老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

光陰は矢のごとし

2016-10-07 10:49:34 | 俳句
        

十年近く前の写真。
故郷には 本格的な能舞台 を備えている県内唯一の安楽寺がある。数十年前から年に二回ほど 京都から能役者を招き、能狂言が催される。
何回か鑑賞会に行ったが、近年は、とんとご無沙汰をしている。

        

赤門寺とも呼ばれる 安楽寺 は平安時代から続く古刹である。
(赤門は豪壮な朱塗りの山門)
子供の頃はこのお寺の附近を遊場としていた。
後に竜谷大学の学長になられたご住職の奥様が、寺を守りつつ、日曜学校を開いており、そこへ日曜日ごと通ったものだ。
仏教系の大学に通っていた友人との会話の中で、この時習った歌を私がふと思い出して口づさんだことがあった。友人が驚いていた。
普通、讃美歌の中から愛唱歌として、世に広まっている歌はあるが、仏教歌は、普段の生活では余り耳にしない。


今日はアルバムを整理していると何年か前のこの写真が出てきた。
あのころは皆、元気であった。

現在は、実家の兄は今は寝たきりの生活になっている。
元気で能狂言を鑑賞に行っていた我々夫婦は、病院を梯子する毎日となった。
ほんの十年昔の頃、今の兄妹に起こる変化は夢にも考えなかった。




一昨日は夫の心臓検査で丸一日がつぶれた。
昨日は、私の半年に一度の難病の検査。医大で半日を過ごす。
毎日の疲れが積み重なり、身体は無意識に動いているが、思考力がまるでなくなり、家の中でもトンチンカンの繰り返しだ。

将来の老老介護を想像するとぞっとする。

それでも、パソコンを開いて しりとり俳句を何句か投稿。おめでた人間だ。


       🍒     曼珠沙華赤々マリア燈籠に

       🍒     組紐は亰の土産や秋袷     

       🍒     花野ゆく大きポッケに俳句帖

       🍒     親しんで俳句幾年秋簾

       🍒     蘆刈や流れてきたる赤い靴

コメント
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