枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

二百十日、文月・大潮

2016年08月31日 | Weblog

 潮の潮位で、台風の被害や、その大きさが違うが、今回は新月になる前の大潮で、えらいことである。立春から数えて、二百十日に当り、古来の人々が、口を酸っぱくして言うのを、思い知らされる。暦を見て、潮の満干潮を知っておくのも、災害時に役立つ。

 テレビで、幾らその地のことを伝えても、状況を変えることは不可能だし、備えておくにも限度がある。いつ何時にも冷静さを失わず、行動できればいいが、そういうのは先ずは無理だ。これだけ機械任せにしていて、自分で判断できるとは思えない。生死の分れ。

 帰宅したら、裏の住人が大騒ぎをしている。蜂がいる!というが、今年のように台風の回数が多いと、蜂も逃げ場を探す。人間だけが生きていて、都合勝手をしながら、何と言うことか。現代農業にあったが、昼間は黒色を着ずに、夜は白色を避けるのが無難。

 其処に棲む、様々な生き物の習性やテリトリーを知って、付き合っていかねば、何時かは人間も絶滅してしまう。賢さは威張ることではない。真の勇気とやさしさがなかったなら、霊長類の長でもない。自分さえ良ければ、という考えに、人類の進化は途絶える。

 近所の散歩とドライブに。片時も眼が離せない方を乗せて、ドライブに出かけた。運転は若い職員がして、こちらはみまもりである。近場に、山羊の牧場があって、今は出産シーズンではないものの、訪れる家族もちらほら。牧場特製のアイスクリームを堪能する。

 昔には、家畜で飼っており、重要な資源だった。お産で母乳が出ないと、山羊乳をもらいに行ったりした。独特の臭いがあって、飲み難さも。然し、牛の乳よりは美味しく、甘い味が好きであった。ここの牧場のは、そういった臭いもなく、あっさりとして美味しいよ。

 2時間弱をドライブして帰設する。残りの職員は、各々の業務を行っており、近くまでの散歩等の拘りをしていた。車中にじっとしているのも疲れるもの。運転する者もまた、事故の起きないよう万全を期すのだ。何をしていても、介護の業務は厳しい現状である。

 宿根であるのだが、名前は忘れた。小さな穂先に青紫の花が咲く。蜻蛉が来ては止まっていく。

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