はぶて虫のささやき

日々の出来事について、雑感を書いてます。
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(旧:はぶて日記)

毎度毎度のことだけど・・・

2011-06-12 | 日記
大阪府で、教職員に君が代の起立斉唱を義務づける条例について、教育委員から「100%の民意を受けていないからダメだ」という声があがっているそうだ。

http://www.asahi.com/politics/update/0608/OSK201106080148.html

「100%の民意」とは、どういう意味なんだろう。
「全員が賛成しないとダメ」ということは、意見が分かれた場合、いったいどういう形でまとめろ、というのだろう。

北朝鮮みたいな形がいいと思っているわけでもないだろうに。

「全員が賛成しないとダメ」にしなければならない場合は、そうそうあるものではないと思う。

例えば野球などでは、サインプレイをする場合、捕手からそのサインが出た時に、野手全員から「OK」のサインが出ないと、そのプレイはやらないのだそうな。
これは、一人でも欠けると、そのプレイができないから、そうするのであって、皆の意見を聞いているわけではないので、ちょっと違うけど・・・

いずれにしても、「全員が納得する意見」など通常あり得ない。

もちろん、教育委員たちも、わかって言っているはずだ。
要は「反対するためなら、どんなことだって言う」というやつだ。

彼らは「強制はいけない」と言う。
そして「自由でいいじゃないか」とも言う。

では、ルールや規則はどうして守ればいいのか、聞いてみればいい。

彼らは、きっとこう言うに違いない。

「それと、これとは違う」

別に主義・信条について、とやかく言っているのではない。
皆でルールを守りましょう、と言っているのである。

そのルールは、自分勝手に決められるものではない。
ましてや、「好き嫌い」で反論されてはどうしようもない。

などという理屈を言ったってムダだろう。

そんなことくらい百も承知で言っているのだから。

だから、逆に「君が代は歌わなくてもいい。日の丸掲揚の時には、起立する必要はない」と主張するヤツらに対しては、「別にいいじゃん」と言ってやればいい。

「アンタが歌いたくないのなら、一人で黙ってろ!歌っている人間の邪魔をするな」と言えばいい。

どうせ、君が代を聞いて「シナの兵士に銃剣を突き刺そうとしている光景」が目に浮かぶヤツなんて、頭のおかしいヤツに決まっている。
そんなヤツと一緒にするな、と言えばいい。

「オレには、そんな幻覚は見えないから、アンタ、保健室のベッドで寝てれば?」と言ってあげればいい。

だが、一番迷惑を被るのは、子供たちだと思う。
どうせ、そんな教師たちに、ロクな教育ができるとも思えないし。

中には、妄想教師と一緒になって「君が代反対」などと声高に叫ぶアホ・ガキも、いるにはいるけれど、いずれは気が付くもの。

じゃあ、「スポーツの国際大会では、どうやって応援すればいいのか」とか、「海外に行った時に、大使館を探すのに、いったい何を目安にすればいいのか」とか。

それ以前に、君が代や日の丸のどこがいけないのか、本人たちだってわかっちゃいないんだから。


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2 コメント

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御意 (日の丸クン)
2011-06-13 22:33:00
いつも拝見しています。

そうなんですよね。
腫れものに触るように接するのが百害の元!
いつも「権利だ!人権だ!」と喚き立てる方々は、己が命を守ろうとする時は、日の丸のたなびく館を目指すのですから・・・
一生喚いてろ!と言いたくなります。

諸外国にも、とんでも発想に浸っている方々は五万といますが、彼らは自己の国旗・国歌を否定する人は皆無なような・・

ある意味、特定アジアに甘すぎたつけでしょうか?

日教組って?
共産主義・社会主義への亡霊に捕りつかれた亡霊集団なのでしょうか。
まぁ、正義を唱える弁護士集団も、似たか寄ったかかも。
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Unknown (はぶて虫)
2011-06-14 08:14:31
>日の丸クンさん

はじめまして。

この手の人間に限って、海外で何らかの事件・事故に巻き込まれた時に、「オレたち日本人を助けるのが、お前らの仕事だろうが!」と言ってムリな要求ばかりするんでしょうね。

そういう時には、ぜひ「すみませんが、シナか韓国の大使館に行ってもらえますか?」と言ってほしいものです。

日教組に限らず、共産主義・社会主義を主張する人たちというのは、権力志向の高い人たちだと思います。

ナベツネとかも、かつて共産党員だったようですが、今では読売のドンですからね。

当時(戦後)は、もしかしたら日本が共産主義国になっていたかも知れない時代ですから、そういう時に共産党の幹部になるということは、国を牛耳ることができる、というわけです。
いかに、権力を握りたかったか、ということです。

「みんな平等に」と言いながら、そのみんなの中には、自分たちを含めていない、と考えていいと思います。
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