ゴエモンのつぶやき

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北海道マラソン 男子本命不在、混戦か 女子は若手に注目

2015年08月31日 01時56分09秒 | 障害者の自立

 フルマラソンは今年も実業団所属の招待選手を軸に展開しそうだ。男子は本命不在の混戦模様だが、昨年2位に入った松尾良一(旭化成)が雪辱に燃えている。初挑戦の昨年はスパート勝負で敗れただけに、仕掛けどころを見極めたい。招待選手で最も持ちタイムがいい田村英晃(JR東日本)や34歳のベテラン福山良祐(ホンダ)らに加え、一般参加でロンドン五輪代表の藤原新(ミキハウス)の出場が決まり、がぜん面白くなってきた。

 女子は初マラソンで2時間30分を切る好記録を出した城戸智恵子(キヤノンAC九州)や22歳の奥野有紀子(資生堂)ら伸び盛りの若手に注目。冬からのリオ五輪選考レースに弾みをつけたい。

 ただ、ノーマークの選手が一躍脚光を浴びる機会が多いのも過酷な夏マラソンならでは。新星誕生にも期待がかかる。

 加えて今大会は、リオパラリンピックのマラソン視覚障害者クラスの代表選考レースになったほか、はまなす車いすマラソン(ハーフマラソン)と合同開催。国内トップレベルの障害者アスリートの走りから目が離せない。

■松尾良一(24)=旭化成 昨年2位、雪辱期す

 初めて北海道マラソンに挑んだ昨年は2位。「あまりの苦しさにレース直後は二度と出ないと思ったが、翌日になって2位が悔しくなりリベンジしようと誓った」

 社会人6年目の今季、5000メートル、1万メートル、ハーフマラソンのすべてで自己ベストを更新。今大会に向け、7月中旬から千キロ以上走り込んだ。

 「大きな故障がなく、不安要素もほとんどない」と順調な調整をアピールする。

 昨年は25キロすぎに飛び出したが、終盤に失速して辻茂樹(大塚製薬)に抜かれた。「辻さんは大会3度目で、経験の差が分岐点になった。今年はコースも分かっているので、残り2キロを切ってから仕掛けたい」と言い切る。

 長崎での高校時代から、トラックよりもロードに適性があると思い、「九州でマラソンといえば、宗兄弟がいた旭化成」と高校卒業後に迷いなく就職した。

 マラソン10度目となる今大会は「昨年の忘れ物を取りに来た」。目指すのは優勝。それ以外考えていない。

■藤原新(33)=ミキハウス 復活の予感

 ビッグネームは遅れてやってきた。2012年ロンドン五輪男子マラソン代表は、約1週間前に出場が決まった。「急な申し出にもかかわらず、スタートラインに立たせてもらえてありがたい」と感謝する。

 出場の理由は、練習パートナーで10年大会優勝のサイラス・ジュイ(埼玉陸協)のエントリーだ。「ジュイがいない間、1人で練習するのはきつい」と語る。

 自己ベストの2時間7分48秒は、出場選手の中で断トツ。ただ、ロンドン五輪で45位と惨敗した後は不本意なレースが続く。

 「3年前の左足故障でフォームが変わってしまった。この夏に本来の走りに戻った感触があり、それを確かめたい」

 道都で復活の走りを見せられるか。

■城戸智恵子(25)=キヤノンAC九州 実力十分、優勝狙う

 「夏のマラソンは初めて。自分の力を出し切り冬の大会につなげたい」。2時間29分8秒で5位入賞した1月の大阪国際女子に続く2度目のフルマラソンだが、持ちタイムでは招待選手中トップだ。

 熊本県出身。高校を卒業した2008年、実業団から声が掛かったが「練習がきつそう。陸上はもういい」と本格的な競技からは離れ、パン屋でアルバイトを始めた。その後は市民ランナーとして走っていたが、その年の12月に都道府県対抗女子駅伝の選考会に出場したところ、補欠に選ばれた。選手の必死な姿を見るうちに「もう一度走りたい」と、今の所属先へ進んだ。

 ハーフマラソンで世界選手権代表になるなど実績を積み、「今回は選手の力はどんぐりの背比べ。優勝を狙いたい」とマラソンでも欲が出てきた。30キロの給水地点には、3年前に脳梗塞で他界した父に加え、母や祖母ら家族の写真を貼ったボトルを用意する。天国の父に力を借りるとともに、成長した姿を見せるつもりだ。

■奥野有紀子(22)=資生堂 視界に東京五輪

 社会人1年目から夏のマラソン挑戦を決めたのは「5年後を見据えて、早い段階で経験したほうがいいと思って」。東京五輪で日の丸を背負うことを夢見てのことだ。

 京産大4年だった今年1月、次世代の選手育成のため設けられた「ネクストヒロイン」枠で大阪国際女子マラソンに出場。初のフルマラソンで8位と健闘したが「最後の5キロは地獄のようなしんどさ。競技の怖さを知った」と振り返る。

 7月下旬から約1カ月間、米国での高地合宿を行い、終盤の体力維持にも手応えを得た。「34~35キロからどれだけ体を動かせるか。沿道の方に粘る姿を見てほしい」。東京五輪でヒロインになるべく、北海道を大きなステップにしたい。

■車いすマラソン 代表選考へ力試し

 車いすマラソンの男子に出場する久保恒造(34)=日立ソリューションズ、美幌高出=は「初の合同開催。何としても地元で優勝したい」と意気込む。

 バイアスロンで銅メダルを獲得したソチパラリンピック後から、マラソンを主体に活動。11月のリオ大会選考レースに向け、仕上がり具合を試す絶好の機会だ。「強い選手とどこまで戦えるか確認したい」と力強い。

 女子では、リオパラリンピックで念願の金メダルを狙う土田和歌子(40)=八千代工業=が出場。「スプリント力を向上させたい」と、スピードとパワーのある男子選手との並走でレベルアップを目指す。北海道マラソンとの合同開催は「注目度が高い大会なので、多くの人に関心を持ってもらえる」と、沿道からの大きな声援にも期待を寄せる。

 一方、フルマラソンに出場する視覚障害者の多くは盲人マラソンの世界選手権4位の岡村正広(RUNWEB)ら、男女とも国内トップクラス。伴走者と心を一つにして、リオパラリンピックを目指す走りに注目したい。

08/30     北海道新聞


「戦後70年」日本の未来への“障害”となっているのは何か

2015年08月31日 01時51分05秒 | 障害者の自立

戦後70年の「夏」が終わろうとしている。この夏は、テレビも、新聞も、ラジオも、戦後70年の企画や特集のオンパレードだった。国民の多くが70年前に終わった第二次世界大戦の悲劇の大きさを改めて思い起こしたに違いない。

報道量のあまりの多さに「戦争」と聞いて、辟易(へきえき)している向きも少なくないだろう。私自身は、海外(台湾)まで戦没者の慰霊祭のために出かけるなど、例年にも増して忙しく、印象に残る夏だった。

昨日は、「正論」懇話会の講演で、和歌山まで行ってきた。「毅然と生きた日本人~戦後70周年にあたって~」という演題で話をさせてもらったのである。

そのなかで、私はこの夏に感じたこととして、「日本の未来」に対して「障害」となっているのは「何なのか」という話を、安倍談話を例に出して講演した。それは、中国や韓国との「真の友好」を妨げているのは一体、誰なのか、というものである。

台湾から帰国したあとの8月14日に、私はちょうど「安倍談話」に接した。首相自ら記者会見をして発表した内容は、専門家が長期間、検討して出したものだけに、あらゆるものに配慮したものだったと言えるだろう。

それは、戦争で犠牲になった人々に対して、「国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜(つうせき)の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます」というものだった。

そして、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、わが国は、そう誓いました」と、つづいた。

また、女性の人権についても、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、わが国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」と、述べたのである。

さらに「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、建設的な未来への重要性も語った。

それは、戦後、繰り返されてきた過去の談話やスピーチに引けをとらないものであり、実にわかりやすく、印象的なものだったと言える。安倍政権を倒したいメディアでも、さすがにケチをつけにくいのではないか、と私はテレビの画面を見ながら、思ったものである。

しかし、翌日の新聞紙面を見て、私は、溜息が出た。読売新聞や産経新聞を除いて、むしろこの談話を非難するものが「圧倒的」だったのだ。

朝日新聞は、その中でも急先鋒だった。1面で〈引用・間接表現目立つ〉、2・3面も〈主語「私は」使わず〉〈おわび 最後は踏襲〉と攻撃一色で、社説に至っては、〈戦後70年の安倍談話 何のために出したのか〉と題して、徹底した批判を加えた。

それによれば、〈侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワード〉は盛り込まれたが、〈日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされ〉、談話は〈極めて不十分な内容〉であったというのである。

そして、社説子は、これを〈この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う〉と主張し、〈その責めは、首相自身が負わねばならない〉と締めくくった。

私は、正直、呆れてしまった。それは、いつまで経っても、中国や韓国に「日本攻撃」をするように「仕向ける」報道手法がとられ、これからもそれに添って、中国や韓国が延々と「日本を攻撃していく」という“未来”がわかったからである。

それは同時に、ここまで中国や韓国との間の友好関係が「誰によって破壊されてきたのか」を明確に指し示すものでもあった。

私たちの子や孫の世代、すなわち「未来」に向かって障害となっているのは「誰」なのか、という問いには、自ずと答えが出てくるはずである。それは日本のマスコミが、絶対に日本と中国・韓国との和解と真の友好への発展は「許さない」ということだ。

私は、今から30年前の1985(昭和60)年の夏を思い出す。「戦後40年」を迎えた夏だ。あの時、巷では「戦後政治の総決算」を唱えた当時の中曽根康弘首相を打倒すべく朝日新聞をはじめ“反中曽根”メディアが激しい攻撃を繰り広げていた。それは、“打倒安倍政権”に邁進している今のメディア状況と酷似している。

この時、中曽根首相の「靖国参拝」を阻止するために大キャンペーンを張っていた朝日新聞が、「人民日報」を担ぎ出し、ついに中国共産党機関紙である同紙に、靖国参拝批判を書かせることに成功するのである。

文化大革命でも明らかなように、中国は「壁新聞」の国である。人民は、“お上”の意向を知るために、北京市の長安街通りの西単(シータン)というところに貼りだされている新聞を読み、上の“意向”に添って行動し、あの文革で権力抗争の一翼を担ったのはご承知の通りだ。

そんな国で、人民日報が取り上げて以降の「靖国参拝問題」がどうなっていったかは、あらためて説明の必要もないだろう。A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは1978(昭和53)年であり、それが明らかになったのは、翌年のことだ。その後、この時まで日本の首相は計21回も靖国に参拝しているのに、どの国からも、たった一度も、問題にされたことはなかった。

しかし、朝日が反靖国参拝キャンペーンを繰り広げ、人民日報がこれに追随したこの昭和60年以降、靖国神社は中国や韓国で「軍国主義の象徴」となり、「A級戦犯を讃える施設」とされていった。

靖国神社が、吉田松陰や坂本龍馬を含む、およそ250万人もの幕末以来の「国事殉難者」を祀った神社であることは、どこかへ「消し飛んだ」のである。靖国参拝を完全に「外交問題化」「政治問題化」することに成功した朝日新聞は、より反靖国キャンペーンを強め、中国は日本に対する大きな“外交カード”を手に入れたのである。

慰安婦問題については、これまで当ブログで何度も取り上げ、しかも、昨年、朝日新聞による訂正・撤回問題に発展したので、ここでは触れない。しかし、この問題も朝日新聞によって「外交問題化」「政治問題化」していったことは周知の通りだ。

今回の安倍談話でも、中・韓に怒りを呼び起こすように記事化し、「これでもか」とばかりに一方的な紙面をつくり上げた朝日新聞をはじめとする日本のメディア。私は、溜息をつきながら、これらの記事をこの夏、読んだのである。

折も折、フランスの「ラジオ・フランス・アンテルナショナル(RFI)」がその2日後の8月17日、興味深い報道をおこなった。同ラジオは、フランス外務省の予算で運営されている国際放送サービスだ。

この放送の中国語版が安倍談話を取り上げ、これを報じた『レコード・チャイナ』によれば、「中国が歴史問題で日本に毎年のように謝罪を迫るのは根拠のないことだ」「日本は中国への反省や謝罪だけでなく、罪を償うための賠償もしている」「永遠の不戦を誓った日本に比べ、日本による侵略、植民地化をくどくどと訴える中韓は、あまりにも遅れている」と論評した。

その内容は、常識的、かつ中立的なものと言える。敗戦国も「領土割譲や賠償、戦勝国による一定期間の占領、戦争裁判などが終われば、敗戦国の謝罪や清算も終わりを告げられる」ものであり、償いを終えた敗戦国にいつまでも戦争問題を訴え続けることに疑問を呈したのである。

さらには、「平和主義、民主主義を掲げる日本が、軍事拡張路線、権威主義の中国に屈することはない」と主張し、日本の首相が替わるたびに中国が謝罪を求めていることは、同じ敗戦国である「ドイツやイタリアでは見られない事態」だというのである。

その報道は、最後に「安倍談話に盛り込まれた“謝罪”というキーワードは、表面上は中国の勝ちのように思われがちだが、国際世論を考えれば本当の勝者は安倍首相だ」とまとめられている。だが、RFIが報じたこの内容は、日本のメディアには、ほとんど無視された。

70年もの間、平和国家としての実績を積み上げてきた日本が、「力による現状変更」で、今や世界中の脅威となっている中国に対して「謝り方が足りない」と当の日本のメディアによって主張されていることを、私たちはどう判断すればいいのだろうか。

私には、代々の日本の首相などが表明してきた謝罪や談話の末に「戦後50年」の節目に出された村山談話で、日本と中・韓との関係は、どうなったかが、想起される。

朝日新聞をはじめ日本のメディアが歓迎したあの村山談話の「謝罪と反省」によって、両国との関係は、むしろ「それまで」より悪化していった。村山談話以降の歳月は、両国との関係が“最悪”に向かって突っ走っていった20年だったのである。

どんなに反省し、謝罪しようが、彼らを“煽る”日本のメディアはあとを絶たず、日本への怒りを中・韓に決して「収まらせはしない」のである。そして、この「戦後70年」夏の報道でもわかった通り、それは「今後もつづく」のである。

どんなことがあっても、日本の未来への“障害”となりつづける日本のマスコミ。私たちの子や孫の世代に大きな重荷を負わせるそんな日本の媒体が、なぜいつまでも存続できているのか、私にはわからない。

2015年08月29日    BLOGOS


新国立「暑さ対策」カットで選手と観客に優しい五輪はどこに

2015年08月31日 01時44分42秒 | 障害者の自立

 観客に優しいはずではなかったのか? 2020年東京五輪のメーンスタジアムとなる新国立競技場の整備計画が28日、決定した。総工費の上限を1550億円としたが、開閉式の屋根を設置しないうえに観客席への冷房設備の設置も見送られた。酷暑の開催で選手や観客の安全は守られるのか。

 総工費2520億円に上ったザハ案は、世論の反発に遭う中、安倍晋三首相(60)が白紙撤回。新たな整備計画では約1000億円の圧縮に成功したことになるが、コストカットの対象となったのは、暑さ対策だ。

 大会関係者からは「東京の暑さを本当に考えているのか」と疑問の声が消えない。地球温暖化の影響で、東京は亜熱帯化が進み、夏場は酷暑に加え、ゲリラ豪雨に見舞われるようになった。

 猪瀬直樹前東京都知事(68)は「もし競技中にゲリラ豪雨となっても屋根があれば、その時は閉め、また1時間くらいしたら開ければいい。アスリートにとって優しい五輪にすべき」と屋根の設置を強く提唱したが、フィールド部分を覆う開閉式の屋根は設置を断念する方向で早々に固まった。

 観客席も犠牲となった。観客席こそ屋根で覆われるが、座席の下に設置を予定していた冷暖房設備は除外となった。

“導入派”の下村博文文科相(61)や遠藤利明五輪担当相(65)は、一般観客の暑さ対策だけでは理由付けが弱いとして「日本の夏に不慣れな外国人客や障害者への配慮にもなる」と訴えていた。

 しかし、最終的に安倍首相が冷暖房設備に100億円の経費が見込まれることに「国民にぜいたくだと思われるのではないか」と白紙とする“政治決断”に踏み切った。

 代わりに気分が悪くなったり、熱中症患者への救護所や休憩所の設置等に10億円の対策費を充てるという。

 最大で8万人を収容できる国内最大規模のハコで、手当てを受けられない“救護難民”の発生は必至。課題であったはずの「暑さ対策」はどこへ行ってしまったのか。

2015年08月30日   東スポWeb


対話の大切さを実感 暗闇探索のワークショップ

2015年08月31日 01時37分21秒 | 障害者の自立

 佐賀県のCSO(市民社会組織)誘致第1号として佐賀市に進出したNPO法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティが29日、視覚障害者のサポートを受け、8人1組で暗闇を探索するワークショップを開いた。参加者は「声を掛け合い、手で触れ合って、コミュニケーションの大切さを実感できた」と興奮気味に話していた。

 ダイアログ・イン・ザ・ダーク(暗闇の中の対話)というこのイベントは、このNPOが運営する東京の常設会場でも社会派エンターテインメントとして反響を呼んでいる。暗い森や川、家に見立てた空間を探検し、対話の重要性や多様性の理解を育む。

 佐賀市文化会館で開かれたイベントの初回には山口祥義知事も参加した。視覚障害者から杖の使い方や声の掛け方の助言を受け、75分間、暗闇でさまざまな体験に挑戦した。山口知事は「人と手を触れ合うことに何の抵抗もない別世界。視覚がない分、感性だけで考えるから、一気に仲良くなれる。ちょっと言葉では言い表せない」と話した。

 唐津市の男性(55)は「一人では何もできない暗闇だからこそ、肩書など関係なく一体感が生まれる。知事のことはみんな『よっちゃん』と呼んでいた」と笑みを浮かべた。

視覚障害者のサポートで暗闇の中を探索する「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を体験した山口祥義知事(右から4人目)

2015年08月30日    佐賀新聞


真和志高の與那嶺さん2位 高校生手話スピーチコンテスト

2015年08月31日 01時32分00秒 | 障害者の自立

 第32回全国高校生の手話によるスピーチコンテスト(全日本ろうあ連盟、朝日新聞厚生文化事業団、朝日新聞社主催、NEC協賛)が29日、東京都千代田区の有楽町朝日ホールで開かれ、真和志高3年、與那嶺舞寧(まいね)さん(17)=西原町=が2位に入賞した。

 スピーチは老人ホームでの実習体験から語り始めた。1年前に明るく人気者だった入所者が、2度目に会った時は視力を失って独りぼっちになり、背を丸めている姿に衝撃を受けたという。「目の見えない生活への変化は、どんなに不安だったことでしょう」。その不安は聴覚障害者も同じと悟ったことを、一語一語、大きな手ぶりで語った。

 この体験から自分に何ができるのかを考えて手話同好会に入り、地域の手話サークルにも4月から通い始めていることも披露した。そして、前をまっすぐに見据えて「安心して老後が過ごせる社会を作りたい」と介護福祉士になる夢を語り、締めくくった。

 表彰式の後、「家族、先生と友だちに報告したい」と喜びを語った。

第32回「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」で2位になった真和志高校3年の與那嶺舞寧さん

2015年8月29日(記事、写真とも朝日新聞社提供)