
複雑なトポグラフィー (動態と変化)の催しが続いている。
既存の讃岐民芸館の横を通って、奧まった庭にこの作品がある。
アレクサンドラ・コソン&副島泰平 作の 「素晴らしい光景」
余り日の射さぬ苔が年がら年中生えている感じの薄暗い庭にこの作品がしつらえてある。
辺りの風景に溶け込んで、この庭に昔からあったごとく違和感がない。
作品を示す立札と説明板がなければ、この庭が初めての人は、芸術参加作品と気がつかぬかもしれないほど自然体である。


いつも思うのであるが、芸術作品には長い説明がついている。作者の思いを鑑賞者に理解してほしいのはよくわかる。
どこまで、作者の思いが鑑賞者に伝わるのか、それも作者にとれば気にかかるであろうけれど、説明文をよんでも空中分解をしてしまう。作品の印象は瞼の奧に焼きついているけれど意図するところはさっぱりと抜け落ちている。
ちなみにこの作品には
「池の鯉達がその硬く荒々しい体で、必死の様相でひしめき合っているその狭い空間を、ぬうようにして泳いでみたい。
ーーそれはまるでラッシュアワーの混雑した電車のようーー
野生むき出しに餌を求める彼らの目は大きく見開き、虚ろな表情で中空を見つめている。
一体、一体が、力が、力の限りむさぼり食おうとする、意志を持った、筋肉の魂だ。」
説明文の一節を表示した。
先入観を持たずに鑑賞した方が素直な目で、私にかぎれば良かった気がした。
アレクサンダー・コソン氏はノルウエーの人です。副島氏との共同作品、一度見に足を運んでみて下さい。


公園の庭で今、地元庵治石を使った作品があちこちに展示をされている。


公園の散策の道すがら、石の小品の置物?(作品)が、あれここにも、大きな木の下に楽しそうに転がっていたり。
次はどこにあるのか探して進むのも楽しい。
きっと、牟礼町と庵治町に住む石の作家達の作品であろう。
この作品も期間限定で賑わいの公園として置かれているそうである。
🍒 外っ国のうから楽しげ紅葉狩
🍒 無患子や巌を刳りぬく手水鉢
🍒 ちんたらと道草の子や草紅葉