ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

ペット飲料景品に開港150年マグネット キリン

2017年08月16日 02時50分08秒 | 障害者の自立

 神戸市と飲料大手のキリンビバレッジは、開港150年目の神戸港をイメージした図柄の缶マグネットを制作した。ペットボトル飲料の景品として無料配布した。

 いずれも障害者たちが描いた5種類のイラストを採用した。同社の販売網を通じて障害者が手掛けた作品の魅力を伝え、市内の授産施設で生産された商品の販売拡大につなげる。同社を傘下に持つキリンと市が、2015年に結んだ包括連携協定に基づく取り組み。

 公募に応じた市内の福祉施設の利用者71人のイラスト104点から5点を選定。缶マグネットは、同市北区の「しあわせの村」にある福祉施設の利用者らが作った。「午後の紅茶」「生茶」「生茶デカフェ」のペットボトルに景品として付ける。取り扱うのは生活協同組合コープこうべの「シーア」と、神戸北町、神戸西、垂水の各店。

ペットボトルの景品として付ける開港150年記念の缶マグネット

2017/8/15   神戸新聞NEXT


31日まで参加選手募集 大分国際車いすマラソン

2017年08月16日 02時46分36秒 | 障害者の自立

 大分国際車いすマラソン大会事務局は、10月29日に大分市で開く「第37回大分国際車いすマラソン大会」(県、大分合同新聞社など主催)の参加選手を募集している。8月31日まで。
 競技は、マラソンとハーフマラソンがある。参加資格は、14歳以上の身体障害者手帳を持つ車いす使用者で、主催者が認定した人。マラソンに出場する場合は、日本パラ陸上競技連盟への登録が必要。参加費は、マラソン5千円、ハーフマラソン千円。
 申込書に必要事項を記入し、大会事務局の県障がい者体育協会(〒870―8501、大分市大手町3の1の1、県障害福祉課内)に送る。
 当日はマラソンが午前10時、ハーフマラソンは同10時3分に県庁前をそれぞれスタート。国道197号や県道大在大分港線などを通り、市営陸上競技場にフィニッシュするコース。昨年の大会には計15カ国から230人が出場し、熱い戦いを繰り広げた。問い合わせは大会事務局(TEL097・533・6006)。


※この記事は、8月14日大分合同新聞夕刊11ページに掲載されています。


わずかな舌の動きでPC操作し“会話”-難病「ミトコンドリア筋症」平本さん自伝出版へ

2017年08月16日 02時35分19秒 | 障害者の自立

 全身の筋力が低下する難病で治療法が見つかっていない「ミトコンドリア筋症」で人工呼吸器をつけながら一人暮らしをする平本歩さん(31)=兵庫県尼崎市=が今月、自らの半生をつづった自伝を出版した。話すこともできず、舌のわずかな動きでパソコンを操作し執筆。ほとんど体を動かせなくても、懸命に自らの意思を伝える生き方に共感が広がっている。(加納裕子)

顔の筋肉が動かなくなる前に自伝を

 本の題名は「バクバクっ子の在宅記 人工呼吸器をつけて保育園から自立生活へ」(現代書館)。「バクバク」は簡易呼吸器が作動する音を意味するという。

 舌で動かせる特殊なマウスによるパソコン操作で、会話の文章作成などを行ってきたが、ここ数年、それが難しい日が増えた。顔の筋肉が動かなくなる前に「人工呼吸器の使用者や障害者の参考にしてもらうため、自伝を書く」と決意。執筆に取り組んできた。

 平本さんは生後6カ月で人工呼吸器をつけた。気管を切開したため話すことができず、体もほとんど動かせずに寝たきり。食事は胃瘻(いろう)で人工栄養だ。

父は「自立に向かって邁進せよ」の遺言を残し病死

 4歳のとき、本人の強い希望で病院から在宅生活に切り替え、地元の保育園から小、中学校に進み、受験にも挑戦して高校に通った。高校卒業の2年後、常に付き添っていた父親が「自立に向かって邁進(まいしん)せよ」との遺言を残して病死した。

  これを機に、平本さんは平成23年、25歳の時に尼崎市内のマンションで一人暮らしを始めた。市内に住む母親(66)と必要に応じてメールなどで連絡を取り合い、たんの吸引や日常的な介助は、ヘルパー2人が24時間態勢で行う。

 意思表示は、わずかに動く顔の筋肉を使って「○」「×」を伝える。パソコン操作も「文字を打つのは早くて得意」といい、1文字に10秒もかからない。

 現在は、たん吸引の研修施設「ポムハウス」(大阪府箕面市)でたん吸引を必要とする当事者として講師を務める。「自立し、やりたい生活ができるようになった」。障害がありながらも精いっぱい生きてきた。

やまゆり園事件1年に「被害者には夢があったはず」

 昨年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が元施設職員の植松聖被告(27)=殺人などの罪で起訴=に刺殺される悲惨な事件が起きた。

 「障害者は生きている意味がない」との植松被告の言葉には今も憤りを隠さない。「被害者にはいろいろやりたいことや夢があったはず」とした上で、平本さんは「誰もが自分らしく楽しく生活していけば、きっとこんな残酷な事件はなくなる。私のような人がいることを多くの人に知ってほしい」と話している。

重い障害がありながら一人暮らしをする平本歩さん。声は出せないがパソコンを使い会話することができる =18日午後、兵庫県尼崎市(柿平博文撮影)

重い障害がありながら一人暮らしをする平本歩さん。声は出せないがパソコンを使い会話することができる

2017.8.15    産経ニュース


男子400メートルリレー金メダル 「次は世界新を狙う」 筑波技術大大学院、設楽明寿選手が会見

2017年08月16日 02時26分54秒 | 障害者の自立

 4年に1度の聴覚障害者のスポーツ大会「夏季デフリンピック」陸上男子400メートルリレーで金メダルを獲得した設楽明寿選手(23)=筑波技術大大学院1年=が同大で記者会見を開き、「最後までバトンをつなぐことができてほっとした」と喜んだ。

  大会は7月18~30日、トルコ・サムスンで開催された。設楽選手はリレーの第3走者として出場した。準決勝では出場22カ国中6位のタイムだったが、決勝では2秒以上縮めて優勝した。

 設楽選手は、準決勝前の練習中に右太ももに肉離れを起こし、痛みをこらえながらレースに臨んだ。「チームに迷惑をかけたくない」という思いで走り抜き、ゴール後は痛みと安堵(あんど)で号泣したという。

 トルコでは障害者を特別扱いせず、普通のアスリートとして見る雰囲気があり、気持ちが高まったという。設楽選手は「個人種目に出場できなかった心残りもある。次はリレーで世界新を狙い、個人でも100メートル、200メートルの決勝に進みたい」と4年後に向けて意気込みを語った。

 デフリンピックで獲得した金メダルを披露する設楽明寿選手
 
毎日新聞   2017年8月15日

DeNA、起業した新卒組、広い視野にひかれ修業

2017年08月16日 02時22分16秒 | 障害者の自立

 「年功序列がなく、1年目から責任者だった。やり抜く力を鍛えられました」。スマートフォン(スマホ)ゲームの開発・運営や屋外レジャーの予約アプリを手掛けるアカツキ(東京・品川)の塩田元規社長(34)はこう話す。一橋大学大学院のMBAコースを修了した2008年に新卒でディー・エヌ・エー(DeNA)に入社。ネット広告の営業マネージャーなどを任され、2年半後の10年6月にアカツキを起業した。

 DeNAのほかにもコンサルティング会社など約10社から内定を得ていた。従業員数が300人ほどだったDeNAを選んだのは現会長の南場智子氏(55)ら経営陣の「目線が高いと感じたから」。後に一時代を築くソーシャルゲームをはじめ、携帯端末で様々なネットサービスが花開くのを見越して着々と手を打っていた。「将来は起業をしたい」と考えていた塩田氏には最良の学びの場に見えた。

 南場氏や共同創業者の川田尚吾氏(48)らのようにコンサル出身者が多いこともあり、この頃はコンサルや大手企業の内定を蹴ってDeNAに入る若者が多くいた。塩田氏も「同期がとてつもなく面白かったことも選んだ理由」と言う。障害者向けの就労事業などを手掛けるLITALICOの中俣博之取締役(32)はDeNA時代の同期。今も互いに仕事の相談をする。

 塩田氏の入社と前後して07年にDeNAを飛び出したのが、勤怠管理や動画サービスなどを運営するDonuts(東京・渋谷)の西村啓成社長(38)と根岸心取締役(38)だ。2人は04年にDeNAに入社した新卒採用の1期生。根岸氏は「物事をどんどん進めていくベンチャーのスピード感と、実務から組織の作り方まで起業に必要なことを学んだ」と振り返る。

 根岸氏が語る「事業範囲を限定しない」方針はDeNAと重なる。Donutsは勤怠管理・経費精算システムやゲームも扱う。IT(情報技術)ベンチャーが好む東京・六本木ではなく交通の便が良い新宿にオフィスを置くなど「合理的かどうかで判断する」点も通ずる。

 スポーツのブランドを展開するイミオ(東京・文京)の倉林啓士郎社長(36)は東京大学に在学中の03年からDeNAでインターンシップ(就業体験)を経験し、そのまま根岸氏らと同じ04年に入社した。「オークションサイト『モバオク』の立ち上げに関わり、新事業を作る醍醐味を味わった」と言う。

 DeNAは2400人が働く大企業になった。最近はゲーム市場の成熟やまとめサイトでの盗用問題など逆風が目立つ。ベンチャーの裾野が広がり、優秀な人材がみなDeNAを目指すわけでもなくなった。起業の意思と高い知識を備えた若者に挑戦の場を提供し、自社の成長にもつなげる――。「永久ベンチャー」の看板を掲げ続けるには、刻んできた歴史を見つめ直すことも大切かもしれない。

 

[日経産業新聞 8月15日付]