ああ、あれから10年‥
東日本大震災に思う
( ツクシと樹の根元のドングリの実 3/6 )
( 近くの公園のスズランの花 3/10 )
1995 年1 月17日 に
阪神淡路大震災が起き
そして
2011 年 3月 11日 14:46 頃
マグニチュード9.0 という
巨大な東日本大震災が起きた
今夜(3/6) NHKTVの特集番組を見て
改めて地震の巨大さや被害の甚大さに
身震いを覚えた
2011年、2012 、2013 、2014 、2015、
2016 、2017 、2018 、2019 、2020、そして 2021年
もう10年と言うべきか
まだ10年と言うべきか
だが「10年一区切り」ではない
しかも 一年は
365日の積み重ねだから 震災後
およそ3650日を送って来たことになる
そして
被災した人や思いを寄せる人たちは
日々の生活を積み重ねながら
1日たりとも震災や被災者のことなどを
忘れたことはないだろう
復興への施策や建設、再建は
かなり進んできているということだが
被災した人や
被災地に住む人たちからすると
被災からの復興は
まだまだ道半ばだと思う
(私の家も
損壊した屋根や雨樋などの工事が
およそ5年を過ぎた今年の3月8日に
ようやく終えた(改修を含む))
今夜(3/6) NHKTVで
東日本大震災において
「避難行動」の実態について
映像や地図、CG、
コンピュータによる分析などを入れて
詳しくわかりやすく説明していた
映像を見ていて 私は
10年前のことを思い出して
思わず背筋を正して見た
見聞きしたりしていても
いざ揺れや破壊、津波などを
目の当たりにすると
身も心も竦み(すくみ)
身動きが取りにくくなるようだ
(私らの場合も しばらくは呆然としていた
そして 近くの施設の方が 声をかけて
くれたので その施設に避難させて貰う
ことにした(私らの場合は一晩だけ)
その時 損壊の家は怖くて 頑丈な施設は 心強かったのを覚えている)
誰かが「逃げろ!」とか
「あの高台に行くぞ!」とか呼びかけ
誘導することが大事だと
番組の解説などを見聞きしてそう思った
私は 熊本地震の時 本震の夜は
夫婦で何とか呼びかけながら
玄関を出ようと試みた
が 門扉は 大揺れのため外れていて
鉄製の頑丈な門扉はとても重くて
二人でこじ開けるのも大変だった
揺れの後は 屋内にいたら危ないので
とりあえず屋外に出ようと考えたのだ
だから 手に持っていたのは
時計と携帯のテレビだけだった
外は確か星空だった
前震の後 余震に備えなければと
洋服は着たままで寝て
バッグなども身には付けていたと思うが
振り返れば とても不十分だった
4月とは言え まだ肌寒くて心細い
他の人たちと 道の真ん中で座り込み
携帯テレビ(10.1 インチワンセグ)で
臨時ニュースを見聞きするが
私たちが どんな状況下にあるのか
震度や余震、被災地の情報以外は
正直よくわからなかった
(ワンセグは画像が不鮮明なので)
これに加えて
津波や山崩れの予報が出る地域にいたら
私たちはどんな行動を取ったか
予測がつかない(日頃の訓練が大事だ)
(所持品は、どこに、誰と避難するか
歩きか車か、食料は、薬は?等々 )
ps 2021.3.6 草稿 3.11 追記
午後カフェ(3/9) を聞いていると
リモートゲストの佐藤宗幸さんの
「青葉城恋唄」を放送していた
久しぶりに聴いて 懐かしかった
佐藤さんは 請われれば伺うが
押し付けがましくは行かないとのこと
支援のことで
とても謙虚に話しておられたのが
心に残っている