はぶて虫のささやき

日々の出来事について、雑感を書いてます。
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(旧:はぶて日記)

あんたたち、ホントに読んだの?

2013-01-22 | 日記

ほとんど興味がないので知らなかったのだが・・・

今年の芥川賞を受賞した黒田夏子さんという方の受賞作「abさんご」というのは、横書きの上、カタカナと固有名詞がまったく出てこないのだとか。

しかも、ひらがなを多用し、漢字はあまり使わなかったのだそうな。

一見して、意味がよくわからない。


その理由というのは・・・


横書きにしたのは・・・

『「文学的な情緒」を嫌ったから』
『数字でもアルファベットでも外国語でも、なんでも混ぜて書けるので機能的には良いものだと思っていたから』

カタカナを使わなかったのは・・・

『「外来語ですよ」というサインが邪魔だから』

ひらがなを多用したのは・・・

『漢字ですとなにか非常に限定されるところがあって、言葉というものを、なるべく語源の方にさかのぼっていくというときはひらがな、という感じがしています。例えば「みる」という動詞なら、漢字ですと5つも6つも使い分けると、いろんな意味が出るようでもあり限定してしまうようでもあるので。ひらがなですと語源にさかのぼって、連想の広がりとかが豊かだというのが、私の好みなのでひらがなを多用するようになりました』

http://book.asahi.com/booknews/update/2013011700003.html


横書きにした理由、これは理解できる。
確かに、混ぜて書く場合には書きやすい。

カタカナを使わなかった理由は、よくわからない。
外来語であることを示すのがイヤなら、日本語で表現(「ボール」⇒「球」とか「ルール」⇒「規則」とか)すればいいのだろうけど、そうすると意味が伝わらなくなる可能性はないのだろうか。

あと、タイトルにもあるように、アルファベットは使っても問題ないわけだ。
この区別は、よくわからないけど・・・

ただ、「サインが邪魔だ」というのは、本人でなければわからない気持ちなのだろうから、これはまだいい。
(とは言え、「サイン」って、どうせならここも外来語を使わないで欲しかった!?)

それから「固有名詞がまったく出てこない」というのは、説明がないのでよくわからないけど、要は特定の登場人物も出てこない、ということ?
それで小説が出来上がるのなら、別にいいのだけど・・・


しかし、ひらがなを多用する理由、というのはさっぱり理解できない。

まず『漢字ですとなにか非常に限定される』というのは、当たり前だろう。

「へん」とか「つくり」とかいうものは、それぞれが意味を持つものだから、この組み合わせによって漢字一文字で、一つの意味を表すことができるわけだし。

まあ、このあたりは作家の変な「習性」なのかも知れないので、まだいいとしても、その次『なるべく語源の方にさかのぼっていくというときはひらがな、という感じがしています』というのは、明らかに違和感がある。

そもそも「ひらがな」は「漢字」から派生したものだから、「語源にさかのぼる」ということをしたいのであれば、むしろ漢字を多用すべきではないの?

その後の説明(能書き?)を読んでみても、何が言いたいのかよくわからない。

「私の好み」というのなら、それはそれで仕方がないのだろうけど、どう考えたって読みにくそうな小説だと思う。

本人も「実験的な小説」と言っているので、「こういう形で作ってみました」というのは、一つの試みだろうけど、こういう作品が賞に選ばれる、というのが理解できない。

読む気はさらさらないけど、たぶんあまり売れないんじゃないの?


とは言え、芥川賞という権威ある賞に選ばれた作品だ。

マスコミなどは、さっそく迎合している。

今日の毎日新聞「余禄」

全文引用する。

『日本語で「みる」といってもいろいろある。「見る」「観る」「視る」「看る」「診る」。それをひらがなを使って表現すると、「みる」という言葉の本源にさかのぼることができるのではないか。ミルという音に戻って、時の流れにつれて変わっていくのではない、この言葉が本来的に持っている力を味わえるのではないか▲「abさんご」(早稲田文学5号、収録した短編集は文芸春秋)で芥川賞受賞が決まった黒田夏子さんが、ひらがなを多用して小説を書く理由を説明してくれた。縦書きの「文学的な情緒」を嫌って横書きにし、「外来語ですよ」というサインが邪魔で、カタカナは使わない▲受賞作には独特な魅力がある。冒頭は「aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと、会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが……」という具合。言葉の手触りが直接に伝わってくる感じだ。そして、ある人物の半生が徐々に浮かび上がってくる▲75歳という黒田さんの年齢が話題になっている。最初に物語を書いたのは5歳の時。早稲田大在学中に文芸同人誌「砂城(さじょう)」を創刊した。人生がそのまま重なる執筆歴だ▲「子供ができるとそっちに夢中になるから」と生涯独身。国語教員を経て、フリーで校正をしながら、書き続けてきた。でも、淡々と話す雰囲気からは余計な力みを感じさせない▲同人仲間だった作家、下重暁子(しもじゅうあきこ)さんは「悩みや情熱を抱えていたと思うけれど、毅然(きぜん)としていたのが印象的です」と当時の横顔を語る。黒田さんは一本の道を歩いてきたのだろう。文壇がやっとその存在に気がついた』


「独特な魅力」とか「言葉の手触りが直接に伝わってくる感じ」とか、「お前、ホントに読んだのか?」と思えるような褒め言葉が並んでいる。

だいたい、冒頭の文章を見ただけでも、ものすごく読みにくいのに、「言葉の手触りが直接に伝わってくる感じ」って具体的にはどういう感じ?

もう少しわかりやすく教えてほしい。


まあ、日本語をやめて英語にしようぜ、というヤツよりはいいか!?

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