ゴエモンのつぶやき

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犠牲者の匿名で安否わからず 障害者を同等に見ないうわべの優しさが事件うむ

2017年08月07日 12時35分25秒 | 障害者の自立

 「突然ふっと、ね」。知的障害がある小西勉さんは自宅に近い横浜市内の駅のホームで、向かってくる電車の方に吸い込まれるように進むときがある。「ここ2、3年、何回も。今だってあります」。途中で「ああ」と思い、足が止まる。相模原殺傷事件の植松聖(さとし)被告(27)は「障害者は不幸しかつくらない」と主張。ネット上には賛同する書き込みもあった。小西さんは「悲しいけど、周りにもそういう人はいるし」とポツリ。“自殺”しそうになる理由を一つには絞れないが、社会の空気は大きな要因だという。

 発生から1年がたった相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件で、警察は殺害された19~70歳の入所者19人の氏名を公表していない。「遺族の希望」が理由だ。

 ■無事かが不明

 小西さんは、事件現場となった施設に何度も足を運び、献花した。友人が入所していたという仲間は「名前が出ないから、無事かどうか分からない」と嘆いた。「自分なら公表してほしい」。そう語り合った。

 昨年9月、横浜市で開かれた知的障害の当事者団体「ピープルファースト」の全国大会。小西さんは実行委員長を務めた。参加者からは「自分で決めるという当たり前のことを奪われてきた」「『特別支援学級に行け』『施設に行け』と、親や行政に人生を決められる」といった声が出た。

 皆でまとめたメッセージには、こんな文言が。「なぜ仲間が施設に集められているのですか。みんな、私たちの気持ちを、夢をちゃんと知ってくれていますか。私たちにつながる人たちのうわべのやさしさが(事件の)犯人に間違いを起こさせたのではないですか」

 ■自分で決めたい

 小西さんは今年3月、京都市で開かれたシンポジウムでも訴えた。「自分の生きる価値も、幸せも、不幸せも、自分にしか決められない」

 事件の後、街頭でビラ配りを続けている脊髄性筋萎縮症の石地かおるさんは最近、駅や公共施設の看板などに、あるフレーズが増えたと感じている。「障害者に思いやりと優しさを」。目にするたび、心がざわつくという。

 レストランに入ったとき、店員が自分の方を見ることなく介助者に注文を聞く。電車に乗るとき、駅員は自分ではなく介助者に行き先を聞く。まるでその場にいないかのように扱われる。「同等に見ないままの『優しさ』では何も変わらない」

 ■ずっと分けられ

 地元の小学校の中にある障害者だけのクラスに通った。普通学級に友だちも多く、何度も「みんなといたい」と訴えたが駄目だった。理由を説明された記憶はない。

 中学からは親の意向で障害者だけの学校へ。ずっと分けられ、互いに出合わないまま生きている。それが「障害者が見えていない」ことにつながっていると考えている。

 「優しさ」という、人間にとって大切な気持ちすら、通い合わない。その状況は、障害者運動が本格化し始めた1970年ごろと変わっていないのではないか。石地さんはそう感じているという。

 ■相模原殺傷事件 平成28年7月26日未明、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺され死亡、職員2人を含む26人が負傷した。県警に逮捕された元施設職員、植松聖被告は「意思疎通できない人たちを刺した」と供述。横浜地検は5カ月間の鑑定留置を経て、刑事責任能力が問えるとして今年2月、殺人や殺人未遂など6つの罪で起訴した。最大の争点は責任能力の有無や程度となる見込みで、公判の長期化は不可避との見方が出ている。

2017.8.5   産経ニュース


視覚障害者も知らない“内方線”周知徹底を 27人から聞き取り調査

2017年08月07日 12時21分37秒 | 障害者の自立

 駅ホームで線路がどちらにあるかを確かめる手掛かりとなる「内方線」。点字ブロックの線路から遠い側に引いた黄色の浮き出た線で、視覚障害者が線路に転落したり、電車に接触したりする事故の防止に役立つとされている。【平井俊行】

  視覚障害者の交通問題に詳しい加藤俊和さん(72、京都市)は、この内方線について「視覚障害者にどれだけ知られているか」や、「どの程度役立つか」を聞き取ってまとめた。加藤さんは、内方線が「線路への転落を防ぐ、根本的な解決策ではない」などと軽視されていると指摘。また駅ホームへの設置も十分ではないなどとして調査した。

 調査は、介助者なしで白杖(はくじょう)や盲導犬を使って歩ける視覚障害者を対象とし、27人から回答を得た。21人が週に数回、駅を利用しており、日常的な移動手段として鉄道を使っていた。転落経験を聞くと、27人のうち15人が過去にホームからの転落を経験していた。3回以上、転落したことがある人も4人いた。一方、ほとんどの人が過去にホームのどちらに向かって歩いているのか分からなくなったり、ホームのどの辺りにいるかが分からなくなったことがあると答えた。原因として、人やホームに置かれている荷物、ホームにある柱などを避けて歩こうとしたとき、自分ではホームを真っ直ぐに歩いているつもりでも、少しずつ歩く方向がずれるというケースが多かった。

 次に、「内方線について知っていた」と答えた23人に聞いた。歩くときに内方線を踏みながらだったり、白杖の先を内方線に沿わせて滑らせるようにしたりと、歩き方はさまざまだったが、ほぼ全員が「自分のいるところからどちら側に線路があるのかが分かり、安心感があった」と答えた。

 加藤さんは、この調査結果について「転落を防ぐにはホームドアが最善だが、コスト面の問題もあって設置までに時間がかかる。内方線付きの点字ブロックの敷設だけでも優先的に進めてほしい」と話す。また調査に参加した視覚障害者のうち4人の人が、内方線の存在を「知らなかった」や「名前を聞いたことがあるだけ」と答えていたことにも着目。「内方線付き点字ブロックについて、視覚障害者への周知の徹底も課題だ」と話していた。

2017年8月6日   毎日新聞


特集 高齢視覚障害者の今/上 施設の暮らし 専門的ケアなど充実

2017年08月07日 12時11分31秒 | 障害者の自立
 
 ■交流の機会さまざま

 主任生活相談員の木原智徳さん(41)の案内で4階の廊下を歩いていると、ほのかな良い香りが漂ってきた。「コーヒーの豆ひきクラブの皆さんです」と木原さん。食堂で利用者の男性が数人に囲まれて手動のコーヒーミルを回していた。別の男性が「次やろうか」と申し出る。和気あいあいの雰囲気だ。他にボウリングやアロマ、園芸などのクラブがある。一番人気はカラオケ。使うのが専用の機器ではなく、任天堂の家庭用ゲーム機「Wii」と聞いて驚いた。施設内の活動だけでなく、外出や地域交流の機会もある。利用者や職員らで「京都鉄道博物館」に行ったり、近くの保育所から園児らが訪ねてくれたりもする。

 朱雀は、京都府内で唯一の盲養護老人ホームだった「船岡寮」(京都市北区)が移転してできた。最寄り駅から徒歩5分。5階建ての建物の延べ床面積は約6000平方メートル。屋上は、プランターなどが置かれた庭園風でベンチもある。周囲は手すりで囲まれ、全盲でも伝いながら1周できるようになっている。

 リニューアルに伴い、一定以上の要介護認定を受けた人が暮らす特別養護老人ホームを始めた。特養入所者の2、3割が視覚障害者だ。デイサービスセンターや喫茶コーナーなどもある。盲養護の定員は50、特養は74(うちショートステイ9)。居室は全て個室で約6畳、特養は少し広い。現在、共に50人を超す待機待ち状態だという。

 盲養護の利用者は、同行援護の制度が使える。そのため、ガイドヘルパーと毎日のように出かける人もいる。木原さんは「皆さんいろいろな事業所と契約して、時間を忘れたり勘違いされたりで、調整が結構大変なんです」と苦笑いする。

 ■「なんと言っても気楽」

 盲養護の利用者の多くは、自室の掃除や洗濯は自分でする。館内には触覚や音の工夫が幾つもあった。廊下の手すりの形が居室側は三角形、反対側は丸い形。居室側の壁は波打っていて反対側がつるつる。これで、自分がどの方向を向いているのかが分かる。各部屋の扉近くの手すりには、丸や三角、四角の触知サインが付いている。点字が読めなくても、これを触れば自室やスタッフの部屋、洗濯室などが区別できる。フロアの中央を知らせるため、水が滴り落ちる水琴窟が壁に埋め込まれていた。

 点毎と同じ1922年5月生まれの住田芳枝さん(95、光覚)の部屋にお邪魔した。部屋にはベッドや洗面所、トイレ、クローゼットなどがある。朱雀開所時に入った住田さんは、それまでの4年間、1人暮らしだった。朝夕ヘルパーが来て、週1回デイサービスに通っていた。ケアマネジャーに紹介された朱雀の生活に「良くしてもらって幸せ」と満足そうだった。

 よく一緒に食堂で食べるという3人の女性にも話を聞いた。清水博子さん(70、強度の弱視)は、晴眼者の夫を亡くした1年後、船岡寮に入った。よく外出し「出かけるのが楽しみ」と話す。10年余り前に船岡寮に入った青谷きみ枝さん(78、強度の弱視)は「最近腰が痛くて、お風呂や食事は車椅子で連れて行ってもらう。1人で家にいたら、誰にも手伝ってもらえないので助かる」とスタッフに感謝する。長年1人で暮らし昨年朱雀に来た山本泰子さん(77、全盲)は「同じ視覚障害の仲間とのつながりがありがたい」と話す。入所までの経緯は、親類に勧められたり自ら希望したりさまざまだが、「買い物や食事の心配がなく、なんと言っても気楽」と口をそろえる。

 ■利用料は年金額内

 施設の利用料は人によって異なるが、障害基礎年金額の6~7割が多い。全国盲老人福祉施設連絡協議会によると、国内では富山、鳥取を除く45都道府県に計51の盲養護老人ホームがあるという。朱雀のように設備が新しい施設は待機待ち状態だが、定員割れのところも多い。介護保険外の措置施設である盲養護への入所に、財政負担の面から積極的でない自治体が多いことなどが背景にある。施設の暮らしは、専門的なケアや同じ当事者の存在で安心でき魅力的なだけに活用できていないのは惜しい。

2017年8月6日   毎日新聞


障害者、靴磨きで就労 職人技を出張サービス

2017年08月07日 11時53分26秒 | 障害者の自立

 龍谷大を今春卒業した男性が、障害者の就労を支援しようと、靴磨きの出張サービスを行う会社を京都市伏見区で立ち上げた。精神障害や知的障害のある若者が技能を身に付け、職人として安定した収入を得られるようにするのが目標だ。依頼も徐々に入り始めており、青年社長は「仕事を通じて障害者の自立に結びつけたい」と意気込んでいる。

 株式会社「革靴をはいた猫」の社長を務める魚見航大さん(23)。龍谷大で障害者との共同活動に取り組む学生団体に所属し、深草キャンパス(同区)のカフェで知的障害者や精神障害者と一緒に働いた。活動を通じて「障害者がもっと活躍できる場所をつくりたい」との思いを強くした。

 カフェの運営に携わっていた社会福祉法人「向陵会」(向日市)の職員に相談したところ、「靴磨きはどうか」と勧められた。大阪には靴磨きの専門店があり、高い技術で評判を集めていることを知った。障害者にとって精神的な負担が少なく、技能も磨きやすいと考えた。まずは自らがノウハウを身に着けようと、大阪の専門店で1年間修業。龍谷大の教員らから資金支援を得て、卒業前日の今年3月に起業した。

 メンバーは、伏見区にある向陵会の就労移行支援施設を利用する知的障害者と精神障害者の計5人。いずれも20代の若者だ。魚見さんの指導で、ワックスやウイスキーを駆使し、靴の表面を鏡のように磨き上げる技術を習得。龍谷大の学生スタッフとともに生命保険会社や金融機関、伏見区役所などに出向き、靴磨き職人として働いている。

 水田奈那さん(21)=向日市=は「靴をぴかぴかにするのがやりがい」と笑顔で話し、藤井琢裕さん(26)=同市=も「お客に『すごい』と言ってもらえるとうれしい。この仕事を続けたい」と意欲を語る。魚見さんは「靴磨きの仕事を通し、与えられる存在から、与え、分かち合う存在に成長してもらいたい」と期待している。

 料金は1足千円。問い合わせは同社075(935)0160へ。

2017年08月05日   京都新聞


「転向者さん、大歓迎」。夢への扉を開く。

2017年08月07日 11時33分41秒 | 障害者の自立

 7月14日(日本時間15日)に開幕し、9日間の熱い戦いを繰り広げたパラ陸上の世界選手権(ロンドン)で若きスロワーが躍動した。男子やり投げの21歳・山崎晃裕(関東パラ陸上競技協会)だ。切断などF46クラス決勝で53m55の今シーズンベストをマークし、初めての大舞台で5位に入った。

野球で培った強肩を存分に生かせるやり投げで、東京パラ出場を狙う山崎晃裕 なんと彼は、やり投げを始めてまだ1年8カ月しか経ってないのだ。先天的に右手関節部欠損があるものの、小学3年から野球一筋の元高校球児。2014年の世界身体障害者野球大会では日本代表として1番・レフトで活躍し、準優勝に貢献した。そんな山崎には「東京パラリンピックでメダルを獲る」という目標があった。だが、障害者野球はパラリンピックの採用競技ではない。そこで、15年に東京都で行なわれたパラスポーツの選手発掘事業に参加。このトライアウトで、野球で培った強肩が生かせるやり投げと出会い、競技転向に踏み切った。

 実は山崎のように、各地で開催されている選手発掘事業への参加をきっかけに競技転向し、新たなステージで活躍するパラアスリートが増えている。現在、車いすフェンシングで東京パラリンピックを目指す、元車いすバスケットボール日本代表の安直樹(電通アイソバー)や、スノーボーダーとして将来を嘱望されながらトランポリンでの練習中の事故で左足に障がいを負い、現在はパラ陸上とパラスノーボードのトップ選手として活躍する成田緑夢(ぐりむ/近畿医療専門学校)も、発掘イベントを経て世界に羽ばたいている。

 では、この選手発掘事業とはどんなものなのか。また参加者はどんな思いで競技転向を考えているのだろうか。7月17日に大阪市の長居障がい者スポーツセンターで開かれた、日本パラリンピック委員会(JPC)選手発掘事業「”競技転向・新たな挑戦”ねらえ東京パラリンピック」を取材し、集まった人々の声を聞いた。

 JPCの同事業は2014年から始まり、今年で4年目を迎える。今回の参加対象は、東京パラリンピックでメダルを獲得したいという意欲のある、現在競技スポーツに取り組んでいる障がいのある人で、全国から30名を超える応募があった。日本パラ陸上競技連盟や日本視覚障害者柔道連盟など13の競技団体がブースを設け、有望なパラアスリート獲得に向け、参加者に熱い視線を送っていた。

 「昨年のリオパラリンピックでは、計24個のメダルを獲得したものの、金メダルは1964年東京大会以降で初めてゼロとなった。どの競技団体も”即戦力”となりうる人材確保が使命となっている」と語るのは、JPCの高橋秀文副委員長。参加者のポテンシャルを見る目安とするべく、午前中には基礎体力を測る本格的な体力測定を実施し、JPCの医科学情報サポートスタッフらがチェックを担うなど体制を整えた。実際に高い持久力を見せた参加者には、早速パラ陸連のクラス委員が声をかける場面もあり、その真剣さがうかがえる。

 今年のパラ陸上日本選手権にも出場した両足義足の片岡勇人さんは、選手発掘イベントに初参加。もともとサッカーをしていたが、21歳の時にひざ下を切断。その後、アンプティサッカー(上肢または下肢に切断障がいがある人が行なうサッカー)とパラ陸上に取り組んでおり、この日は「新たな可能性を探しに来た」という。全身を使う種目とラケット競技に関心を持ち、パラローイングと卓球などを体験した。「こうした機会があるのはとてもありがたい。納得いくまで探したい」と意欲を見せていた。

 また、左上肢に障がいがある足立悠都さん(15歳)は、昨秋に東京で行なわれた発掘イベントに続き、2度目のエントリー。前回はパラ陸上の走高跳びの適性を見出され、今年の日本選手権にも出場した経験を持つ。今回は、「他の競技も見てみたい」と参加を決め、複数の競技に積極的に挑戦していた。付き添いの男性によると、足立さんにはある変化が見られるという。「去年のイベントは、彼の母親の勧めで参加したんですが、障がいがプラスになることがわかり、自信がついたのか、それ以降はすべて自分で考え、行動するようになりました」。

 一方の競技団体側は、ブースにパンフレットや体験用の道具を用意して、参加者にアピール。パラテコンドーのブースでは、全日本テコンドー協会の高木伸幸パラテコンドー委員長自ら競技の映像を参加者に見せたり、蹴りの体験で直接指導したりと孤軍奮闘。足立さんを含め、複数の男性が体験希望を申し出て、真剣な表情で取り組んでいた。

 パラテコンドーは2009年に初めて世界パラテコンドー選手権が実施された新しいパラスポーツだ。世界の競技人口は300人程度とされるが、国内では3年後の東京パラリンピックにおける競技採用をきっかけに、本格的な普及と選手育成が始まったばかりで、競技者は今のところ男子選手2人のみ。現在は別の発掘イベント等で見出された数名の新人選手が練習を始めているが、他の競技団体と比べても圧倒的に選手数が少ない。とくに女子選手は今のところ誰もいない。<iframe id="google_ads_iframe_/16791533/Sportiva_pc_inRead_0" style="vertical-align: bottom; border-image: none; border-width: 0px;" title="3rd party ad content" name="google_ads_iframe_/16791533/Sportiva_pc_inRead_0" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" width="1" height="1"></iframe>