帰宅途上の宇宙に、三日月が浮かんでいた。携帯での撮影をする。うれしくなっちゃうね、偶然ではあるが、三日月なのだ。この状態が、中々お目にかかれずで、曇っていたりの天候にも依るから、凄く得した気分にもなる。気温も暖かく感じ、春は直ぐ傍まで訪れている。
今年は、玄関の梅が蕾をつけているのも、心が弾む。昨年は、付かなかったし、1本枯れてしまった。白梅も、白色そのものだったり、緑がかかっていたりするのもあって、その微妙な色合いの醸しだす雰囲気が、愉しめるのもいいのだ。冬の寒さを耐えて、立春から咲く。
梅の、凛とした姿に背筋が伸び、冬の暗さから、春への陽射しを感じられるのもいい。祖母の花好きにも影響されているが、今にして想うのは、語らう姿であった。他の何処の花よりも綺麗なのを咲かせる。祖母は、その度に花にお礼を云うのだった。ありがとう綺麗だよ。
祖母には、どんな物にも命が宿り、どれ一つとして、人間の思うようにはならないということを、知っていたんだ。花を手折るにも、すまんなぁ1枝ちょうだい。と漏らしていた。朝日を拝み、夕陽に感謝し、星を眺め、月を観ていた祖母だった。鮮明に脳裏に浮かんでくる。
もし戻れるなら、祖母の元気な頃に還りたい。そうして、もっとたくさんのことを、心に焼き付けておきたい。百姓の仕事は、辛いししんどいものであったが、それらを歓びに換えることを好んでいた。小さな命に至るまで生かすことを考えてもいた。それを見ておきたいのだ。
子どもの頃には知り得なかった、たくさんの知識を、再認識したい。祖母のしていたことには、無駄がなかった。然し、その中にも遊びはあった。毅然として、凛としていた姿が浮かぶ。自然を相手には、心根がやさしくなくては、できないこともあっただろう。今にして想う。
母が逆立ちをしてもできなかったこと。無論、孫である私もだ。何をするにも、ちょっとした工夫を施し、他人とは違うことで儲けてもいた。同じ事や、劣ることではやらないのだ。堪えず、努力を惜しまない祖母であった。明治生まれであったから、着飾ることも少なかった。
あけび。山女とも通草とも書く。それこそ畦道の何処かしらにあり、梅雨時の晴れ間に、可憐な薄紫の花を匂わせていた。