枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

どうしたのかな?

2016年08月24日 | Weblog

 何か異変が起きたようだ。更新をしようとしたら、以前のブログに飛んでしまい、ややこしいことになった。今更、IDだの何だのが解かるほど機械慣れしていない。もたもたと焦り、何が何やらさっぱり見当がつかない。秋になったというに、真夏の怪談か。

 今夜は、火星と土星の接近があり、蠍座のアンタレス付近に注目しよう。火星は、地球から離れる一方だが、周期があるので、2年後には帰って来る。夏の星座も、天の川の辺りも、充分な見応えであるので、今宵一晩を愉しんでほしいもの。そろそろか。

 暑さの残る日々が、相変わらず続いているが、先日の夕立以来、これっぽっきりも降って来ない。何が原因なのかは定かでないが、少しばかりの夕立もあっていい。毎日の水遣りに、障りが出るようだ。枇杷葉の生葉を調べながら、暑さの退くのを待つ。

 人間の記憶の中には、愉しいことばかりがあるとは限らない。封印して、あの世にもって逝かなければならないことも多くある。口は禍の元とも云い、黙っているのに越したことはない。死人に口無し(梔子)ともあるが、花には全く迷惑な話。色粉に重宝だ。

 冷房で、身体がだるい。自宅では点けないので、未だ症状は軽いだろう。勤務先での業務中には、止む無くで、設定温度の調整に気を使う。服装にもかなり気配り、普段着で接する。色々と配慮しなくてはならないが、それもまた勤務でもあると思ってる。

 内田康夫作品の殆んどを読みながら、古典の面白さに気づく。文学的なこともだが、文字の連なりに感動する。日本語の使い方に想いを馳せる。英語も無論大切な用語だが、日本語の使い方を知っていてこそ、他国の言葉は生きる。訳者の苦労にも。

 そういった物語は、子どもの頃には、謂わば読み辛いものがあった。今、読み返してみて、初めて気づく。ここはこうであったのかとか、書かれた意味を熟知しなければ、知り得ないこともある。読者一人の空想であり、世界であることも、魅力的なものだ。

 金星。ビィーナス・美の女神。手塚治虫氏の描く世界では、あまり印象が好くない。高慢で冷たく美しい。自分のエゴのためなら殺人も。

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火星とアンタレス接近

2016年08月24日 | Weblog

 今晩は、火星とアンタレスが接近する。火星は、このところ地球から遠ざかっていて、-0.4等と光度も低い。蠍座のアンタレスは1等で、直ぐ傍に観える土星は、0.4等に比べれば明るい。双眼鏡や、望遠鏡があれば、土星の輪や火星の表面が観える。

 今宵一晩を、じっくり宇宙を眺めるのも、或いは気分転換にいいかもしれない。皆がみな、そういった趣味の範囲ではないので、惑星や星座の位置、惹いてはギリシャ神話への世界に誘いたい。地球に人類が誕生した謂れや、宇宙の運行に注目したい。

 図書館に返却に行き、勤務先へ研修に向う。有給の参加には些か反論もあるが、部署からの出席もないでは、向上心のなさに尽きる。部署に戻って、全体を眺めていると、仕事ではない気分が、よく見えてくる。ゆとりを持って任のも、雰囲気にも由る。

 帰宅して、昼寝とする。黄桃が無事に其々に着いたらしく、安心した。リエさんが出かける、と言うのに間に合ってほっとした。白桃のようには、黄桃は直ぐに傷まないので、そのままでもいいし、冷蔵庫に入れておけば、可なりの期間大丈夫だが渋味増。

 お百姓さんが偉いのは、自然の成り行きを、実によく知っていて、直感とも言うべき判断でしていくことだ。祖母も、そういったことに長け、空を観、雲を観察していた。風向きの具合や、月の状態にも気をつけて、天気を確実に当てた。とても不思議だが。

 村中で、野菜も田畑も一番出来が良かった。縄綯いも、他所よりは上手く、どんなにしても千切れなかった。業者の小父さんは、至極感心して買取価格を上げてくれたものだ。草鞋にしても、足裏への当りがやさしく、履いていて歩き易かった。魔法の手。

 亡くなって既に40年の月日が経つ。子どもの頃の、何も考えないでよかった時代は、貧しくひもじかった。何故、今頃になって、懐かしさが募るのだろう。祖母のしていたこと、後姿、寡黙で働くばかりであったことが、鮮明に想いだされる。胸のざわめき氾。

 暑さの厳しい夏を、どうにか越えて、咲き続けるベゴニア。これは、白の八重だが、一鉢あるばかり。

 

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