毎年のことながら、大晦日は何かと気ぜわしい、家の中のあちこちの掃除、捨てるものが多すぎる、何年も使わない代物、捨てがたいが、捨てざるを得ない、ゴミ袋が膨らむばかり、一日が過ぎて、ふるさとから送られた「蕎麦」を食べて、つまらない「紅白」をみながしながらの大晦日、来年はどんな年になるのだろう、皆さん、良いお年を迎えましょうよ。
年末のお買い物、我が家も、餅をつかなくなって数年、餅を買ううyw、考えられなかったことが、現実だ、あちこちのお米自慢が、お餅を販売している、杵でついたお餅が売れ筋、でも、小さい、一個のお餅の大きさが、これでは、お雑煮の御餅、何個と注文すればよいのだろう?。
年の瀬も押し詰まってきた、気持ちだけがあわただしくて、体が動かない、入院で鈍った体は、なかなか元へは戻らない、半分はあきらめた、孫たちものんびりしていて、10時ころまで起きてこない、小雨模様の天気では、家の周りの整理も出来なくて、あきらめ気分、「柚子」の残りを取り込み、今夜は「柚子風呂」とでも、しゃれ込むこととしよう。
冬日の一日、爺さんの特別室の、掘りごたつの部屋は、孫達の不法侵入に犯されて、テレビのチャネルも奪われ、居場所がなくなる、和室、畳、堀コタツにこだわった、マイルームも、孫たちには、遊び場所に過ぎない、よるには、布団を持ち込んで、孫達の寝室となってしまった、合宿も楽しいけれど、蹴飛ばしてくれる布団をかけるのに、睡眠不足は、厳しいものだ、でも、ここで眠ってくれるチビちゃんたち、嬉しくもあり、苦しくも有り、冬休み、早く終わって欲しい。
寒気団襲来、北陸の冬が始まった、公園は雪と雪解け水で無人状態、子供たちの声も聞こえない、寂しい日常だ、冬休みの子供たちの遊び場所が無い、自分の子供のころは何をしていたのだろうか?、静かな田舎の冬のひと時、静まり返った町の中は寂しいものだ。
朝10時、検診の際に、先生が「帰りたいですか?」「当然です」「今日か明日には退院してもいいですよ」と、突然言われて舞い上がってしまった、そわそわとして、最後の点滴も時間が過ぎるのが遅く感じる。
大雪で、家内も車は危険とのことで、バスと電車を乗り継いでの退院、自宅へは5時ごろ到着、孫たちも嬉しそうに迎えてくれた、居間からの我が家の雪景色に「ほっ」と一安心、一杯の晩酌に、ほろ酔い加減、我が家の暖かさをしみじみと感じた。
入院生活、退屈な日々、次々との点滴に針を指す場所に看護師さんたち困っている、ついに針を指したままの状態に、今日は足の血流検査、変な薬を塗りたくって、気味が悪い、ようやく午後には「シャワー」を浴びることが出来た、さっぱりした。
退屈で、体をもてあまし気味、検査と点滴で長い一日が暮れて行く、夕食には、ささやかながら、クリスマスの菓子が添えられて、なおさら郷愁が募る、孫たちはどんなイブを過ごしているのだろうか、こんな生活は早く終わって欲しいものだ。
24時間のの点滴、動くのが不便だ、部屋から出ることは出来ない、トイレも点滴の薬をぶら下げて歩かねばならず、看護師さんは、重症扱い、「名前は?」「お年は?」「ここはどこですか?」などと朝、昼、夜に答えを確認させられて、退屈だ。
かかりつけ医のススメで、MRI検査に出かけた、何と即座に入院させられて、大慌て、準備も何も有無を言わせないでのSCUとかの「脳卒中治療室へ送り込まれて、24時間監視つきで、部屋の出入りは車椅子で、看護師が付き添う、買い物もままならない、「脳卒中発症中」とのことだが、自覚症状は無し、痺れや麻痺は、発症場所によるらしい、退屈な日々が始まった。
寒い一日、久しぶりに友とわが町の温泉へ、第三セクター運営になり、サービスが激変、閑古鳥の鳴いていた温泉が、駐車場満杯、大変な賑やかさだ、昼日中の温泉入浴は、田舎暮らしの醍醐味、のんびりの週末となった。
孫達の銭太鼓の練習の後、お昼を過ぎてしまって、「お腹がすいた」との子供たちの声に、ラーメン屋へ直行、ねぎはいやだとか、かなり好き勝手を言う、おまけに食べながらの携帯、注意すれば「何故」との問いに答えに困る。
食べきれないこの残りを平気で食べているのにも驚き、今時のちびっ子たちの行動には驚かされるが、楽しいものだ。