田舎暮らしのサンデー毎日

望まなくても、前期高齢者の仲間入りされられちゃった、年寄りのわがまま日記です。

異常気象

2009年07月31日 | お天気
時々小雨、七月最後の今日もぐずついた天気が続く。
朝のラジオ体操は、小雨模様で、参加者は、半分程度。

久しぶりにのんびりと過ごせる一日だ、午前中知的障害の子の生活支援で、銀行などに言って、支払い手続き、社協の担当者と、その子の将来について、話し合ったが、良い方向は見えない、20代後半に入って、施設等での仕事は、すぐにやめてしまう、煙草が切れたり、小遣いが無くなれば、家庭内暴力、家族は怯えている。
悲しい現実だが、知的障害者も、地域で生活できるよう、みんなでささえあおう、なんて「スローガン」に過ぎない。
地域の人達も、「触らぬ神にたたりなし」、の状況。

施設に入れて、再教育など、もっと手を打たねばならないのではないだろうか?

91年には、北陸の実質の梅雨明けは、8月14日との記録があるそうだが、覚えていない、今年も、似たような現象のようだ、ここ一週間は、前線の動きは少ないとのこと、ビックリだ。



銭太鼓

2009年07月30日 | 孫と遊ぼう
時々小雨、変な気象状況、梅雨は明けない。
孫達のイベント、「銭太鼓」チームのアッシー君、隣町の「老人会」からお呼びがかかり、朝から大騒動、立派な「ふれあい会館」での舞台は、喝采とアンコールの声援に子供達は、戸惑い気味、私の役割は、浴衣に襷がけの「花笠音頭」「銭太鼓」のあとの着替えの時間の、たいこもち、「銭たいこ」の由来や、子供達の練習の様子、あちこちのイベントに参加したときの「エピソード」などを話しながら、お年寄りの皆さんを、退屈しないように、着替えの時間稼ぎ?。

最後は、あでやかな「フラダンス」の衣装で「月の夜は」とペコリナイトで締めくくった。

お年寄りたち大喜びで、拍手が鳴り止まず、「可愛い」「可愛い」との声に、アッシー君も大満足、子供達、一人ひとりに、大きな菓子袋を頂いて、嬉しい笑顔。

公民館へ戻って、今週末の土曜日に、私達の地域のお祭りでの初披露曲の練習をして、解散。

私は疲れてしまったが、午後には、その中の数人が、我が家へ遊びに来て、大はしゃぎ。
子供達のスタミナは、たいしたものだ、疲れを知らない、うらやましい限りだ。

今夜は、晩酌の回りが速い、

異常気象

2009年07月29日 | 日本はどうなる?
時々梅雨は明けない。
むしむしと嫌なお天気、ラジオ体操で汗をかき、子供達の太鼓の練習に付き合い、
畑のキューリや茄子、トマトにオクラの収穫、蚊の猛襲に遭いながらだが、
何時もの年より、かなり収穫は少なく、熟した「バナナ瓜」は、全部「からす」の餌食で、人間は味見すら出来ない、悔しいというか、腹立たしいが、これも自然の摂理、油断した人間の敗北。
西日本の集中豪雨、被害に遭われた人達の冥福を祈る、福井県も、集中豪雨、大変な被害だった。
皆で頑張って、ようやく復興した、西日本の被害者の皆さん、頑張って頂きたい。

痛々しい被害の報道に胸が痛む、政権を取るとらないで、我がまま放題の政治家は、わが国の未来なんて、誰も見ていない、役人天国を利用してきた政治家に、何が次の日本なんだ、今の野党の無責任な「マニフェスト」、税金も入らない国に、ばら撒きは無いだろう。

自民党の「マニフェスト」、明日発表だそうだが、どうせ、役人に書かせているだろう、悲しい現実、日本はどうなるのだろう。


年よりも、何とか、頑張らねば、孫達の幸せな人生を考えてやりたい。


高校野球

2009年07月28日 | 異状気象

福井県の高校野球、甲子園への決勝大会が今日だった。
野球に命をかけた、私立校同士の決勝戦。
どちらが勝っても、県民の関心は薄くなっている、県外からの野球留学の子供達の決勝戦だ。
応援席は、生徒と、野球部の父兄だけのがらがらのスタンド、梅雨の明けない当地では、予選大会が、のびのびで今日になってしまった。

梅雨が明けない当地での、甲子園予選、テレビはNHKも、民放も延長で放映だが、盛り上がらない。

本来は、地元の子供達で、頑張って、夏を盛り上げて欲しいものだが、数名の少年野球出身者も全滅の今年の県代表は、寂しい限り、年齢制限だけではなく、地元の選手での戦いにして欲しいものだ。

サッカーも、野球も、切符を手に入れるために、スポーツ後進県の福井県に留学の高校生、悲しい話だが、現実で、留学で予選落ちほど惨めな話は無い。

それほど甲子園に出たいのだろうか?。


イベント

2009年07月27日 | ボランティア

当地は、まだ梅雨が明けない。
一昨日と、昨日は地域の夏祭り、自治体主導の祭りだったが、合併で、民間主導に切り替わってから、盛り上がってきた。
地元の「商工会」「青年会議所」「各種団体」「企業」皆で作り上げてきた夏祭り、
私もボランティアでの「会場清掃責任者」、昨年までは、個人の人脈での人集めに、大変な苦労だったが、今回は「民生委員会連絡会」に声をかけてみたら、多くの人が集まっていただき、私は、指示だけで役割が終わった、でも、二日間の11時から22時まで、会場に座っているだけで、今日はダウン。

土曜日は地元の団体のステージ発表、保育所幼稚園、小学校に中学の合唱舞台と
にぎやかだったが、途中の雨で、時々中断。
日曜日は、「ソーラン一色」若者たちのパワー炸裂、県内のソーランチームがほとんど集まっての大発表会、すさまじい音響に、完全に私は負けた。
でも、会場のごみ拾い、量が今年は極端に少なく、嬉しい限り。

何回も、「ごみはお持ち帰りください」「ごみステーションの場所はこちらです」との案内放送の繰り返し、時々の雨には悩まされたが、ごみの少ない、綺麗な会場で、盛り上がった「夏祭り」、疲れたけれど、嬉しかった、皆で作るお祭りは、楽しいものだ。

来年も頑張りたい。




古くて懐かしいもの

2009年07月24日 | 地域活動
「市のゲートボール大会」、7時40分に我が家を出発。
会場は、「屋内ゲートボール場」、このような施設があったなんて、知らなかった、探すのに時間がかかったが、時間には間に合った。
減少一途の「ゲートボール人口」、立派な施設があるのに、驚きだ。
10万の人口の市での大会、参加者は十二チーム門外漢の私には、[ショック」。
この人達のための施設なのか?、投げつけて、帰りたい気分。

帰り道の車の中で、議論伯仲、いろいろ考えさせられた、元気な年寄りも良いのだが、ほんの一部の人達のお遊びに、厳しい自治体の、私にとっては「馬鹿馬鹿しい施設」、かなり無駄な金を使っての施設だ。
次回からは、ボランティアでの協力は、考え物。

もっと必要な施設が、あるだろうに、何故、このような無駄?な施設が税金使って、存在するのだろう????。

初体験の「ゲートボール大会」、考えさせられたが、「面白い」維持管理の言い訳が聞きたいものだ。





夏休み

2009年07月23日 | 田舎暮らし
あわただしい日の中で、孫達の夏休みがはじまっていた。
朝のラジオ体操には、年寄りたちも集まってくれる、むしろ「年寄り」たちのほうが多いくらいだ、
相変わらず、リーダーで、前に立つ子供達の「たこ踊り体操」には、言葉もないが、眠そうな顔で集まってくる子供たちは、かわいくて、微笑ましい風景だ、楽しくなる。
体操の後、幼稚園と低学年は、「公民館」でお祭りの「太鼓」の練習、子供みこしのふれ太鼓の練習だ。
今年の太鼓チームは、行儀が良い、かわいい半被姿が目に浮かぶ。

午後はプールのお付き合い、下の孫3年生は、いまだに泳げない、3年生で泳げない子は数人らしい、年甲斐もなく、十数年ぶりに、海パンはいて、プールで一緒にはしゃいで、ぐったりだ、水に入るのはこんなに疲れるものなのか。

「じいちゃん、明日もプールだよ」との言葉が、うれしくもあり、苦しくもあり、複雑な心境。

早めに寝て、スタミナ回復して、明日も頑張ってみたいものだが、明日は「市のゲートボール大会」、ボランティアで世話役に引っ張り出される予定、孫には、「じいちゃん、明日はプール行けないよ」と説得に、大変だ。




日食

2009年07月22日 | のんびりの一日?
時々
朝から孫達大騒ぎ、今日は46年ぶりの皆既日食。
北陸も70パーセントが隠れるとのことで、大騒ぎ、ろうそくでガラスの破片にすすをつけて渡したら、家内からおしかり、私の子供のときの日食は、皆がこれで観察したのに。
さすが、家内、観察用のグラスの準備は出来ていた。
朝は雨、諦めていたら、10時頃から、雲が薄くなり、11時前の観測時間には、臼曇、太陽が時々顔を見せて、皆で日食を観察できた。

感動のひと時、テレビでは、皆既日食が、見えたとか、見えなかったとか、大騒ぎだが、当地では、70パーセントでも、暗くなる様子は感じなかった。

ここ数日の、神式お葬儀の疲れで、午後はダウン、日食のテレビ報道を見ていて、ついつい、居眠り、晩酌の回りも、何時もより早くて、量は進まない。

平穏な日が戻りつつある、残った我々は、あの世への旅立ちは、あまり急ぎたくない、元気を取り戻して、人生楽しみたいものだ。


お葬式

2009年07月21日 | 感動した
時々
家内の妹の旦那の葬式、驚きの連続。
お通夜が「みたまうつし」、故人の霊を身体から「お社」(霊舎)に遷す儀式とのこと、
葬式は、「告別式」と称して故人の遺徳、功績を偲びお別れを告げる儀式とか。
お焼香に変わり、「玉串奉献」、覚えるのに、必死。

玉串の持ちかた、納めるのは時計回り、納める前に一拝、納めて二礼、四拍手(音を立てない)、再度お別れの一礼(心をこめて)、さらに四拍手、一礼で終了。

参列者全員が丁寧にこれをやるため、時間がかかる。
その間笛の雅楽、これは、眠くなる。

本日は「告別式」再度この玉串奉献、骨あげの後、自宅で「葬後霊祭」またまた「玉串奉献」さらに、仏教での初七日に代わり?、十日祭とかで、またまた祝詞(のりと)、帰宅は22時、心底疲れたが、荘厳に取り運ばれて、感動もの、初体験の天理教のお葬式、素晴らしい体験が出来た、大はしゃぎの孫達も、帰宅、入浴と同時にダウン、
ようやく静かな自分の時間がやってきたが、眠いので、「おやすみなさい」。



お葬式

2009年07月20日 | 生活
今夜は「お通夜」、何と「天理教」での葬祭とのことで「びっくり」
神式だそうだ、慌ててネットで調査、お焼香でなく、玉串奉納、香典の表書きも
「御玉串料」、通夜から葬儀、葬儀の後始末、当然のことながら、法要がなく、それに変わるいろいろな神事に変わる?こととなる。

ネットからプリントアウトして、今から勉強会だ。


悲しい知らせ

2009年07月18日 | 人生って何なんだ
今日の天気、雨は降らなかったが、あまり記憶に無い。
8時半、妹の旦那の死亡連絡、予測はしていたが、慌ててしまう。
「年金友の会」の配布物、慌てて配達、明日の「ふれあいサロン」の準備の始末を割り振って、50キロをはせ参じた。
「天理教」は神式とのことで、全く理解できない準備に、相手の親戚の到着を待つばかり。
何と20日は「友引」とのことで、20日「お通夜」、21日「葬式」と決定、
明日は、一日待機だが、今の季節、納棺は明日とのことで、明日の「ふれあいサロン」だけは、私が出ることにして、家内は、納棺に立会いとした。
昨年12月のの壮絶な手術以来、病魔との闘いに、変形した死顔を見て、言葉も無い、
「よく頑張ったな」と心から声をかけた、
明日19日は、自宅で、ゆっくりと、家族とのお別れをしてくれよ、
20日、21日の予定キャンセルに、大わらわ、何時も暇を持て余している身に、
この様な時に限り、予定が入り込みすぎていた。
悲しい、あわただしい一日だったが、これも人生の一日だ。
南無阿弥陀仏、

面会謝絶

2009年07月17日 | 人生って何なんだ
繰り返しの一日。
妻の妹のだんなの危篤が続き、我が家は、落ち着かない、孫達は、沢山の荷物を持っての下校。明日からは実質上の夏休み。

私も一日の日程をこなした、朝から、知的障害のお兄ちゃんの生活支援、「しあわせ大学」の受講生、午後は、歯医者での「点検」とかで、歯石取り。

携帯のベルにびくびくしながら、一日が終わってゆく。

危篤の病人のところへは、行っても逢えない、「面会謝絶」、孫達は、準備に浮かれて、「早く行こうよ」、海水浴の準備に、大はしゃぎ。

危篤の爺さん、「集中治療室」から、個室にねじ込まれて、虫の息。
心臓は、山登りで、鍛えてあるから、パイプと、酸素で、生かされている、壮絶な人生。

明日の予定無し、明後日は「ふれあいサロン」のお世話が予定されている。
誰か、代わってほしいと、電話をかけ続けている今夜の私。

でも、あいつは、まだ、生きている、頑張れよ、予定の定まらない、ここ数日。


悪い知らせ

2009年07月16日 | 生活

家内の妹の旦那、危篤状態が続いている、家庭内もどんよりと曇り空、家内は準備に大わらわ。
葬議場の下調べ等、親戚一同、スタンバイ、私もあちこちの約束事のお断りで、日が暮れる。
この様な時ほど、普段は暇なのに、日程がつまっているものだ、不思議だ。
息子夫婦も、明日は、一学期最後の子供達の世話と、仕事の調整、爺と婆が留守になったときの準備とその調整、参列の準備の話し合い、本人は、まだ、生きてるんだよ。

一日落ち着かない、一日が暮れて行く、担当医は24時間持たないとのこと、

悲しい、悔しい、人間の命なんて、何時どうなるのか判らないとは言うが、
危ないといわれての対応も、苦しいものだ、本人は生きているのに、嫌な準備の時間が長く感じる。

でも、数分でも、長く生きて欲しいというのが本音、

夜になって、雨音が激しくなってきた、まだ、梅雨は明けない、重苦しい時間が過ぎてゆく。




悪い知らせ

2009年07月15日 | 人生って何なんだ
午前中は天気予報は、覚悟を迫られる暑さ、何と、午後には、涼しくなった。
朝から、嫌な電話、家内の妹の旦那(私と同い年)、危篤の知らせ。
慌てて、予定をご破算、50キロの道のりを軽四で飛ばして行った。
パイプの混線模様の中、「俺だ、判るか」の叫び声に、力なく、手を握り返すだけ。
昨年末の大手術を脱して、安心もつかの間、聞けば、入院三ヶ月で、退院間近かの時に、病院前のコンビニで、ビールをしこたま飲み、病院の廊下で、酔いつぶれていたとのこと、退院後も、妹の目を盗み、缶ビールの空き缶を何本も部屋に隠していたそうだ。
つわものの真似はしたくない、自業自得とはいえ、好き勝手な生き方は、周りに迷惑をかけるものだ、人生、それぞれに生き方は自分で決めるのはいいが、ピンチは、自分で頑張るしかないのに、家内の妹も、随分旦那には苦労してきたようだ、

釣りに、山菜取りに、いろいろ教えてくれた奴だが、確かに、何処へ行っても、酒とビールは、必需品だった、まだ、生きてはいるが、反省しているのだろうか?。

熊本に嫁いだ娘も、孫を連れて、覚悟して、駆けつけている。
家族に迷惑かけずに、行くなら行けよ、悲しく、いやなことは、続くものだ、

生還を祈りたい。

頑張れよ、爺さん、悲しく、眠れない夜だ、電話のベルが恐怖だ。




お葬式

2009年07月14日 | 人生って何なんだ
時々
昨夜に引き続き、今日はお葬式参列、懐かしい人達との再会、昨夜の私のこのブログを読んで頂いたS様から、「ppk」(ビンピンころり)なんて、私には新語?、悲しい中にも、確かにそうです、本人も苦しみ少なく、家族は、介護の苦しみは無しだから。
私もそうありたい、家族に迷惑はかけたくない、自分も苦しまずに、PPK目指しての、これからの人生なのだろうか?。

私の母も突然の心筋梗塞でppk、父も入退院を繰り返しながらも、介護の暇無しでppkだった。

今日参列の爺さん、壮年ソフトの監督、レギュラー争いで、随分爺さんと喧嘩した、ゴルフの先生、ハンディ追い越したときは、嬉しかったが、連れて行ってもらえなくなった、グランドゴルフでは、対等のライバル、勝ったり負けたり。

爺さんと息子家族とがややこしくなり、中に入った私が、自ら悪者になり、元の鞘。
爺さん全部判っていながら、最後まで、私が悪者。

いろんな思い出が、読経の間は、想い出が、走馬灯のよう、
でも、北海道のS様の、はげまし?「ppk」、そうですよ、爺さんも、家族も、
幸せものだ、私も、目指そうppk、でも、もう少し未練もあるけれど?。