やや二日酔いの目覚めだが、朝風呂で、すっきり、燕市の刃物センターの見学、『包丁砥ぎ』をお土産にゲット、弥彦神社の見学、魚の名所「寺泊」で、お土産の仕込みと、新鮮な魚料理での昼食、皆さん満足そうだった。
その後「良寛記念館」を見学して、一路帰路についた、長旅ながら、疲れも見せず『カラオケ合戦』で、帰りのバスの車中も大賑わいだった。
早朝6
6時半から町内各地を回り、7時に2台のバスで出発、一路新潟目指して、ひたすら走った。
魚沼市の赤城山西福寺開山堂を見学して、5時頃に新発田市の月岡温泉に到着、長旅にも疲れも見せず盛り上がる宴会、元気な年寄り達だ、最高齢92歳二人を含め、80歳以上が半分もいた。
源泉かけ流しの『美人の湯』は、つるつるしていて快適な温泉だ。
年金協会の役員会、支部長の十六年ぶりの交代に、雰囲気が変わった、発言者も代わり、面白い、活発な意見も出てきて、活気ある場面が頼もしい、更なる発展が期待できそうだ。
「老人会」に入会と同時に、役員にさせられてしまった、今日は初めての役員会、ほとんどの会員が70歳後半以上、認知症の役員さんもいて、驚きの役員会、お互いにかばいあっての会議に、感動した、この年で、若手といわれて、驚いたが、確かに、集まった中では、一番の若手のようだ、一泊旅行の行き先もお寺参り、話について行くのが大変だが、元気な年寄り達、出来るだけ応援したいと思う。
老人会へ入会して2年目、今日は地区の総会とのことで参加してみた、自治体からの補助金が出ているなんて知らなかった、意味不明の質問に、議長も、皆も悩まされながら、一時間の延長には、うんざりだ、あまり出たくない総会だったが、役員は大変だろう、地域の年寄りたち、元気に仲良く生きたいものだ。
月一の「ふれあいサロン」時間前に全員集まり、慣例の血圧測定、リハビリ体操の後、今回は一年間の反省と、来年度の行事計画、皆さん「予算」も考えずに、いろんなことをやって欲しいという、何とかしたいものだ、メンバーが、郷土料理の「味噌田楽」を差し入れてくれた、茹でたこんにゃくに味付けをした味噌を塗った物で、当地の花見料理には、必ず添えられるもので、春を感じて皆さん感激していた。
年金協会の「地区委員会」予想以上に集まり、「俺の座る場所が無いから帰る」なんて文句をいわれながらの開催、これだけ世話をしながら、何故にこれだけひどいことを言われなければならないんだ、自分の座る椅子くらい、自分で準備しろよ、腹立たしく、役員をやってることが、馬鹿馬鹿しくなった、これから総会へ向けて、大変に忙しくなるが、おかしな地区委員がいて、腹立たしい、「自分もやれよ」と言いたくなる、言うは安し、ここも我慢のしどころなのだろうか?。
年寄りの我侭も、限界がある、人の世話をしたことの無い奴は、始末に終えない。
月一の「ふれあいサロン」、皆が集まって、今回は「カラオケ」何と、時間延長、きりが無い、終われなくなる、皆さん、それぞれの持ち歌があり、一人3曲にしようよ、との約束も、アルコールを入れれば、なし崩し、今日は疲れた。
年金協会の役員会、元気な皆が集まってくれた、今年度の行事報告、来年度の総会の枠組み、新年会の行き先などを審議、活発な意見、前向きな意見が出て、嬉しかった、会員への配布物7種類、重い荷物を抱えて元気に解散した。
「地域福祉計画策定委員会」と名づけての会議に出席、貴重な時間の中での雑談、事務局が提示した資料の中に、昔の子育ての道具紹介、「いずみ」と言う、私の子供のころにも、時たま見かけた、乳児をこの中に入れての野良仕事、田んぼのあぜの隅に置かれて、赤ちゃんの声を聞いて育ったわが人生、いずみに入れられて育った世代が、半分近いメンバーの会議だ、面白く、楽しい、思い出話に若い人は目を丸くして聞いていた。
サロンの開設日、時間前にとしわりたちは全員集合、今日は、区内の紅葉を求めて、皆さんのお庭の見学だ、かりんやみかんに柿を戴きながら、綺麗な葉っぱや枝葉、足が悪くてお留守番役の皆へのお土産、秋晴れのお天気に恵まれて、のんびりと皆で散歩が出来た。
事務局としては、勝手な年寄りの言い分に腹立たしいが、年寄りの宴会は面白い、酒に飲まれる人、風呂場で寝てしまう人、カラオケルームが高いと文句を言う人、宴会場から、自分の部屋がわからなくなる人、宴会場で爆睡の人、事務局は、割り勘は、払っても、ゆっくり酒も呑めない、不公平だ、でも、面白い、笑って明日を迎えよう。
年金協会の「秋の研修旅行」、隣の県の「片山津温泉」へ向けて、お昼過ぎに80名ほどがスタート、加賀市橋立町の「北前舟資料館」へ、私にとっては、初めての訪問、6隻の船を持った、町の長者、あらゆる贅を凝らした、建物の中、300坪を越える敷地の中、8寸の欅の大黒柱、船乗りたちは、北陸から大阪まで歩き、北海道までの往復で、日本の歴史を作り、年に一度の航海で、すごい財を築いたといわれる、船長の年収が2両、自由にそれぞれの土地の産物を仕入れて、売り歩いての、板底一枚下は地獄の世界、先人の度量に感心した。