梅雨の晴れ間、晴天の一日は嬉しい、優しい北風の中、心地よく畑で、ナスやピーマンの添え木を作り、雑草との戦いも、釜一丁で勝負あり、天敵の蚊も静かで、しっとりと汗ばむ程度の効率良い畑の始末、
町の花「ユリ」は、あちこちの庭先で満開だ、赤白黄色、それぞれに、みんなの庭先に咲き乱れ、
学校でも、一人ひとりの球根からの鉢植え、、咲いて来て、持ち帰り、大切そうに、持って帰る子供たち、
持ち帰った家庭で、それなりに育てて欲しいものだ、子供たちは、水遣りを忘れ、親たちは無関心で、枯れさせてしまうのが、ほとんどの悲しい現実も、学校では、あえて持ち帰らせて、家庭での、町の花を育てる運動を展開している。
我が孫も、我が家のユリを無視して、鉢植えを持ち帰ってきた、明日からの水遣りを約束して、玄関前に、鉢花の一人として、鎮座させた、来年は黄色のユリがまたまた一本増えそうだ。
西日が当たらないよう、西側にも緑のカーテンの設置を家内からの勝手な命令、
ただ、朝顔や夕顔の苗があたっただけで、思い付きとは、判っていても、文句は言えない、
雨の止んだタイミングを見計らって、ネットを張った、雨が降り続く中、軒下の作業だが、大汗だ。
小さな苗を植えても、陽が射すところまで生長してくれるのだろうか?、ともかく挑戦、暇で、体調良しでは、何でもやって見ようとの気持ちになる。
20センチほどの排水溝に以外に高価な土を入れて、苗を植えた、50センチの垣根を越えれば、陽は当たるだろうが、そこまで生長するのが、大変だ、結果が楽しみだ。
ただ、朝顔や夕顔の苗があたっただけで、思い付きとは、判っていても、文句は言えない、
雨の止んだタイミングを見計らって、ネットを張った、雨が降り続く中、軒下の作業だが、大汗だ。
小さな苗を植えても、陽が射すところまで生長してくれるのだろうか?、ともかく挑戦、暇で、体調良しでは、何でもやって見ようとの気持ちになる。
20センチほどの排水溝に以外に高価な土を入れて、苗を植えた、50センチの垣根を越えれば、陽は当たるだろうが、そこまで生長するのが、大変だ、結果が楽しみだ。
梅雨の晴れ間、気温30度を越えて、あえぎながら,意地でクーラー我慢。
庭の梅の木の実がほとんど全滅、数年前と同じで、花のあと「すずめ」の大群が押寄せて、花芽が壊滅状態、実がなるはずもない、悔しく、残念。
来年からは「すずめ対策」を考えよう、前回は、半信半疑、今年で確信できた。
隣の田んぼの「落穂」が、すずめを呼び寄せる原因も、今回ではっきりした。
刈り取りの際の機械の調子で、落穂がすごかったらしい、前回は、稲刈りをしなくて、稲をそのまま放置だった、何でかは、詮索しなかったが、冬場に、ものすごいすずめの大群が押寄せて、隣の私の梅の木が、休憩所、新芽。花芽が、デザートだったようだ、梅の実は全くならなかった、今年も、梅の木で、「すずめの合唱」を楽しんでいて、結果を考えなかった。
収穫、僅か2キロ強、使い道が無い、家内は、梅干をあきらめて、「梅ジュース」を考えているようだ。
庭の梅の木の実がほとんど全滅、数年前と同じで、花のあと「すずめ」の大群が押寄せて、花芽が壊滅状態、実がなるはずもない、悔しく、残念。
来年からは「すずめ対策」を考えよう、前回は、半信半疑、今年で確信できた。
隣の田んぼの「落穂」が、すずめを呼び寄せる原因も、今回ではっきりした。
刈り取りの際の機械の調子で、落穂がすごかったらしい、前回は、稲刈りをしなくて、稲をそのまま放置だった、何でかは、詮索しなかったが、冬場に、ものすごいすずめの大群が押寄せて、隣の私の梅の木が、休憩所、新芽。花芽が、デザートだったようだ、梅の実は全くならなかった、今年も、梅の木で、「すずめの合唱」を楽しんでいて、結果を考えなかった。
収穫、僅か2キロ強、使い道が無い、家内は、梅干をあきらめて、「梅ジュース」を考えているようだ。
梅雨のような朝の霧雨も、午後にはやんだ、以外に気温は20度を超えている。
午後は「ボランティア連絡会」の海岸清掃の準備で、集めたごみの後始末の集塵車の市役所へのお願い、港湾管理事務所への届け、市役所広報誌への掲載のお願い、一緒にやりたいとの、地元の「町づくり協議会」との地元の公民館での打ち合わせ、合併前の隣町の公民館の素晴らしさに圧倒された。
競艇場があり裕福だった街は、施設がすごい、我が地域の公民館とは比較にならない、「びっくり」だ。
市民税も安かった、赤字続きの町営病院も、合併で、市民病院となり、赤字は、元の4つの町での負担となる、素晴らしい箱物の管理費も、負担だそうな,競艇は赤字になり、潤いどころか、お荷物になってからの合併、合併の弊害を身にしみて見えてきた。
合併後の温度差は、5年目に入っても、かなりのものだ。
でも、合併前には考えられなかった、共催でのイベントが、計画できるのは、楽しく、面白い、
平凡のようで、私には、忙しい一日が暮れて行く、やや、蒸し暑い夜、隣の田んぼの蛙の合唱が、幸せを感じさせてくれる、孫たちと大騒ぎの入浴の後の夕涼みに「かえるの歌」を本物の蛙の合唱とともに歌えるのは、幸せなのだろう。
午後は「ボランティア連絡会」の海岸清掃の準備で、集めたごみの後始末の集塵車の市役所へのお願い、港湾管理事務所への届け、市役所広報誌への掲載のお願い、一緒にやりたいとの、地元の「町づくり協議会」との地元の公民館での打ち合わせ、合併前の隣町の公民館の素晴らしさに圧倒された。
競艇場があり裕福だった街は、施設がすごい、我が地域の公民館とは比較にならない、「びっくり」だ。
市民税も安かった、赤字続きの町営病院も、合併で、市民病院となり、赤字は、元の4つの町での負担となる、素晴らしい箱物の管理費も、負担だそうな,競艇は赤字になり、潤いどころか、お荷物になってからの合併、合併の弊害を身にしみて見えてきた。
合併後の温度差は、5年目に入っても、かなりのものだ。
でも、合併前には考えられなかった、共催でのイベントが、計画できるのは、楽しく、面白い、
平凡のようで、私には、忙しい一日が暮れて行く、やや、蒸し暑い夜、隣の田んぼの蛙の合唱が、幸せを感じさせてくれる、孫たちと大騒ぎの入浴の後の夕涼みに「かえるの歌」を本物の蛙の合唱とともに歌えるのは、幸せなのだろう。

年賀状作りに取り掛かれば、「おじいちゃん送っていって」と孫娘のおねだり。
地区の公民館で、「リース」を作るのだという、送っていけば、お金頂戴、材料費として会費が300円必要だった。
館長につかまり、
お手伝いの羽目に、工作の苦手な私は、右往左往、何とか小さい子のお手伝いをやりながら、だんだん楽しくなってきた、子供は可愛いものだ。
1時間半ほどで、全員が何とか作り上げられた、うれしそうな子供たちの笑顔が素晴らしい、大切そうにもっての記念写真、雨の中、早く終わったので、父兄の迎えが無い子を家まで送るのに、大騒ぎ、さすが小学生、自分の家までの道順は、はっきり説明できるので、楽だったが。
午後は、またまた孫娘に「そろばん塾」から電話、「試験始まるのに、まだ来れないのか?」、孫は忘れていたようだ、あわてて車で送っていく、振り回された挙句、パソコンのプリンタがエラーを起こし、賀状十数枚が、お釈迦。
雨の日は、あまり良いことはない。


北陸の冬が近く、洗濯物が乾かない、家内にけしかけられて、「コインランドリー」で毛布の洗濯、30年ほど前の東京赴任時には、お世話になったコインランドリー、我が田舎町にも、3年ほど前に、近くに出来ていたが、初めて利用してみた、昔と違って、洗剤もいらない、毛布一枚、50分、700円、三枚の毛布で2100円は高いのか?、安いのか判らないが、クリーニングへ出せば一枚2000円だとかで、それよりは安い、我が家の乾燥機は、3時間くらいかかり、洗濯物が多い日は大変だが、これから数ヶ月は、必需品、でも、毛布は入らない、現場のおばさんたちとの話では、自宅で洗濯して、コインランドリーで、乾燥だけするのが、利口なやり方だそうな、ふわふわに乾いた毛布は気持ちが良い、北陸では、冬は「コインランドリー」の乾燥機は、フル稼働らしい、時代は、確実に変化している、田舎生活も、変わってきていることを実感した。



のんびりの一日、市内の暇そうな観光地?の散策で、面白いものを見つけた。
「まえかけ展」???昨日までとなっていたが、覗いて見れば、延長していますとのこと、前掛け?「エプロンのこと????」どこが違うのだろう、前掛けが展示品とは?、
確かに、昔は「前掛け」と言っていた、今でも「築地」の魚屋さんを代表するように、「前掛け」は存在しているが、これを「展示会」の中心において、展示会とは驚きだ、エプロンと、どこが違うの??。
エプロンは首からつけるそうだ、前掛けは、腰から下で使うのだそうな。
私には,ぜんぷ同じもので、色や模様が違うだけにしか見えない、展示の品は、全て折りたたんで展示しているから、形はわからないよ、作者の先生は、13年「前掛け一筋」だそうな、飯が食えるのが不思議??。
布切れ一枚の前掛けが、7000円、買う人がいるから、先生は飯が食える、
優雅な日本、まだまだ捨てたものじゃないが、昔人間の私には、その価値がまったく理解できなかった。
政権変わっても、のどかで、のんびりの日本が残っていたことに、ほっとした気分。



床の間の掛け軸は六字名号「南無阿弥陀仏」に架け替え、仏具を取り出して、孫達と大騒ぎで「お磨き」だ、蒸し暑くて、汗だく、仕方なく「クーラー」の出番。
ご先祖をお迎えする、お請霊棚を作るのに、またまた騒動、なすに爪楊枝を刺して
足を作り「牛車」、キュウリに刺して、「馬車」、これに乗って、先祖が帰ってくるのだと、孫達に説明すれば、幾つものナス、キューリは、無残な姿に、「一台だけで良い」といえば、僕のだ、私のだと、大騒ぎで、じゃんけんで、ナスの牛車はおにいちゃん、キューリの馬車は妹ということで決着、野菜の飾りつけはまだ早いと言っても聞かない、随分野菜が犠牲になりそうだ。
仏灯「秋月灯」を組み立てれば、点灯して走馬灯が「廻る廻る」と大喜び、汗だくの中にも、季節を感じて、いよいよ「お盆」だなぁと、楽しくもあり、年月の過ぎ行く早さに、感慨深いものがある。
今夜は、19時半から、ボランティアの役員会議、疲れたけれど、晩酌はおあ付けだ。


神式だそうだ、慌ててネットで調査、お焼香でなく、玉串奉納、香典の表書きも
「御玉串料」、通夜から葬儀、葬儀の後始末、当然のことながら、法要がなく、それに変わるいろいろな神事に変わる?こととなる。
ネットからプリントアウトして、今から勉強会だ。




家内の妹の旦那、危篤状態が続いている、家庭内もどんよりと曇り空、家内は準備に大わらわ。
葬議場の下調べ等、親戚一同、スタンバイ、私もあちこちの約束事のお断りで、日が暮れる。
この様な時ほど、普段は暇なのに、日程がつまっているものだ、不思議だ。
息子夫婦も、明日は、一学期最後の子供達の世話と、仕事の調整、爺と婆が留守になったときの準備とその調整、参列の準備の話し合い、本人は、まだ、生きてるんだよ。
一日落ち着かない、一日が暮れて行く、担当医は24時間持たないとのこと、
悲しい、悔しい、人間の命なんて、何時どうなるのか判らないとは言うが、
危ないといわれての対応も、苦しいものだ、本人は生きているのに、嫌な準備の時間が長く感じる。
でも、数分でも、長く生きて欲しいというのが本音、

夜になって、雨音が激しくなってきた、まだ、梅雨は明けない、重苦しい時間が過ぎてゆく。





南側の居間は時々日が射して、ストーブをたいていては汗が出るほど、
一日ほとんどストーブの火は消していた。
外では、風も吹かず、根雪の量が目立つほど少なくなった、太陽の恵みのありがたさが良くわかる日だった。
予定の無い今日は、一日中家の中でうろうろ、でも、何もしなかった。
テレビの釣り番組「釣りビジョン」に魅せられて、一日動かなかった。
孫達はゲーム、爺さんに参加を望まれるが、無理無理ついて行けない。
友人がまたまた「猪の肉」を届けてくれた、今年は沢山捕れるようだ、ありがとう。
家庭で、牡丹鍋、私は嬉しいが、息子夫婦と孫達は迷惑そう、顔をしかめていた。
地産地消、変な輸入肉より、安全、安心、体の温まる牡丹鍋、おいしく頂きたいものだ。

曇りを中心に、霙が降ったり、晴れ間が出たりの北陸独特のお天気、
昨日と今日で、家の外回りは、かなりすっきりした。
晴れ間をぬって、外回りの仕上げ?、家内に言わせれば「まだまだ」、自分では満足。
室内からのガラス拭き、昨日の外回りのガラス拭きの、何といい加減だったか、
家の中から、日がさしたときに見るガラスの拭きあと、曇りガラスになってしまう、孫達のお手伝いで、手間隙倍以上になるが、わいわいがやがや、最後の仕上げは、孫達怒鳴りつけながらも、相手にされずに、年寄り仕事、疲れた一日。
室内清掃限りなし、明日は何処で諦めることとなるのだろう。
早くも明日は大晦日、今年遣り残したことは無いのだろうか?、自然に、何事も無く明日を迎えられる幸せを、一年振り返って、感謝しよう。
親戚には、不幸もあり、問題もあったが、我が家では、可もなし不可も無し、
大晦日を家族みんなが、元気で迎えられることは、ありがたいことだ。
明日は、今年を振り返る余裕があるのだろうか。
人生、歩き続ける中の、一つの区切りかもしれない。


昨日と今日で、家の外回りは、かなりすっきりした。
晴れ間をぬって、外回りの仕上げ?、家内に言わせれば「まだまだ」、自分では満足。
室内からのガラス拭き、昨日の外回りのガラス拭きの、何といい加減だったか、
家の中から、日がさしたときに見るガラスの拭きあと、曇りガラスになってしまう、孫達のお手伝いで、手間隙倍以上になるが、わいわいがやがや、最後の仕上げは、孫達怒鳴りつけながらも、相手にされずに、年寄り仕事、疲れた一日。
室内清掃限りなし、明日は何処で諦めることとなるのだろう。
早くも明日は大晦日、今年遣り残したことは無いのだろうか?、自然に、何事も無く明日を迎えられる幸せを、一年振り返って、感謝しよう。
親戚には、不幸もあり、問題もあったが、我が家では、可もなし不可も無し、
大晦日を家族みんなが、元気で迎えられることは、ありがたいことだ。
明日は、今年を振り返る余裕があるのだろうか。
人生、歩き続ける中の、一つの区切りかもしれない。



年の瀬て諦めていた家の外回りの掃除、大慌てでやった、天気は良いし、汗ばむほどだった。
ガラスの外側が全部拭き掃除が出来た、水圧をかけて水をかけ、ブラシでふき取るだけだが、意外に綺麗になる、後は雨が降ろうが、雪が降ろうが、家の中から内側を拭けば良い、明日か明後日の仕事にしよう。
庭のあちこちの隅に吹きだまっている落ち葉も掃除が出来た。
明日の家の中の掃除手順を考えながら、いざ晩酌となって気がついた、昨晩残り全部飲んでしまって、今日買いに行くつもりだったが、忘れてしまった。
たまには、晩酌抜きもいいだろうと、諦めることにする、やや物足りないが。
家内の妹の主人が、入院中で、覗きに行った、まだ食事は出来ない、筆談で
「何か食べたい」は仕方ないが、「酒がのみたい」だと、多分酒好きの私も、あの立場になれば同じ事を言い出すのかと、苦笑いをした。
後二日で年が明ける、少しづつ実感がわいてくる程度だ、あわただしさを感じないのは、私だけだろうか。


大慌てで、タイヤ交換、息子夫婦と私の三人で、寝ぼけ眼での作業だ。
三人で、一斉に取り組んだところ、何と二十分で三台のタイヤ交換完了。
息子の嫁はちゃっかりと、前回の降雪時に交換してあった。
私ひとりでやれば、一台に三十分は十分にかかる。
こんなに早く交換できるとは思わなかったが、息子夫婦、何とか出勤に間に合った。
家内と二人で、車庫の整理、棚や隅のほうにくだらないものが沢山置いてあり、
捨てるに捨てられないものだと家内は言う、確かに三十年も使っていない、私の釣り道具も、棚の一番良い場所を占領している、餅つきの臼、蒸篭とか、お釜、もう何年も使っていない、でも、捨てる勇気は無い、いろんな思い出もつまっているから。
今年も後数日、北陸では、なかなか自宅の大掃除は困難だ、外は小雪がちらつき、
積雪は数センチだが、銀世界、孫達は大喜びで、プラスチックのシャベルで雪集め。
湿り気の多い雪なので、びしょ濡れになって、家の中へ入ってくる、家内はその始末に追われっぱなし、車庫で息子の使ったおもちゃを見つけて、家の中へ持ち込まれてしまった、またまた、お片づけのおもちゃが増えてしまう。
年末になっても、特別な掃除は出来ないが、明日からしばらくは、気分的に忙しい日が続きそうだ。


昨日は、知的障害者の生活支援ということで、銀行や社協、本人面談などで半日振り回された。
午後は、学校の保護者会で、暇な孫達とのお付き合い、パソコンに向かうことも出来ずに、晩酌でダウン。
今日は、孫の所属する銭太鼓チームの最後の練習日、弁当屋さんから子供用のお寿司を12名分買ってきて、「ご苦労さん会」、子供達は大喜び。
わずか?の出費で、こんなに喜ばれると、嬉しいものだ。
親たちからも、お菓子やみかんの差し入れがあり、食事後は、上級生も下級生も
一緒になって公民館で大騒ぎ、自分も一緒に遊ばれたが、体力が続かない。
昔の遊びを、興味を持って繰り返しさせられて、くたくただ。
でも、ゲーム時代の子供達は、すぐにゲーム機を取り出す、今日だけは、公民館の中でのゲーム中止、素直に片付けている。
大きい子も、小さい子も、一緒に遊ぶのは、子供達にとっては、新鮮みたいだった。「来週も練習やろうよ」「爺ちゃん、来週も来てね」の声に元気をもらった。
冷たい空気だが、お天気が良いので、公園では子供達の声が響いていた。
12月のこのシーズン、珍しい風景だ。
年末へ向けて、
