あの五島勉が亡くなったそうだ。
五島勉と言えば、「ノスタラダムスの大予言」で、世間を大いに騒がせた稀代の詐欺師(?)である。
有名な「1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてくる」というヤツである。
調べてみると、1973年の作品だった。
20数年後の世界の話だから、適当にでっち上げても大丈夫だろう、という思惑もあったとは思うが、これを信じる者が続出して、一時大きな問題となった・・・ような気がする。
問題となった4行詩は、以下の通りだ。
『1999年7の月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために』
私自身は、もともとヒネクレていることもあり、当時この本を読んではみたもののも、すぐに「これのどこが大当たりの予言なんだ?」と思ったので、信じるも何も、ただの「トンデモ本」だと割り切っていた。
この詩にしても、「7の月」のところは、「7か月」と訳しているものもあるが、これを読んで、「恐怖の大王」が何かもわからないのに、「うわっ、世界が滅びる」と思ってしまう神経が理解できなかった。
テレビでも、「激論!」みたいな形で(特に「たけしのTVタックル」では多かったような)肯定派と否定派とが議論(?)を交わしていたが、肯定派の意見がバラバラなので、「いっそ、否定派相手じゃなくて、肯定派同士で言い合いさせた方が面白いんじゃないの?」と思っていた。
「解釈の違い」と言えば聞こえはいいが、要は「みんな好き勝手に主張している」だけで、どれもが説得力に欠けるものだった。
私としては、その後推理作家の高木彬光氏が「ノストラダムス大予言の秘密」という本を出した時に、すぐにこれを読み、納得したものだった。
五島勉は、ノストラダムスの1000篇にも及ぶ4行詩の99%が的中としている、と吹いていたが、高木氏によると「的中率は15%程度、甘く見ても30%」と書いていた。
これでも結構な的中率だとは思うが、元々が抽象的な詩だから、どうにでも解釈できる部分が結構ある。
中には、フランスのアンリ2世の死を予言した、と言われ、「これこそドンピシャだ」と言われた詩もあるのだが・・・
『若き獅子は老人に打ち勝たん
戦さの庭にて一騎討ちのすえ
黄金の檻の眼をえぐり抜かん
傷はふたつ、さらに酷き死を死なん』
これにしたって、具体的に人名が書いてあるわけではないので、一騎討ちの末に目を突かれて亡くなった人なんか、他にもいたかも知れない。
つまり五島勉は、ノストラダムスの詩と、その後に起こった出来事とを適当に結びつけて、「この詩は、あの出来事を予言したものだ」とこじつけただけである。
高木氏も、そう断じているのだけど、メディアが五島勉の後押しをして煽ったこともあって、1999年に入ると、結構パニックになっている連中もいたそうだ。
「結婚したのですが、子供を産むべきでしょうか」とかいう質問が割とマジで飛び交っていたようなので、単に「トンデモ本だから」で済ませる話ではなかった。
五島勉が悪質なのは、いろんな批判や指摘を受けた時に「いや、私は世界が滅びると入っていません」と言い訳するだけでなく、その後も関連本をたくさん出版したことだろう。
「新たな事実がわかった」とかいう謳い文句で、何の根拠もないただの噂話があった、というだけで1冊の本を仕上げるその筆力はたいしたものだとは思うが、「こんなのを信じる方が悪い」みたいな態度は気に入らなかった。
まあ、いまだに「実は1999年ではなく、20○○年だ」とか主張するヤツもいて、割と多かったのが「計算が2年ずれているので、実は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロがこれに該当する」とかいうものだった。
自分に関係ないとなると、途端に適当なことを言い出すのも困ったものだけど、五島勉の死とともに、そろそろノストラダムスの名前も忘れてしまってもいいんじゃないの?
五島勉と言えば、「ノスタラダムスの大予言」で、世間を大いに騒がせた稀代の詐欺師(?)である。
有名な「1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてくる」というヤツである。
調べてみると、1973年の作品だった。
20数年後の世界の話だから、適当にでっち上げても大丈夫だろう、という思惑もあったとは思うが、これを信じる者が続出して、一時大きな問題となった・・・ような気がする。
問題となった4行詩は、以下の通りだ。
『1999年7の月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために』
私自身は、もともとヒネクレていることもあり、当時この本を読んではみたもののも、すぐに「これのどこが大当たりの予言なんだ?」と思ったので、信じるも何も、ただの「トンデモ本」だと割り切っていた。
この詩にしても、「7の月」のところは、「7か月」と訳しているものもあるが、これを読んで、「恐怖の大王」が何かもわからないのに、「うわっ、世界が滅びる」と思ってしまう神経が理解できなかった。
テレビでも、「激論!」みたいな形で(特に「たけしのTVタックル」では多かったような)肯定派と否定派とが議論(?)を交わしていたが、肯定派の意見がバラバラなので、「いっそ、否定派相手じゃなくて、肯定派同士で言い合いさせた方が面白いんじゃないの?」と思っていた。
「解釈の違い」と言えば聞こえはいいが、要は「みんな好き勝手に主張している」だけで、どれもが説得力に欠けるものだった。
私としては、その後推理作家の高木彬光氏が「ノストラダムス大予言の秘密」という本を出した時に、すぐにこれを読み、納得したものだった。
五島勉は、ノストラダムスの1000篇にも及ぶ4行詩の99%が的中としている、と吹いていたが、高木氏によると「的中率は15%程度、甘く見ても30%」と書いていた。
これでも結構な的中率だとは思うが、元々が抽象的な詩だから、どうにでも解釈できる部分が結構ある。
中には、フランスのアンリ2世の死を予言した、と言われ、「これこそドンピシャだ」と言われた詩もあるのだが・・・
『若き獅子は老人に打ち勝たん
戦さの庭にて一騎討ちのすえ
黄金の檻の眼をえぐり抜かん
傷はふたつ、さらに酷き死を死なん』
これにしたって、具体的に人名が書いてあるわけではないので、一騎討ちの末に目を突かれて亡くなった人なんか、他にもいたかも知れない。
つまり五島勉は、ノストラダムスの詩と、その後に起こった出来事とを適当に結びつけて、「この詩は、あの出来事を予言したものだ」とこじつけただけである。
高木氏も、そう断じているのだけど、メディアが五島勉の後押しをして煽ったこともあって、1999年に入ると、結構パニックになっている連中もいたそうだ。
「結婚したのですが、子供を産むべきでしょうか」とかいう質問が割とマジで飛び交っていたようなので、単に「トンデモ本だから」で済ませる話ではなかった。
五島勉が悪質なのは、いろんな批判や指摘を受けた時に「いや、私は世界が滅びると入っていません」と言い訳するだけでなく、その後も関連本をたくさん出版したことだろう。
「新たな事実がわかった」とかいう謳い文句で、何の根拠もないただの噂話があった、というだけで1冊の本を仕上げるその筆力はたいしたものだとは思うが、「こんなのを信じる方が悪い」みたいな態度は気に入らなかった。
まあ、いまだに「実は1999年ではなく、20○○年だ」とか主張するヤツもいて、割と多かったのが「計算が2年ずれているので、実は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロがこれに該当する」とかいうものだった。
自分に関係ないとなると、途端に適当なことを言い出すのも困ったものだけど、五島勉の死とともに、そろそろノストラダムスの名前も忘れてしまってもいいんじゃないの?
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