修で集まった。当日は手書きの情報伝達が基本だが、事前に用意できる文章は紙に印刷しておき、ボードにセットした紙を動かしながら、話している箇所を指し棒で示す。研修では、来賓あいさつを想定して原稿を読み上げ、見やすい示し方を練習した。雨が降ったら、予定外のことが起こったら…。臨機応変に対応できるよう、水に強いシートの使い方や、手書きに切り替える手順も確認した。

 リーダーの竹中和恵さん(50)は「情報保障とおもてなしが無事にできれば。見に来てよかったと思ってもらいたい」と語った。

 選手団サポートボランティアを務めるのは、県内の大学、専門学校計20校の学生約1600人。県内外の選手団約5500人とともに過ごし、交流を深めながら必要な支援を行う。

 愛媛大では、約100人が知的障害のバレーボール選手団を担当する。教育学部3年浦津和人さん(20)は「選手のペースを尊重し、リラックスして競技を楽しんでもらえるようにしたい」。社会共創学部1年野尻匠さん(18)は「大会後も愛媛に行きたいと思ってもらえるよう、魅力も伝えたい」と意気込む。

2017年8月15日(火)(愛媛新聞)


娘の願い精霊船でかなえたい

2017年08月16日 03時03分47秒 | 障害者の自立

 15日は県内各地で精霊流しがある。昨年11月に57歳で亡くなった佐世保市の向順子(むこうなおこ)さんは重度の知的障害を抱えながら乳がんと闘った。もう一度大好きな居場所に戻りたい-。彼女の闘病の支えとなった介護事業所で、仲間や職員が飾り付けた精霊船はお盆の町へ繰り出す。

 セミの鳴き声がにぎやかな10日午後。熊野町の障害者生活介護事業所「のびのび熊野」前に小さな精霊船が運び込まれた。次々に10~60代の利用者が集まってくる。その手には、色とりどりの折り紙を貼り付けたり、ペンで模様を描いたりした張り子があった。「なおさんに派手すぎって言われるかな」。職員と笑いながら楽しげに精霊船を彩った。

 穏やかな楽天家で氷川きよしとハローキティが大好き。そんな順子さんがのびのび熊野と出合ったのは10年前。決められた作業を達成することが苦手で事業所を転々としていたころだった。通所後は年下の仲間に慕われ、一緒に料理を作ったり、実習でカラオケ店に行ったりする日々。弟の史郎さん(55)ら家族に届くアルバムには、見たことがない順子さんの笑顔があふれていた。    

 「胸がかゆい」。何げないことから乳がんが発覚し2年前の夏に右胸を全摘出。だが昨年9月に再発し入院生活を余儀なくされた。水がたまり腫れ上がっていく体。病状の深刻さは理解できなくても、体の異変を感じて「どうして私だけ」と落ち込むこともあった。それでも病室を訪ねてくれる仲間の姿を見ると表情は明るくなった。「家族だけだとどうしても暗い気持ちになる。皆さんのおかげで笑顔を見られる時間をもらった」。史郎さんは振り返る。

 順子さんは、のびのび熊野に戻られるような治療を受ける直前に息を引き取った。「生前の願いをかなえて喜ばせたい」。史郎さんらは、のびのび熊野で飾り付けることを求めた。「なおさんがここを好きだったように私たちもなおさんが好きだった。できることをしようと思った」。受け入れたサービス管理責任者の筒井唯子さん(45)は話す。「障害を持つ人と心を通じ合わせるには正直に向き合うことが大切だと教えてくれた。戻りたいと思ってくれたことは誇り」

 精霊船は家族で流す予定だが史郎さんにはある思いがある。「障害を持った人は手助けが必要。でもみんな愛らしくて幸せな気持ちをくれる。『みなさんよろしく』という気持ちでこの一風変わった船を引きたい」。作業を見守りながらほほ笑んだ。

亡くなった向順子さんを思いながら手作りの「張り子」を精霊船に飾り付けていく利用者

2017年8月15日   長崎新聞


「相模原殺傷事件」遺族の言葉にメディアの意義を感じた

2017年08月16日 02時58分50秒 | 障害者の自立

▼〈もう二度と 相模原殺傷事件1年 娘の死、向き合えぬ〉 7月22日、毎日新聞朝刊(筆者=国本愛)

「私は意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」

 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件から1年。元職員の植松聖被告(27)はテレビの取材に対して冒頭の文言を綴った手紙を寄せ、障害者への差別と偏見を露骨にした。被害者やその家族への謝罪の言葉は無かった。逮捕時の供述は「障害者は生きていても仕方がない」。変わらぬ主張に狂気と心の歪みが見て取れる。そしてまた、事件では被害者の匿名報道が注目され、被害者が偏見と恥辱に苦しんでいることが浮き彫りとなった。

 そんな折り、目にしたのは、毎日新聞・国本愛記者の「娘の死 向き合えぬ」と題した5段組みの記事だった。35歳の長女を奪われた神奈川県在住の62歳の父親の告白で、長女が旅先で父親のカメラに向かって微笑む写真、パジャマ姿のまま朝のコーヒーを飲む日常風景も掲載している。そこには彼女の、生きた笑顔があった。

 長女は身長約140センチ、体重35キロと小柄で、父親のことを「ちち」と呼んだという。家族は両親と5歳年上の長男、2歳年下の次女。8年ほど前に母親にがんが見つかり、母親の入院と治療のため、長女は2012年7月にやまゆり園に入所。しかしその翌月に母親は他界した。そして今春、父親はがんと診断されたが、「もうすぐいくよ」と毎朝仏壇に語りかけ、現在、延命治療を拒否している。

 仕事一筋だった父親は50歳前に早期退職してから、長女と1日中、一緒に過ごした。娘はソファに腰掛ける父親の足や肩をトントン叩き、抱っこをせがんだという。ときにすねたり、わがままだったり。甘えん坊で、いくら手がかかろうとも、娘は娘だ。可愛くて仕方なかった。

 インタビューには、被告に対する父親の憎悪の言葉はなぜか出てこない。私も多くの事件取材をしてきたが、遺族の感情は悲しみ、怒り、不安がないまぜのまま、日々押し寄せては消えていく。その繰り返しのなか、時間がたつにつれて残るのは、亡き人への果てしない愛情だ。事件という、ありえない「非日常」に突然放り出されたことが、在りし日の幸せな「日常」の記憶を呼び覚ましているのかもしれない。

 洗面所で歯磨きをしていると後ろからじゃれて抱きついてきた長女。トイレやリビングでの様子。自宅でともに過ごした残像があたかもそこにいるように蘇る。父親が取材を通じて訴えたかったことはたったひとつ。

「娘がこんなに可愛かったことを知ってほしい」

 長女の思い出を語る時は、時おり笑顔を見せたという。

「最後に抱っこしてあげられなかった。早く会って、抱っこしてあげたいなあ」

 ぽつりと漏らす父親の言葉に触れ、私は、不覚にも嗚咽してしまった。

 そこには過酷な運命に巻き込まれながらも懸命に生きている市井の人の姿がある。ひとりで、もしくは家族で立ち向かったとしても抗えないこともあるだろう。それは私たちとて同じだ。

 それを知る上でも、メディアが被害者、また家族の声を伝える意義は十分にある。そしてさらに、被告のような歪な思想の持ち主を生んではならない、と強く思うのだ。

 人は人の悲しみに寄り沿う時にこそ共感が生まれるという。私は、この記事に心から感謝したい。

 2017年08月15日    文春オンライン