菅前首相が、四国八十八カ所を回る「お遍路」を再開したそうな。
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20111004-844749.html
http://www.asahi.com/politics/update/1003/OSK201110030050.html
まだ東日本大震災の復興は終わっていないというのに、この人からすれば、「オレはもう関係がない」ということなのだろうか。
記事の中でも『報道陣には、「1日も早い東日本大震災からの復興や、原発事故の収束を祈った」とひとごとのように語った』と軽く書かれているが、確かに、テレビで流れたあのインタビューでは、実に明るい表情のおじさんが映っていた。
そして「私も含めて・・・・反省しなければ」云々の発言があった。
しかし、もちろん反省の主体は「私」ではない。
「いったい、なぜこのようなことになったのでしょうか。責任はどこに?」と聞かれても、たぶん彼の頭の中では、一番が東電、二番はいろんな情報をあげてこなかった官僚や他の政治家たち、そして三番目に、「まるで首相のせいだ」と言わんばかりのマスコミの責任だと思っているに違いない。
そして、そんな「無能」な連中に囲まれながらも、「メルトダウンは知らないけど、原子力には詳しい」自分が一生懸命やったのに、残念ながら未曾有の天災には太刀打ちできなかったことに対して、ちょっとは責任があるかも? みたいなところだろうか。
そういう意味では、「自分は、何と不幸だったのだろう」とも思っているかも知れない。
そんな不幸を払い落とすために、今回の「お遍路」の復活ということになったのだろうか。
それはいいとして・・・
2番目の記事にもある、岐阜県からの参拝グループのおばさん。
「テレビで見るより爽やかな印象。震災があって大変な時期にご苦労さまでした」
このおばさんの頭の中では、今回の震災はいったいどのように映っているのだろうか。
たぶん、ニュースなんか見ていないのだと思う。
そして、選挙の時も、演説の内容なんかどうせ聞いたってわかりゃしないし、とりあえず見た目の印象だけで投票しているに違いない。
きっと、首相になるのも、野田さんより前原さんの方がよかったはずだ。
こういう人がいる限り、日本の政治はゼッタイ良くならないだろうな、ということに対して、今回「自信」から「確信」に変わった。
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20111004-844749.html
http://www.asahi.com/politics/update/1003/OSK201110030050.html
まだ東日本大震災の復興は終わっていないというのに、この人からすれば、「オレはもう関係がない」ということなのだろうか。
記事の中でも『報道陣には、「1日も早い東日本大震災からの復興や、原発事故の収束を祈った」とひとごとのように語った』と軽く書かれているが、確かに、テレビで流れたあのインタビューでは、実に明るい表情のおじさんが映っていた。
そして「私も含めて・・・・反省しなければ」云々の発言があった。
しかし、もちろん反省の主体は「私」ではない。
「いったい、なぜこのようなことになったのでしょうか。責任はどこに?」と聞かれても、たぶん彼の頭の中では、一番が東電、二番はいろんな情報をあげてこなかった官僚や他の政治家たち、そして三番目に、「まるで首相のせいだ」と言わんばかりのマスコミの責任だと思っているに違いない。
そして、そんな「無能」な連中に囲まれながらも、「メルトダウンは知らないけど、原子力には詳しい」自分が一生懸命やったのに、残念ながら未曾有の天災には太刀打ちできなかったことに対して、ちょっとは責任があるかも? みたいなところだろうか。
そういう意味では、「自分は、何と不幸だったのだろう」とも思っているかも知れない。
そんな不幸を払い落とすために、今回の「お遍路」の復活ということになったのだろうか。
それはいいとして・・・
2番目の記事にもある、岐阜県からの参拝グループのおばさん。
「テレビで見るより爽やかな印象。震災があって大変な時期にご苦労さまでした」
このおばさんの頭の中では、今回の震災はいったいどのように映っているのだろうか。
たぶん、ニュースなんか見ていないのだと思う。
そして、選挙の時も、演説の内容なんかどうせ聞いたってわかりゃしないし、とりあえず見た目の印象だけで投票しているに違いない。
きっと、首相になるのも、野田さんより前原さんの方がよかったはずだ。
こういう人がいる限り、日本の政治はゼッタイ良くならないだろうな、ということに対して、今回「自信」から「確信」に変わった。