当地はお米の産地、「こしひかり」の発祥の地、山手のお百姓さんから買い求めた玄米の精米だ、30キロを持ち上げるのは大変だが、孫と二人で、霙の中を精米機で頑張った、新米は確かに旨い、福井名産の『さばのへしこ』(さばの糠漬け)をおかずの食事は最高、生きている喜びを感じるひと時だ。
小学校校下で、公民館がひとつ、この単位での、地域の交流会としての「お祭り」が行われ、1年交代で「文化祭」「運動会」が交互に実施され、今年は文化祭、意外な人が意外な特技を持ち、披露してくれるこの祭りは、町内交流としても価値があり、毎年新しい発見がある、孫達の「銭太鼓チーム」も張り切って舞台を務めてくれた、外は小雨ぱらつき、寒い日だったが、体育館の中は、熱く盛り上がった。
今日から新学期、久しぶりで、子供たちと登校、楽しい会話が弾む、宿題未完成で、落ち込んでいる子や、夏休みの旅行の話しを楽しそうに話す子、久しぶりで、通学路には、歓声が戻ってきて、楽しい一日の始まりとなったが、登校見送りで、家に戻れば、大汗、学校には「クーラー」は無い、子供たち大丈夫だろうか、夏休みを延長してやりたい暑さだ、福井県の小学校の教室は、100パーセント「クーラー」がつけてない、何とかしてやりたいが。
急に冷え込んできて、油断してしまった、夏風邪というやつに取り付かれて、何年ぶりで、寝込んでしまった、恥ずかしいが、これも年か、風邪で医者にかかるなんて、実に恥ずかしい、かかりつけ医の先生も苦笑い、「鬼の撹乱」なんて冷やかされ、冷や汗物。
エコキュート、日中の電気の消費を減らさねば効果は出ない、テレビの番人から脱退、日中は極力電気を使わない生活を強いられてしまった、自分で追い込んでしまったのだ。
テレビを消して、読書に変更のわが生活、若いころに買ってある「日本文学全集」、一冊690円、まったく読んでなかったが、ひも解けば面白い、字が小さくて読みづらいが、二つのめがねを重ねれば、読めないことは無い、明治時代の文学言葉は、解説なしでは理解できない、日本語の難しさを痛感する、「漱石全集」特に大好きなのは「吾輩は猫である」、原書のままの文は、解説なしでは理解できない、100年前には、これほど難しい日本語だったのだと感心する。
60冊に挑戦も、生きている間に読破できるだろうか、頑張ってみたい。
エコキュート導入も、生活リズムを変えなくては、節電にならない、22時から8時までは低料金だが10時から17時までは、今までの3割アップ、出来るだけ日中は電気を使いたくないが、なかなかそうも行かない、お風呂へ入るのに大騒ぎ、家内はコンロの使い方で四苦八苦、当分は勉強だろう。
鍋や、ヤカンも、買い替えの必要なものがあり、意外に切り替えは難しいものだが、後へは引けないので、突き進むより仕方ないだろう。
我が家の電気代、一月は3万円を越える、省エネに逆行している、セールスの話を信用することにして、灯油ボイラー、プロパンガス、撤去、200ボルトの家電導入、エコキュートなんて話に乗っかることにした。
朝から一日工事に3人の若者が、頑張ってくれた、縁の下にもぐり、天井裏を這いまわり、配線,配管頑張ってくれて、露出はなし、想像以上の工事をしてくれて、感謝だ、当分は、家電操作に、家内と戦争だろうが、設備のローンを払っても、まだプラスになるなんて、信じられないが、やってみなければ結果は出ない、さようなら「プロパンガス」のタンク、ガスコンロたち、「灯油タンク」、エコキュート、うまく行くのだろうか?。
目覚めて、大切な家族の金魚たち、二匹が底に沈み、死んでいた。
原因は、孫が、鉛筆削りのコンセントと間違えて、コンセントを抜いていた、ポンプも、ヒーターも消えて、気温2度、酸欠と低温にやられたらしい、4年間も付き合ってくれてありがとう、悲しそうな孫の顔も、慰めようが無い、残りの4匹を大切にしようよ、2センチほどのめだかのような金魚をすくってきて育てていた。
大きくなって朝のえさの催促の様子が、寂しくなったが、残りの4匹は、夕方には元気になっている、元気な残りの金魚たち、気をつけて、お世話をしようと孫たちと約束、命の大切さを、孫たちは現実で勉強してくれたようだ、ありがとう、金魚さんたち、残りのみんなを大切に育てようと、孫たちと約束できた。
亡くなった母が大切にしていた『人形』大きくて、置き場に困り、狭い家の中をあちこちに置き換えているが、困り者だ、捨てようにも、何だか心の隅にいやなムードが漂い、捨てきれない。
ほかに『日本人形』『沖縄の人形』もあり、、色あせてきて、物置の隅においてあるが、これも捨てきれない、困り物というか厄介物だ。
自分は子供や孫に、厄介物扱いされるものは、残したくない、息子にそれを話せば、「親父の作った、家の「庭」の手入れが心配だといわれてしまった、確かに私の趣味で、小さいながらも、和風庭園にしたため、剪定や、雪つりに、年間20万ほど庭師さんへの支払いがある。
そろそろ木々を少しずつ減らして行かねばと、真剣に考えさせられてしまった。
20度の定温になるまで水を汲み、暖めてからの「お引越し」、かわいい金魚たちに、環境の変化は、ショックを与えたくは無かったが、移し変えたときは、皆さん固まって、動かなかった、心配だったが、10分もすれば、みんな元気に動き回り、安心だ、広くなって、動きが大きくなっている。
これからも、癒しをいただける「金魚さん達」、広くなった水槽で、思い切り遊んでください。
早くも友人から「お歳暮」が届いた、もうそんな季節なのか、あちこちのお店からは、カタログも届き始めて、悩ましい「シーズン」の幕開けだ、毎年金額は小さくしているが、お世話になった人や、親戚等、毎年当てにされているやも知れず、あまり送る品を代えたくない、酒好きの人には、当地自慢の海産物、兄弟には、当地自慢の「蕎麦」を年越し用に、などと、年の瀬のお付き合いも大変だ。
戴いたお歳暮に、孫たちも一喜一憂、今日届いた「お酒」には、爺さん喜ぶが、孫たちはそ知らぬ顔だ。
そのうち、孫たちが喜ぶ品も届くことだろう。
20日に、伯父の17回忌をやり、いとこは皆集まったので、我が家の「両親の位牌」を一緒に法要をやったばかりなので、家族のみで行った。
菩提寺から50キロの道を駆けつけてくれた和尚と、久しぶりの再会、皆さんの最近の情報は、和尚よりほかに入ってこない。
亡くなった人達、100回忌法要が数件あった話など、懐かしい思いをさせていただいた。
明日の新聞には、取り上げられて、お盆の風物詩として季節を一番感じられる行事だ。
我が家の「精霊棚」のお飾りは、昔は川へ流したが、今は禁止されて、始末に困る。
「燃えるごみ」に投げるのは抵抗あり、畑で燃やせば、苦情が来る。
食料の野菜、果物は「御下がり」として、戴き、竹や、縄、御幣などは、穴を掘り、静かに燃やすより無い、苦しい後始末だ。
「塔婆」を墓へ納めて、我が家のお盆は終わる。
お盆の後始末に汗をかき、炎熱地獄の畑へ目をやれば、とうもろこしが「からす」の餌食、慌ててネットをかぶせて、半分は助かったろうか、悔しいが、これも生活リズムのひとつだ、お盆で畑を忘れるのも、仕方なかったのだろう。
菩提寺から電話がかかり、「明日、棚経に行きます」とのこと、本来は14日なのだが、地元以外の檀家へは、今月に入ると順次回ってくださる。
大慌てで、「精霊棚」を作った。
先祖を我が家へお迎えして、お盆を迎える行事、年に一度の、「精霊棚」つくりは、大変だ、仏壇の仏具の「お磨き」と併せて、ほとんど一日を要する。
お灯明をつけてみれば、お盆が来るのだと、新たな気持ちになってくる。
一年は、早いものだ。
昨年の種を保存して植えたため、どんな華が咲くのかは、結果次第。
今朝の花は、まあまあの大きさ、色も悪くない。
この花を見ると「夏」だ、小学校では「プール」の授業も始まり、プール見張りの要請も来た。
登下校の際の子供たちとの話題も、「夏休み」のことばかり。
残念なことに名古屋場所の相撲中継は中止との事、少しばかり寂しいが、これで相撲界がしまってくれれば、それはそれで、我慢のしどころだ、ファンも我慢して、より良い相撲の発展のため、協力したいものだ。