車椅子生活の辛さは、経験しないと理解は難しい、子供達は、車椅子から爺さんを引き摺り下ろして、じゃんけんポン、素晴らしい乗り方で、お遊びの遊具にしてしまう。
楽しい子供達とのふれあいが次の生きがいかもしれない。
車椅子生活の辛さは、経験しないと理解は難しい、子供達は、車椅子から爺さんを引き摺り下ろして、じゃんけんポン、素晴らしい乗り方で、お遊びの遊具にしてしまう。
楽しい子供達とのふれあいが次の生きがいかもしれない。
脊髄炎で8時間の手術,首が痛くて動かなくなり、受診、そのまま入院、手術となった。3ヶ月の入院、手足麻痺で、車椅子生活が春まで続いた。
リハビリのおかげで、杖を頼りに乳児のような、たどたどしいながらも、歩行可能となり、週一のリハビリは、今も続く、手はしびれて、麻痺のまま、パソコン入力も指一本、訪問いただいた皆さん、更新できなくて、ごめんなさい。
外出困難で、引きこもりながら、パソコンとも遊べない日々は地獄そのもの、リハビリを兼ねて、更新を頑張りますが、毎日は無理、違った角度からの、年寄りの不自由な状況を報告させていただきます。
我が家の車庫が、普遍だと、家族みんなが文句を言う、敷地の関係から、4台分の車庫は2列に入れるようにしてしまった、家族の行動、時間帯が狂ってしまうと、入れ替えが、面倒だと、文句が全て爺さんに来る、狭い敷地をいろいろ考えて、力一杯の金をつぎ込んでの、つくりに、開き直りたい、車がかわいそう。
低気圧の到来にゆだんがあった、大切な苗の育成の「マイハウス」目覚めて猛反省、見るも無残、ひっくり返り、双葉の子葉たち、無残な姿、反省遅し、懸命に始末をするが、半分も助からない、残念、新しい作物は、来年に繰越だ。
悲しい知らせが入り、朝から滅入る、高校の同級生の奥さんが、亡くなったとのこと、遠くて行けない、電話で、香典の依頼、63歳で、血液の癌で亡くなってとのこと、定年と当時に発病らしい、数年の闘病生活の様子を見せず、結果報告、残念だ、男が一人残されるのは、大変なこれからの人生、頑張って、奥様の分も長生きしようぜ。
93歳のばぁちゃんの葬儀、村人が沢山集まり、厳かに行われた、火葬場には、車の高さを越える残雪、
絆とはこれだろう、懐かしい沢山の人たちに逢えて、ばぁちゃんありがとう、積もる話に、時間を忘れてしまった。
南無阿弥陀仏、十念和尚の説教に、静まり返ったのは、感動物だった。
93歳のおばさんの大往生、訃報を聞いて、駆けつけたが、白内障で目は見えず、耳は聞こえない、酸素吸入での延命治療、考えさせられる人生だ、お通夜は、村人が沢山集まり、個人の人徳を感じた、明日のお葬式も、お参りさせていただこう、それにしても、残雪がしっかり残る田舎だ。
3月に入り、涙目、鼻水、くしゃみがひどくなり、ついに「医者」の元へ、「花粉症」との診断、わかってはいたが残念、飲み薬は限界になり、処方できないとのことで、外用薬「鼻薬」「目薬」「塗り薬」の処方、さすがに、使用すれば、てきめんに効いてくる、もう、薬はいらない、年をとるのは、悲しいことだ、これだけお薬のお世話になるとは、残念だが、仕方ないのだろうか?。
小学校、各学年2組づつあるのだが、5年と6年全滅、さらに3年生1組までも学級閉鎖、集団登校が大変だ、爺さんたちの出番、班編成をいくつかまとめて、付き添う、小さい子達だけだと、何とお行儀が良いのだろう、考えさせられた。
灯油の使用があまりにも多い、配達をしてもらうとリッター「87円」の請求書、ボトルを持って、取りに行けば83円、今日も暇なので、ホームセンターへ行って、買ってきたが、値段の違いが、激しい、ガソリンも、場所により値段がかなり異なる、油の値段は、年金生活に関係なく、変動がひどい、これからの生活が心配だ。
朝からE-TACと格闘、使いづらいソフトで、四苦八苦、せっかく入力完了も、印刷画面がややこしい、医療費の計算に、180枚の領収書と格闘、ほとんど一日かかってしまったが、4万円の還付は嬉しい、30分ほど待たされたが、無事深刻完了、肩の荷が降りた感じ
我が家の前の道路、側溝工事で、玄関の上がり口が、ややこしい、短い、段になるようだ、孫たちが、騒ぎ出した、「自転車の出入りは?」「どうしようか?」生活のリズムが代わる公共工事、お上のお仕事、受身の私たちは、工事完了してから、生活リズムを立て直さねば、一人騒いでも、誰も相手にしてくれない。
この年では、病院への通院は仕方ないが、毎日の薬の服用が、あまりに多い、毎朝の食後7粒の薬の服用、朝食は、食欲が無くても、薬服用のために、食べなくてはならない、今回は病院からの指示により、1か月分が処方された、大きな袋に呆然、今しばらく、命をつなぎたい自分には、多量の薬の服用も、仕方ないのか。
町内の今年初めての役員会、新自治会長は、仕方なく引き受けさせられた、団塊世代、「やりたくないことはやりません」と挨拶をして、しらけてしまった、どうなることやら、引き受け手の無い役員を「年齢順」と決めての役員たち、開き直った挨拶に、参った、70歳を過ぎての役員も疲れるが、団塊世代の人たちの考え方が、理解できない、絆なんてどこまでわかってくれているのだろうか、私も退け時だ、目を瞑って、流れをみるより仕方ないのだろう。
入院生活、退屈な日々、次々との点滴に針を指す場所に看護師さんたち困っている、ついに針を指したままの状態に、今日は足の血流検査、変な薬を塗りたくって、気味が悪い、ようやく午後には「シャワー」を浴びることが出来た、さっぱりした。