立春からの天候を三寒四温と云い、早春賦に歌われての如く雪がちらつき春遠からじ。梅の蕾も寒さに怯み、咲く勢いには堪えるばかり動きなし。旧暦の七草、畔には農薬がかかり草摘みは不向きの傾向と庭への栽培かな。
貧しい半農家に生まれ、食べ物に事欠く暮らしが厭でならなかった子ども時代。祖母の作る饂飩や蕎麦も先ずは種を蒔くことから始め、収穫を待ち粉に。栽培には凡そ一年の歳月をみて、明日にできることではなく欠伸も。
祖母の作る饂飩は、腰が強く途中で切れないのと茹でる時間が絶妙。汁は昆布や鰹節を削るという仕上げ、旨かった。その味や作り方も、見ていた記憶があるから?ゐな今となっては作れない原因に作業工程の躓きあり。
時代の変化で商品は買えば良いだけになり、インスタントも豊富。業に四苦八苦して作るという厭わしさを避け、便利さや手軽さに流れる。手作業をしないで、見た目の美味しさに惑わされていき、本来の植物の旬を忘。
枇杷葉に関しても、不可思議な事象が尽く起きたり亘り繋がる。無農薬栽培にすれば、自然がもたらし訓えてに気づけるを無視。病に罹るのもだが、防腐剤・添加物・甘味料のない物は面倒と手を出さない傾向と隔たる。
体調不良に病院受診し、大量の薬を呑む。医者も薬も病の助長はしても、治してはくれない。免疫や抗体を増やし、体内の細胞を維持することで換えねば症状は重くなる一方それに枇杷葉が影日向なく援けての有難さ。
但し、個人差は否めなく無茶はしない心構えを。枇杷葉は、向き合う度に変化する薬樹であり用い方誤らずとされたい。白枇杷花芽・70袋完了也。