ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障がい者220人の大量解雇はなぜ起きたのか

2017年08月25日 03時24分48秒 | 障害者の自立

岡山県で障がい者就労施設を運営していた一般社団法人と関係企業は7月、事業所閉鎖に伴い障がい者約220人を解雇した。全国的にも異例の障がい者大量解雇という事態に対して、障がい者作業所などの連絡組織「きょうされん」(東京・中野)は9日、声明を出した。企業が障がい者就労施設運営に参入するリスクを指摘し、制度見直しの必要があると提言する。(辻 陽一郎)

 

大量解雇があったのは岡山県倉敷市のA型福祉作業所。運営企業は同時期に、香川県高松市でも2カ所の事業所を閉鎖し59人の障がい者を解雇している。今回の一斉大量解雇で注目を集めたが、事業所閉鎖などによる解雇は全国で少なからず起こっている。

きょうされんが指摘するのは、企業が障がい者就労施設を運営することのリスクだ。社会福祉法人やNPO法人など非営利団体と異なり、営利企業の場合、事業がうまくいかなければ、事業所を閉鎖してしまう。

きょうされんの赤松英知・常務理事は、「社会福祉事業として継続して運営するために給付費が支給されている。営利が見込めない、事業に失敗したなどの理由で撤退することは許されない」と話した。

障がい者就労施設に企業が参入できるようになったのは2006年の障害者自立支援法が施行されてからだ。当初は、規制緩和によって競争が起こり、各施設のサービスが高まることが期待されていた。

だが、「規制緩和で障がい者雇用の役割分担が崩れてしまった」と赤松氏はいう。「企業は一般労働市場で働くことが可能な人の雇用をしてきた。一方、一般労働市場では働くことが困難な障がい者に対して、社会福祉の受け皿になってきたのが障がい者就労施設だ。支援のノウハウがない企業も参入できるようになったことが大きな課題」。

もちろん、まっとうな運営をしている企業もたくさんある。熱心に就労支援に取り組み、事業に関するノウハウを蓄積し、生かしていくことで、高工賃を実現しているところも少なくない。

赤松氏は「地域の差し迫った就労への要望に即時にこたえるには、法人格の取得に時間のかかる社会福祉法人やNPO法人ではなく、株式会社を選択して、実際には営利度外視で障がいのある人への就労支援に取り組むところもある」と、企業が参入できるようになったメリットも語る。

だが、大量解雇という事態を繰り返さないためには、営利を目的とする企業などの参入のあり方を、非営利性と公益性を原則に見直すべきとも指摘する。

きょうされんが強調することは「給付費の原資は税であり、企業活動による資金とは性質が異なる」という点だ。具体的には、事業によって生じた利益を株主に配当することを禁じるなどの措置を講じること。それから、社会福祉事業による収益は当該事業内でのみ活用できるよう厳格に規制することを提言する。赤松氏は「社会福祉事業部分の経営を安定化させることで、障がいのある人の就労を守るべき」と話した。

2017.08.23   Behavior Change


「補助犬連れ歓迎」宣言 嬉野市と温泉料飲店組合 40-50店受け入れへ

2017年08月25日 03時06分35秒 | 障害者の自立

 嬉野市の嬉野温泉料飲店組合(小野原博組合長、96店舗)と嬉野市は22日、盲導犬などの補助犬を伴った障害者に安心して飲食してもらえるよう「ウェルカム!ほじょ犬宣言」を発表した。九州盲導犬協会によると、自治体と料飲店組合が共同で宣言を出すのは珍しいという。参加店は10月から補助犬受け入れを示すステッカーを店頭に貼り、来店を歓迎する。

 補助犬をめぐっては、公共施設や不特定多数の人が利用する施設が同伴を拒むことを禁止した身体障害者補助犬法が2002年に施行されたが、いまだに入店を拒否されるケースが少なくないという。

 このため、料飲店組合は5月に開いた総会で「嬉野温泉でおいしい思い出をつくってもらおう」と積極的に受け入れる方向で一致。一方、温泉への身体障害者の介助入浴を全国に先駆けて始めるなど、バリアフリーに長年取り組んできた市も補助犬受け入れを呼び掛ける活動を検討していたため、両者で協議し、合同で宣言することとした。

 宣言発表のイベントには盲導犬の役割を紹介するPR犬のウーフ(ラブラドルレトリバー、雌2歳)も参加。九州盲導犬協会の中村博文常務理事は、保健所から長年「動物を入店させてはいけない」という指導があったため入店を拒まれるケースが報告されていると述べ、「補助犬を伴った客を特別扱いせず、お互いが気持ち良く過ごせるような宣言は非常にうれしい」とあいさつした。

 料飲店組合は7月18日に「盲導犬対応セミナー」を開き、飲食店主の研修に着手。現時点でバーなどを除く40~50店が受け入れる方向という。市は旅館などにも取り組みを広げ、市民への啓発を進める方針。

 温泉湯豆腐の店を営む小野原組合長は、盲導犬の受け入れで右往左往した経験を振り返った上で「飲食店主の勉強会を重ね、隣接自治体の組合にも取り組んでもらえるよう呼び掛けていきたい」と話していた。

「ウェルカム!ほじょ犬宣言」を発表する嬉野温泉料飲店組合の小野原博組合長(左)と谷口太一郎・嬉野市長

「ウェルカム!ほじょ犬宣言」を発表する嬉野温泉料飲店組合の小野原博組合長(左)と谷口太一郎・嬉野市長

補助犬受け入れ店であることを示すステッカー

補助犬受け入れ店であることを示すステッカー

=2017/08/23付 西日本新聞朝刊=

 


教員52人勤務実態なし 障害児支援担当

2017年08月25日 02時55分08秒 | 障害者の自立

 学校法人「森友学園」が運営する塚本幼稚園(大阪市淀川区)を巡る補助金詐欺事件で、学園が2011~15年度、障害のある園児の支援担当として大阪府に届けた教職員延べ90人のうち、52人は同園で勤務実態がないことが分かった。教職員を配置したように見せかけるため、系列保育園の保育士らの名義を悪用した疑いがある。大阪地検特捜部は前理事長の籠池泰典容疑者(64)らが不正を認識していたとみて追及する。

毎日新聞    2017年8月23日

 


私たち元気印  坂本和也さん(35)鎮西町

2017年08月25日 02時43分55秒 | 障害者の自立

■手話の輪広げたい

 唐津市聴覚障害者協会手話対策部長の坂本和也さん(35)=鎮西町名護屋=は毎週火曜日、市障がい者支援センター(りんく)で手話教室の講師をしています。4歳の時、中途失聴となり、絹織会社で染工の仕事をしながら、活動に取り組んでいます。

 社会で新しい言葉が使われるようなると、手話も新しく作られます。講師として全国各地で年8回行われる研修に参加し、新しい手話も教えています。

 健聴者(受講者)と手話でコミュニケーションが取れるよう楽しい講座にし、昨年施行された障害者差別解消法を広く理解してもらうためにも、手話ができる人を増やしていきたいと頑張っています。(地域リポーター・宗真弓=唐津市鎮西町)

私たち元気印  坂本和也さん(35)鎮西町
 
 2017年08月24日   佐賀新聞

シュートが入らなくて、悔しくて 車いすバスケットボール・土田真由美選手

2017年08月25日 02時21分04秒 | 障害者の自立

3m5cmの高さにある直径45cmのリング。コートにはタイヤが焦げたにおいが漂っている。

車いすバスケットボール。下肢などに障害のある人たちによるスポーツ競技だが、そのパワフルで想像を超える動きは、一般的なバスケットボール以上に荒々しい。

選手たちは皆、実に巧みに車いすを操る。素早いパスワーク、激しい攻防。車いす同士がぶつかると激しい衝撃が起きて、観戦している側は思わず目を閉じる。

時には車いすごと転倒する。しかし、その場合でも選手たちは自力で起き上がり、再び猛スピードでプレーに戻る。同じバスケットボールでも、車いすバスケットボールでは競技として違ったスキルが必要になる。

そんな車いすバスケットボールのプレーシーンにおいて、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて日々挑戦しつづけているのが土田真由美だ。

 2016年2月、大阪で「国際親善女子車椅子バスケットボール大阪大会」が開かれていた。女子車いすバスケットボールの大会の中では唯一、日本に海外チームを招く貴重な大会だ。大会にはドイツ、イギリス、オーストラリアなど世界トップレベルの車いすバスケットボールチームが集結し、総当たり戦で順位を争う。

軽快に車いすを操りながら、巧みにボールをさばく、世界トップクラスの妙技。その世界の強豪たちと熱戦を繰り広げていた日本女子代表チーム12人の中に、土田はいた。土田の持ち味は、相手のディフェンスを翻弄しながら投じる的確なシュートである。

オーストラリアとの3位決定戦。土田は試合の流れを変えるために、第3クオーター、残り時間20秒でコートに入った。

土田に課せられていたのは、残り1プレーで点数をあげること。しかし、残念ながらそのシュートは、リングに吸い込まれることはなかった。

その後もチームは奮闘するが流れは変わらず、53対51とわずか1ゴール差で敗れた。

「自分に任せられた、1分の1の失敗できないオフェンスのチャンスでしたが、その責任を全うすることができませんでした。その1本を決めるべく練習をしてきたのに、この時ほど自分の無力さを感じたことはありませんでした」

苦い思い出を振り返りながら、土田は言った。

「次は必ず、成功させます。私、負けず嫌いなんです」

土田は約4年前から、コンサルティング会社のシグマクシスに所属。選手としてプレーしているのは車いすバスケットボールチームの「東京ファイターズB.C」だ。男性選手の中に入り込んで、日々トレーニングに励む。

「シグマクシスには私を含めて、現在4人の障害者アスリートが所属しています。アスリートとしてのプレーとパフォーマンスで会社のブランドに貢献するというのが私のミッションです」

仕事には結果が求められる。アスリートの場合はより明白で、競技の成績、全日本などへの選出実績、パラリンピックなどの大きな大会への出場実績など、見える形で表れる。

「シグマクシスで競技に専念できる環境になり、感謝しています。結果を残さないと、会社に所属させてもらっている意味はありません。格好良いことを言うのは簡単ですが、すべては結果だと思います。私の場合は、車いすバスケットボールで日本代表に入り、世界と戦っている姿を見せることです」

土田は以前、ある電機メーカーで働いていた。平日はフルタイムで働き、土日を利用して練習をしていたが、必然的に練習時間が限られる。

「世界を目指すということになると、やはり練習量が足りませんでした。正社員で働いていたので経済的な安定性はありましたが、覚悟を決めて、夢を追いかける決断をしました」

ハンディを背負いながらも夢を追いかけ、日々の鍛錬に向かう土田。土田の情熱の原動力とビジョンを追う。

「3歳の頃だったと思います。とにかく走り回るのが好きで、家の中で走っていて、その勢いにのったまま外に出て、車にひかれたことがあります(笑)。もちろん、即、入院です。骨折を含めかなり重症だったそうです。まだ、小さかったため記憶はありません」

そんなあり余る元気さを心配したのか、土田の父は、とても厳格だった。

「厳しい父でした。テレビの主導権は子供たちにはもちろんありません。夜8時になると決まって、父の好きな人気時代劇ドラマを見ながら育ちました。その影響だと思いますが、家の中でチャンバラをするのが大好きで、2歳年上の物静かだった姉を巻き込んで家の中で遊んでいました。本棚からジャンプをしたり、その拍子に蛍光灯を割ってケガをしたりと、大人しい女の子ではありませんでした」

バドミントンやバトン、父とのキャッチボールなど、スポーツや遊びには積極的だった。しかし、中学に入学しても運動部には入らなかった。

「父が決めた門限が厳しかったためです(笑)。少しでも帰りが遅いとものすごく怒るんです。とても怖かったので、部活に入る気になりませんでした」

その代わり、土田が家に帰って夢中になっていたのが腹筋運動だった。

「『今日は100回やった』と回数をただ増やすことを楽しんでいました」

片道1時間半の自転車通学とジョギングで鍛えられた

腹筋が趣味の女子中学生。高校生になると、今度は片道1時間半の自転車通学を始めた。

「バスで酔うのが嫌だったので、毎日、山を越える自転車通学をしていました。自転車は、通称ママチャリと言われるカゴ付きのもの。最初の頃は足がパンパンになっていましたが、通学途中で前を行く自転車に乗っている人たちを追い越すことに喜びを感じていました。

最初のうちは1時間半もかかっていた道のりが、3年生になると40分にまで短縮できたんです。通学が部活みたいなものでした(笑)」

チャンバラでも、自転車通学でも、誰よりも強い、速い自分でいたいと思っていた。土田は、自称・負けず嫌いだと言う。

「高校生になっても門限がありました。18時30分頃に家に電話をしたら『早く帰ってこい!』とめちゃくちゃ怒られていました。まして、そんな距離のある学校に通っていたのですから、運動部に入れるはずがありません」

門限時間を超えて外出することが許されていなかった土田は、家の近所で独りジョギングに取り組み始めた。

「ジョギングなら、厳しい父も許してくれていました。結果として、腹筋や長距離自転車通学、ジョギングで基礎体力ができたのだと思います」

サッカー部への入部寸前に暗転

土田は将来の進路として体のメンテナンスをするトレーナーになることを目指す。高校卒業後は親元を離れ、体育大学に進学した。

「毎日が体育だったら楽しいなぁと思うほど、体を動かすのが好きでした。会社に勤めて事務をするという漠然とした未来像よりも、より具体的な仕事をしたいと考えるようになっていた頃でした。選手としての経験値のない自分に、何ができるのだろうかと考えていました」

大学2年生になった時、友人に誘われてサッカー部に入部することを決めた。そこには、ほのかな自信と楽しみがあった。

「腹筋や自転車通学、ジョギングなど基礎は作ってありましたし、うまくなるための努力は惜しまないタイプでしたから、競技の経験はありませんでしたが躊躇しませんでした。実家を離れていましたから、変に父を気にする必要もありませんし、経験のないところに、あえて飛び込むのが楽しかったんです。思い立ったが吉日という勢いで、練習の見学に行きました」

サッカー部の練習を見学しにグラウンドを訪れた。しかし、見学をしている最中に突然の腰痛に襲われた。

立っていられなくなるほどの痛みは、土田にとって初めての経験だった。

サッカー部に入部する直前に、思いもつかなかった病魔が突然、発症したのだ。

あなたは生まれつき股関節が悪い。これから先、どんどん悪くなって長時間立っていられなくなったり、歩けなくなったり、手術をしなければならなくなるだろう──。土田はこのように病院で告げられた。

「昨日まで普通に運動ができていたのに、歩けなくなったわけでもなく、痛みが引けば、走ることだってできると思っていました。しかし、走る運動はできない、しかも将来的には歩けなくなるとも言われたんです。全く現実味がありませんでした」

突然の宣告。サッカー部への入部は中止せざる負えなかった。

それも残念ではあったが、自分の体の異変を素直に受け止めることの方が難しかった。

「腰が痛いのは、普通の腰痛くらいだろう。気にしないでおこうと思っていたのですが……」

突然の発症だったが、実は先天性のものだった。時限爆弾が爆発したようだった。

以降、土田の下肢が良くなる兆しはなかった。ゆっくりと、だが着実に病状は進行していっていた。

「徐々にできることが減っていき、やりたいことをどんどん諦めなければならなくなっていきました。なぜなのだろう、こういうものなのだろうかと、追いつめられていくのがつらかったですね。

トレーナーになるために、3年生・4年生の時に実技が伴う資格を取得しなければなりませんでした。しかし、その取得も諦めなければならなかったんです」

このようにしてトレーナーになる夢も失った。

「一緒にトレーナーの夢を追いかけていた友達の中で、自分だけが脱落していくことはやはり耐え難く、大学を辞めようと考えました。しかし、卒業だけはしてほしいと両親からも言われて、踏みとどまりました。そしてOLになろうと気持ちを切り替えたんです」

「車いすからシュートを打ってごらん」

そんなある日、体育館を訪れた。すると車いすバスケットボールの選手に「ここからシュートを打ってごらん」と声をかけられた。

「改めて、車いすに座らせてもらい、実際にシュートを打たせてもらったりしたのですが、全くリングまでボールは届きませんでした。立ったままならゴール下のシュートは簡単にリングに届くのに」

足腰のバネを使えず、通常よりも低い位置からのシュートを求められる車いすバスケットボール。それまでの感覚が全く通用しなかった。

この体験が、土田の負けず嫌いの気持ちに火をつける。

「こんなにもゴールが遠いのか、こんなはずじゃないと。まだ、車いすに乗るほど悪化していなかった私は、健常者の意識だったんですね。だから、なおのことシュートが届かない自分に悔しさを感じていました」

これが土田の車いすバスケットボール選手としてのスタートラインだった。

土田真由美(つちだ・まゆみ)

車いすバスケットボール選手。1977年生まれ。東京ファイターズ、株式会社シグマクシス所属。幼いころからスポーツが好きで、高校卒業後はスポーツトレーナーを志し体育大学に進学。大学2年生の時に突然腰痛に襲われ、その後次第に日常生活にも支障を来すまでになり、先天性の障がいと診断される。一般企業に就職し競技を続ける中、2009年の選手登録を機に本格的に競技を開始。同年、日本代表の候補合宿や強化合宿に選出される。

2010年、イギリスで行われた「IWBF世界選手権大会」において自身初となる日本代表に選出される。2013年第24回全日本女子車椅子バスケットボール選手権大会ではチームが優勝、MVPに選ばれる。

08.23.2017   CAMPANELLA [カンパネラ]